第27話 里の弟子
それほど大きくもない里に着いて、十日が経った。
何故そんなに時間を費やしているかと言えば、一人の弟子のためである。
里に着いてすぐ、セイフォという名の弟子が迎えてくれた。
この男は、一言で言うと、富豪である。
随分前、私のつくる歌に感銘を受けたとかでわざわざイェドを訪れ、術や俳句についてあれこれと学んでいった。
時期は短かったが、非常に多くの手土産に心が動かされた私は、なんとも現金ながら熱を込めて指導をしてしまっていたのである。
そのセイフォが、イェドから私がわざわざ訪ねてくれたということで、盛大にもてなしてくれた。
言うまでもないことだが、私はセイフォを目指してこの里を訪れたわけではないし、さらに言えばセイフォがこの里にいることを知らなかった。
しかし、もてなしてくれるとなれば、特に断る理由もない。
私とソルラは、ヒルライズミでの疲れを癒やす良い機会だとし、逗留していた。
「涼しさを我宿にしてねまる也」
ぜひ一句詠んで欲しい、ということで、浮かんだ言葉を短冊にしたためた。
「この句で術をほどこすとなると、どのような奇跡になるのですか」
「この家の居心地がたいへんよろしいということを歌っただけだからな、この家ではなんの効果も発揮出来んな」
セイフォの問いに、私は笑って返す。
「では、旅先ならば、野宿であってもこの家の居心地の良さを再現できるということですな」
その問いに、私は首を横に振った。
「形ある大きな物を顕現させる奇跡は、私には起こせないようだから、まるきり再現するのは不可能だな。まあ、寒い場所をあたためたり、逆に暑苦しいところに涼をもたらしたりすることくらいは出来るだろうが」
なるほどなるほどと納得しながら、セイフォは手帳に書き付けている。
その横で、ソルラも記録している様子である。
ふと、もう一句浮かび、言葉にしてみる。
「這い出でよ飼屋が下のひきの声」
「ひき、とはひきがえるのことですな。それは一体、どういう」
「飼屋の下に潜んでいるひきがえるよ、どうか出てきて、手持ちぶさたな私の話し相手になってくれ、という句だ」
ふむ、と言いながら、セイフォは怪訝そうな顔を浮かべる。
「これもまた、術の行使には至らなそうな感じが致しますが」
私は頷いた。
「それはそうだ。元来、こういった歌というのは術のためではなく、その響きや言葉の妙を味わうものだろうからな。すべてがすべて、術のためではない」
「奥が深いですな」
感嘆を顔に浮かべるセイフォである。
金持ち特有の鼻持ちならない感じが、この男にはない。それがこの男の美徳のひとつである。
ふと外を見ると、紅の花が咲き誇っている。
術の教えも示してやらねばな、と一句詠む。
「まゆはきを俤にして紅粉の花」
言い終えると同時に、私の手から浮かび上がった金色の渦が、窓から出て行き、花々を囲む。そして次の瞬間、その渦が紅色に染まり、私の手元に帰ってくる。
手近にあった空の硝子瓶を手に取り、そこに渦を迎えてやると、瓶はたちまち花の色の粉でいっぱいになった。
「この粉を湯に溶かして飲めば、我々の夜を充実させること間違いなしだ」
「それは素晴らしい!」
セイフォが声をあげると、ソルラが大きく咳払いをした。
「おっとと、これは失敬」
頭をポリポリと掻き、セイフォが笑う。
「どれ、ソルラも一句詠んでみよ」
私がにやりと笑って見ると、ソルラは頷き、しばし中空を眺めた。
「蚕飼する」
言葉を紡ぎ始めたソルラの体を、陽炎が包み始める。
陽炎は次第にゆらぎを増し、私たちが居る部屋をぼんやりと包んでいく。
「人は古代の すがた哉」
唱え終えると、陽炎は一瞬で消え、後には何も残らない。
目に見えて大きな現象は起きていないようだが、ソルラは満足そうに笑っている。
「ソルラ殿、これはいったいどのような術ですか」
セイフォが問う。
「師も、お気づきになりませんか」
私は小さく何度か頷いて応える。
「我々の体を清めました。お二人とも、汗でにおうよりは良いでしょう」
言われて鼻に意識を向けると、質の良い石鹸で体を洗ったあとのような良い香りが漂っている。
「やるではないか、ソルラ。
さては、お主もついに女体の神秘に興味を持ち始めたな」
指して笑うと、ソルラは手の動きでそれを否定した。
「私はまだまだ修行の身。
満足のいくものが出来ましたなら、他のことにも目が行きましょう」
では、と言って部屋を出ていくソルラを、私たちは見送った。
「時に先生、彼はもしや、まだ女を知らんのですか」
「知っているか知らないかは、私は知らん。
ただ、旅の中で、あやつがそういったことに羽目を外したことはなかったな」
何度かそういう機会はあったが、ソルラは拒んでいた。
私が何度か行為に及んでいることは分かっているようではあったが。
「何か、女人に対して思うところがあるのですかなぁ」
「まぁ、男色という可能性もなくはないがな」
私の返事に、セイフォが目を丸くする。
「まさか先生、彼とそういう……」
「待て待て、私は女好きだ。しかも、無類の。
また、ソルラについても、男色というわけではないと思うのだがなぁ」
ただの堅物と決め込んでいたが、何か理由があるのかもしれん。
しかし、人には人の事情があるものだ。
この旅の中で、若いあやつが何か成長したり変化したりすることがあれば、それは師として嬉しいことではあるが、それを急くことはすまい。
「さて、セイフォよ。
準備も出来たことだし、そろそろ出かけるとするか」
弟子の気遣いを無駄にすまい。
これもまた、師としての大切な心構えというものよ。
作者の成井です。
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