第29話 夜の来訪者と、森の異変
コン、コン。
遠慮がちな音が、再び扉を叩いた。
暖炉の火がぱちりと揺れる。
部屋の空気が妙に静かだった。
リナは短剣を構えたまま固まっている。
「……どうするのこれ」
「開ける?」
「普通は開けないのよ!」
即答だった。
夜の森。
街道脇の休憩小屋。
そんな場所で“ノックする何か”なんて、どう考えても怪しい。
だが。
「キュルル……」
フォルはじっと扉を見ていた。
警戒はしている。
でも、さっきみたいな敵意への反応ではない。
むしろ不思議そうだった。
カイは少し考え、ゆっくり扉へ近づく。
「カイ!」
「大丈夫だよ。危なかったらフォルが教えてくれるみたいだし」
「いやその信頼の置き方どうなの……」
リナは頭を抱えた。
だがフォルは。
「キュル!」
なぜか自信満々だった。
カイは扉の前へ立つ。
古い木扉の向こうから、かすかに荒い息遣いが聞こえた。
人……?
いや、違う。
もっと低い。
獣っぽい呼吸音だった。
カイはゆっくり扉を開ける。
ぎぃ、と蝶番が鳴った。
夜風が吹き込む。
冷たい森の匂い。
月明かりに照らされた街道。
そして――
「……え?」
そこにいたのは、一頭の狼だった。
灰色の毛並み。
赤い目。
だが、その顔周りの毛は。
ちりちりだった。
「……あ」
昼間のボス狼である。
リナがぽかんとする。
「なんで来たのよあんた!?」
狼は低く唸ることもなく、じっとこちらを見ていた。
その後ろには、群れの狼たちもいる。
だが昼間みたいな敵意はない。
むしろ妙だった。
全員、落ち着きなく森の方を気にしている。
怯えているようにも見えた。
フォルが前へ出る。
「キュルル?」
ボス狼はびくっと耳を倒した。
だが逃げない。
代わりに、小さく鼻を鳴らす。
「クゥン……」
「……え、なんか可哀想なんだけど」
リナが困惑する。
昼間の威勢はどこへ行ったのか。
ボス狼は、ちらちら森の奥を見ていた。
まるで“何か”を恐れているみたいに。
カイはしゃがみ込む。
「追われてるの?」
狼は言葉なんて分からないはずなのに。
ぴたりと動きを止めた。
それから。
ゆっくり頷くみたいに頭を下げた。
「……えっ」
リナが目を見開く。
フォルも森を見る。
黄金の瞳が細くなる。
「キュル……」
その時だった。
ヴオォォォォォォン――――。
昼間聞いた咆哮が、再び森の奥から響いた。
今度はもっと近い。
地面がびりびり震える。
狼たちが一斉に怯えた。
尻尾を下げ、耳を伏せる。
完全に恐怖していた。
リナの背筋に冷たいものが走る。
「……冗談でしょ」
森の奥。
木々の隙間。
暗闇のさらに奥で、巨大な“何か”が動いた。
木が揺れる。
枝が折れる。
重い足音。
どしん。
どしん。
一歩ごとに地面が震える。
そして。
月明かりの奥で。
二つの巨大な赤い目が、ゆっくり開いた。




