第40話 静かな路地と、整えられた道
「おい、てめえら! 俺の『商品』に何してやがる!」
路地の奥から、酒臭い息を吐きながら大男が飛び出してきた。
男は地面に転がった鉄の破片を見て、顔を真っ赤にして絶叫した。
「俺の……俺の高価な魔導具の枷が! 弁償しろ、このガキども!」
男が腰の鞭を振り上げたが、カイは驚くこともなく、ただ静かに男を見つめた。
「……大きな声は、空気を震わせて埃が舞うから良くないよ」
カイが指先を男の方へ向けると、一瞬で周囲の空気が凪いだ。
「【静域】(サイレント)」
男がさらに何かを叫ぼうとして口を大きく開けたが、そこからは一切の音が漏れなくなった。
「な……っ!? っ……!!」
男は自分の喉を必死に押さえているが、路地には不自然なほどの静寂が支配している。
音を失った男が狼狽していると、路地の影からさらに数人の荒くれ者たちが現れた。
彼らは棍棒を手にし、汚れた服を翻しながらカイたちを囲もうとする。
「カイ、仲間が出てきたわよ、どうするの?」
リナが周囲を警戒するが、カイは眉一つ動かさずに足元の泥を見つめていた。
「争うと服が汚れるし、怪我をさせると血が出て掃除が大変になる」
カイは争いを避けるように、ただ指先を地面へと向けた。
「【整地】(フラット)」
その瞬間、男たちの足元の地面が、摩擦を一切失った鏡面のように滑らかに変化した。
「……っ!?」
踏み込もうとした男たちは、氷の上に乗ったかのようにバランスを崩し、その場に尻餅をついた。
カイは彼らを傷つけることなく、ただ自分たちの周りに「誰も近づけない領域」を作り出した。
「そのまま座っていれば、服がそれ以上汚れることはないよ」
カイが穏やかに告げると、男たちは滑る地面に四苦八苦し、立ち上がることさえできなくなった。
そのままカイは、震えている銀髪の少女へと向き直った。
「君、そこを動くとまた足が汚れるよ、こっちに来て」
少女は恐る恐る、カイが作り出した「清潔で平らな道」へと足を伸ばした。
その足元には、汚れを寄せ付けない【清浄】(クリーン)の余波が広がっている。
「……あ、……」
少女は初めて触れる「不快感のない感触」に、驚いたように目を見開いた。
カイは彼女が安全な場所まで歩いてきたのを確認すると、満足そうに頷いた。
「リナ、道が整ったから行こう、ここはもうすぐまた汚れると思うから」
「そうね、こんな場所に長居は無用だわ、……さあ、あなたも行きましょう」
リナが少女の背中にそっと手を添え、三人は静まり返った路地を後にした。
背後では、音を奪われた男たちが滑らかな地面の上で滑稽に転がり続けていた。
大通りに出ると、夕暮れの柔らかな光が三人を包み込んだ。
「……リナ、宿に行ってお風呂の準備をしたい、埃っぽいのはもう十分だ」
「はいはい、わかったわよ、……あ、そういえば、あなたの名前は?」
リナが隣を歩く少女に優しく問いかける。
少女は自分の真っ白になった手を見つめ、小さな声で答えた。
「……ティア、です」
銀髪の少女が初めて名乗ったその声は、消え入りそうなほど細く、けれど澄んでいた。
「ティアね、いい名前じゃない、私はリナ、こっちのマイペースなのがカイよ」
「……カイ、様……」
ティアはその名前を噛みしめるように呟き、少年の背中を追いかけた。
カイは振り返ることなく、ただ「ティアの歩く道」が汚れていないかを時折確認しながら、宿へと続く道を歩き続けた。




