再びニュー・トロントへ
ニュー・トロントの宇宙港では数十人の住民が俺たちを出迎えた。
普段は閑散としている青い内装の出迎えロビーにはマオ市長、バッハ工場長兼自治会長、馬のしっぽ亭のウェイトレス、訓練途中で見かけた老婆や小さな子供の他、初めて顔を見るような人もたくさんいた。
多くの人の目には労りやねぎらいの光があり、敗残兵の出迎えには過分な対応だった。
「ただいま、戻りました」
俺たち四人とイシュタルの乗員五人は出迎えの人たちに敬礼した。
訓練小隊の我々はヘルメットを後ろにはね上げた装甲強化服姿。イシュタルの生存者は身体にフィットした簡易宇宙服姿のままだった。
「隊長は残念だったな」
マオ市長が目を潤ませながら俺に話しかけてきた。
だいたいの状況はすでにケイが連絡済みだったので俺は言いたくないことを言わずに済んだ。
「はい」
それでも俺は涙ぐみそうになり必死で感情を押し殺した。
バッハ自治会長は何も言わず首を左右に振っていた。
「あの……、ロンは? ロン・イドリスさんは?」
そばかすの目立つポニーテールのウェイトレスが大きな目を見開いて俺に問いかけてきた。
深刻な表情だった。冷たい手で心臓を握りしめられたような気分になった。
彼女がロンに特別な感情を抱いていたことを俺はこのとき初めて知った。
「ロンは……ロンは勇敢で、ここにいる誰よりも戦果を挙げました。我々は彼のことを誇りに思います」
俺は第九小隊の小隊長の言葉を思い出していた。
『生き残った奴は何をすればいいか知ってるか? 死んだ奴のことを語り伝えることだ』
俺は彼女に『ロンは戦死した』と直接的な表現を使うことができなかった。
それでも彼女の目からは見る見る涙があふれだした。
そして俺たちに背を向けると人込みをかき分けるように去っていった。
出迎えの人たちにさざ波が広がりロビーの温度が何度か下がったようだった。
「これから、どうなるんだ!」
それまで黙っていた見知らぬ中年男が我慢しきれなくなったように叫んだ。
彼の目には労りやねぎらいの光はなかった。
「わかりません」
俺は男を見据えてはっきりとした口調で即答した。そんなことはこっちが聞きたい。
「馬鹿野郎! お前らは軍人だろ、何のために給料もらってんだ! 何とかしろよ!」
当然の権利のように俺たちを罵倒する細面の中年男を非難する視線と、男に同調する視線が群衆の中で交錯し、ざわざわと騒がしくなった。
「金星艦隊がほぼ壊滅状態なのは知っている。地球艦隊からタイムリミット二十四時間の降伏勧告も来ている。それなのに政府からは細かい情報がまるで来ないんだ」
マオ市長が丸く脂ぎった顔に困惑の表情を浮かべていた。市長も市民から突き上げられているに違いない。
降伏勧告の話は俺たちも初耳だった。それに残念ながら俺たちは政治家ではない。群衆を適当にあしらったり、その場を取り繕ったりなどという器用な芸当を期待されても困る。
「現在のところ、我々も今後の方針は指示されておりません」
気がつくと俺が軍のスポークスマンの役を担っていた。損な役回りだ。若僧には荷が重い。
「では地球に侵略されるがままになるのか? 軍は、いや君たちは何もしてくれないのか?」
先程の細面の男とは別の初老の男が物静かな口調で俺を非難した。
俺は好きで軍人になったわけじゃあない。くじ引きで当たっただけだ。
しかし責任ある職業人としてそれは口が裂けても言えなかった。
「我々は最後の最後まであきらめるつもりはありません。そこで市長と工場長にお願いしたいことがあるのですが……」
俺は市民とのやり取りを逆手にとって用件を切り出した。この雰囲気なら断りづらいだろう。
俺の真剣なまなざしに何かを感じたらしいマオ市長は一瞬の沈黙ののち俺の肩を叩いた。
「ここでは差し障りがあるな、場所を変えよう」
俺は無言でうなづき他の連中に目で合図を送った。
「これから軍と打ち合わせだ。今後のことが決まったら必ず伝えると約束しよう。皆さんは避難準備をして自宅で待機してくれ」
マオ市長は大きな声で周囲に語り掛けると俺を促して歩き始めた。
お付きの男性秘書とバッハ工場長も一緒だ。
「訓練小隊本部に行きましょう」
俺は市長に提案した。
群衆はしばらく俺たちの後をついてきたが途中であきらめた。
関係者以外立ち入り禁止となっている狭い通路の入り口で、装甲強化服姿のダンが仁王のように立ちふさがったからだ。
訓練小隊本部の事務室は本来部外者の入室は禁止だが、そうも言っていられない状況だった。
他の所属の軍人五名と民間人三名が入ると室内は多少窮屈だった。
「はじめまして。宇宙巡航艦イシュタルで操艦を担当していたイワノフ・コワルスキーです」
室内に入るなり、コワルスキー大尉はマオ市長に握手を求めた。
市長は困惑の色を一瞬浮かべたが愛想よく握手を返した。
できたら宇宙港でそれをやってほしかった。
「最初に聞いておきたいのですが、住民の避難は手配していますか?」
コワルスキー大尉はテキパキと作戦に先立つ必要事項を確認し始めた。
何か急に元気になった感じだ。少しずるい。
先程の住民対応も大尉がやってくれればよかったのにと思った。
「政府にはシャトルの派遣を要請している。あと三時間ほどで第一便が到着の予定だ」
マオ市長も少し憮然としていた。
俺は彼らのやり取りの間に索敵システムを立ち上げ、防衛拠点サウス・カフカース、反物質製造工場のあるスカイ・キリバス、そして、ここニュー・トロントが含まれる宇宙図を空間投影した。
空間的な位置関係はスカイ・キリバスが手前、サウス・カフカースはその向こうだ。
地球の主力艦隊はサウス・カフカース周辺に展開し、スカイ・キリバス周辺には強襲揚陸艦を中心とする五隻ほどの小規模艦隊が展開していた。残念なことに金星の宇宙艦隊はどこにも見えない。
「避難完了までの所要時間は?」
大尉は畳みかけるように質問した。
「最短で六時間後です。不測の事態が起きればどれくらいかかるかわかりません」
スーツ姿の姿勢の悪い随行秘書が情報端末のデータを目の前に空間投影しながら答えた。
「六時間か。報復攻撃の可能性を考えればそれまでは手が出せんな」
大尉は腕を組んで俺に視線を送った。
「おい、君たちは一体何を考えているんだ」
マオ市長の細い目に狼狽の色が浮かんでいた。キナ臭いにおいを感じ取ったのだろう。
「これから話すことは機密事項なので市民にアナウンスされては困ります。よろしいですか」
「内容によるな」
俺の返事に言葉を詰まらす市長に代わってバッハ工場長が鋭い視線を送ってきた。
「わかりました」
俺は作戦概要を市長たちに説明した。
「技術的には問題がない」
話を聞き終わったバッハ工場長は深い溜息をついた。
「本当にやるのか? この状況では何もしなくても誰も咎めたりしないぞ」
マオ市長は額に噴き出した脂汗をハンカチでしきりに拭っていた。
俺の作戦では宇宙都市ニュー・トロント自体が積極的に戦闘に参加することになる。
「ハサウェイ少尉は負けず嫌いでしたから」
俺は乾いた笑みを浮かべた。
「しかし、そんなに計画通りにいくものだろうか? 現に敵艦隊にはまだ君の予想した動きはないわけだし」
マオ市長はなお懐疑的だった。確かに机上のプランを実行に移す段階で不測の事態が発生してすべてがダメになるのはよくある話だ。
「サウス・カフカース周辺に展開している敵艦隊に動きが」
索敵システムを凝視していたユリがよくとおる声でつぶやいた。
信じられないといった表情を浮かべていた。
「戦艦ハンニバルが移動している。行き先は多分スカイ・キリバスの反物質製造工場」
ケイの声には誇らしげな響きがあった。
「君の予想通りというわけか」
マオ市長は細い目を大きく見開いた。
俺は自信ありげに力強くうなづいて見せた。
本当は不安でいっぱいだったのだが作戦を実行に移すには俺たちを信頼してもらう必要があった。
地球艦隊の艦艇では戦艦ハンニバルだけが反物質を燃料にしている。
だからスカイ・キリバス制圧後、早い段階で戦艦ハンニバルが補給のために反物質製造工場に移動することは容易に予想できた。
そして、戦艦ハンニバルが主力艦隊を離れてニュー・トロントに近いスカイ・キリバスに移動してくることが今回の作戦が成立するための重要な要素の一つだった。
「一つだけ約束してくれ、住民の安全は保障すると」
マオ市長が真剣なまなざしで俺の目を覗き込んだ。
「わかりました」
俺はかすれた声で市長に応えた。責任の重さを感じ喉が締め付けられた。
「まあ、わしとあと一人ぐらいは、ここに残って機械の操作をしなきゃならんだろうがな」
作戦内容を頭の中で反芻していたバッハ工場長は、真面目な顔で問題点を指摘した。
確かに他の人間の安全を優先するとそういうことになる。
「ご面倒をおかけします」
俺は深々と頭を下げた。
軍人でもないバッハ工場長が敵の報復攻撃にさらされる可能性があった。
「気にするな、うまくいったら孫への自慢話ができるというものじゃ」
白髪頭のバッハ工場長は不敵な笑みを浮かべていた。
「では作戦開始は六時間後ということで……今のうちに休憩してください」
「班長とか、気を使って大変だよね」
ロンはスポーツマンらしい爽やかな笑顔を俺に向けていた。元気そうだ。
敵の艦砲射撃を受けたようには見えなかった……そうかこれは夢なんだなと心のどこかがつぶやいた。
「へえ、テツは意外と大人だね。僕はそんなこと考えもしなかった」
ロンはなぜか最初から俺のことを認めてくれていた。
頼りになる友人だと勝手に思っていた割には俺は薄情にもロンの家族のことは知らなかった。
ロンが立派に戦ったことを家族にどうやって伝えればいいのだろう。
「号令は! シャキッとせんか、このボケェ!」
次に現れたのはハサウェイ少尉だった。太陽のように輝いていた。
長い髪に美しい顔立ち、黙っていればモデルや女優にしか見えないだろう。
「生意気な、百万年早い」
背中に伝わる暖かい感触。
あの時ハサウェイ少尉はどんな表情をしていたんだろう。
俺は今になってハサウェイ少尉を抱きしめたい衝動にかられていた。
「いい士官になれそうな気がする」
彼女の表情は見えなかったが微笑んでいたような気がした。
俺は彼女に認められて幸せだった。
「助けて」
突然、敵の女性兵士の断末魔が装甲強化服を通じて伝わってきた。
俺は彼女を高周波ブレードで串刺しにしていた。悪寒が身体を駆け抜けた。
俺はただの人殺しだ。
そして、これからも多くの人間を「敵」だという理由で殺していくのだろう。
それが俺の仕事だ。
「テツ、大丈夫?」
目を開けると心配そうなケイの視線があった。
白磁のような白い肌の小さな顔で、ロボットのような装甲強化服は脱いでトレーニングウェア姿になっていた。
彼女は殺伐とした戦場には似合わないなと、ふと思った。
「ああ、大丈夫だ。多分」
俺は無重量状態の小隊本部で装甲強化服を着たまま立位でうたた寝をしていたようだ。
うなされていたらしい。服の中は嫌な汗でべっとりと濡れていた。
「ハンニバルは反物質の積み込み作業を終えたようだ」
少し離れたところで腕組みをしていた直立姿勢のモーガン中尉が、鋭い視線を索敵システムに向けたまま、さりげなく状況を教えてくれた。
「一つ確認しておきたい。作戦の途中で政府が降伏したら、どうする?」
コワルスキー大尉が白髪頭を撫でながら俺に視線を向けてきた。
俺は憮然とした視線を大尉に向けた。新兵に相談するようなことじゃないだろうと思った。
「まだ、戦争は始まったばかりじゃないですか!」
闘志にあふれたダンが大尉にくってかかった。装甲強化服は着たままだった。
トレーニングウェア姿で膝を抱えてケイの近くを漂っていたユリがあきれたような視線をダンに送った。
「威勢がいいね。でも金星は浮遊都市で形成された国だから、衛星軌道を制圧されれば手も足も出ないよ。とっくの昔に降伏してておかしくない」
眼鏡をかけた女性士官、キニスキー准尉が猛獣のような雰囲気のダンに気圧されることもなく淡々と事実を指摘した。
確かに金星は穴の中に身を潜めてのゲリラ戦などはできない。
上空から撃たれればそれで終わりだ。
金星統合軍には頼りの宇宙艦隊はもういない。
「暗号通信で参謀本部には本作戦のことは伝えてあるが、困ったことに作戦承認も中止命令も来ていない」
モーガン中尉は表情を曇らせた。
「けっ、使えねえ」
ダンが吐き捨てるように言うとケイが本当に済まなそうな表情でうつむいた。
それはケイの父親が金星統合軍の参謀総長だからだ。
「ちょっと、ダン!」
ユリが長い手足を伸ばして床に足をつけると、猫のような目でダンを睨みつけた。
「ふん」
「どうかしたの?」
俺たちの様子をキニスキー准尉が不思議そうに観察していた。
「大尉の質問への答えとしては、無論、作戦は中止ですね」
俺はキニスキー准尉の疑問をはぐらかせた。
ケイは自分の父親が軍のお偉いさんであることを知られるのを嫌っていたからだ。
そして、ついでといっては何だが、心に浮かんだ不満を口にした。
「本作戦の指揮ですが、やはり大尉がとってくれませんか」
「今更貴様がそれを言うか? 我々は船乗りだ。歩兵部隊の指揮などできん」
コワルスキー大尉はずるい大人の笑みを微かに浮かべて俺に切り返した。
「しかし」
「敵艦制圧までは任せる。制圧後は我々に任せてもらう。当初の打ち合わせどおりそれでいいだろう」
そう言いながら俺ではなく、ケイやダンに視線を巡らせた。
「それでいいと思う」
「自分も大尉の意見に賛成だ」
結局、俺は口をつぐまざるを得なかった。




