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金星統合軍・機甲歩兵・訓練小隊  作者: 川越トーマ
17/21

巡航艦イシュタルの生存者

 世界は色彩を失っていた。

 どのようにして戻ったのかよく覚えていないが俺はコバンザメに舞い戻っていた。

 エアロックを抜けて艇内に入ると、他の小隊メンバーの視線が俺に集まった。

 いつも不機嫌なダンはさらに不機嫌で、いつも俺のことを睨んでいるユリは目に涙を浮かべて俺のことを睨んでいた。色白のケイの肌は紙のように白く、大きな瞳は俺のことをまっすぐ見つめていた。

 俺の目に涙はなかった。ロンの時もそうだった。きっと人を殺しすぎて心がおかしくなっているに違いない。

 別の視線も感じた。コバンザメには見知らぬ乗客が五名ほどいた。彼らは白い簡易宇宙服に身を包み、一様に疲れた表情をしていた。

「救助を感謝する。私は操艦担当のイワノフ・コワルスキーだ。こちらの指揮官は誰か?」

 白髪交じりの年配の士官は大尉の階級章をつけていた。無重量状態でなければ立位を保てないのではと思われるほど憔悴しており声がかすれていた。俺たち四人を見回しながら質問していた。誰かが答えなければならない。

 ユリは目をそらし、ケイは俺のことを見つめ、ダンは俺に向けて顎をしゃくった。

 俺は口を開きたくなかった。一番認めたくない事実を口にしなければならないからだ。

 しかし、いつまでも黙っているわけにはいかなかった。

「隊長は戦死しました。自分は便宜的に班長をしているテツ・イズモです。お話を承ります」

 俺は敬礼しながら言葉を吐き出した。語尾が震え目頭が熱くなった。

「これからの予定を教えて欲しい」

 それは今まで隊長が示してくれていた。

 しかし、今はもう行き先を照らしてくれる太陽はいない。

「我々は第三機甲化中隊に合流しなければなりません。中隊はスカイ・キリバスからサウス・カフカースに向かう予定です」

「了解した。よろしく頼む」

 コワルスキー大尉の発言に俺は無言の敬礼を返した。

 これ以上口を開く気力がわかなかった。

 身体にも力が入らない。ものを考えるのも億劫だった。 

「どうする、直接、サウス・カフカースに向かうのか?」

 しかし、そんな俺の尻を叩くようにダンが話しかけてきた。

 俺はダンの細い目に特別の感情が宿っていることに気付いた。

 そうだ。サウス・カフカースは衛星軌道上の軍事拠点であり、俺たちの兵役がスタートした新兵訓練所のある場所であり、ダンの故郷でもあった。

「いや、中隊への連絡が先だ」

 そう言ったものの、適切な暗号通信で本隊とやり取りする集中力を俺は欠いていた。

「ケイ、連絡をお願いできるか?」

 俺は心配そうな表情を浮かべてこちらを見ているケイに頼んだ。

 冷静沈着なケイなら何でも安心して任せられると俺は思った。

「わかった」

 ケイはじっと俺のことを見つめて短く答えた。

「すまない」

《ごちゃごちゃ考えてないで、仕事をしろ!》

 ハサウェイ少尉が今の俺を見たら、きっと叱責するだろう。

 俺は次に何をすべきかを考えながら改めて五名の乗客を見回した。

 見知った顔があった。知らん顔もできなかった。

「その節はお世話になりました。モーガン中尉」

 俺たちよりも一回りくらい年長で目つきの鋭い士官がコワルスキー大尉の横に立っていた。

「知り合いか?」

 コワルスキー大尉の問いかけにモーガン中尉は困惑の表情を浮かべた。

 ほんの短い時間、艦に乗せた新兵のことなど覚えていないのだろう。

「我々は半年ほど前、サウス・カフカースからニュー・トロントに向かう途中、イシュタルに乗せてもらいました」

「ああ、あの時の……」

 ようやく思い出してもらえたようだった。

「じゃあ、戦死した上官というのは、サラ・ハサウェイか」

 モーガン中尉の表情に驚愕と悲しみが同居した。

 ハサウェイ少尉の名前を出されて俺の抑えていた感情が再び漏れ出した。

「はい」

 短い返事も語尾が震えた。

「そうか」

 俺もモーガン中尉も視線を落とした。

 中尉がどうしてハサウェイ少尉のことを鮮明に覚えているのかは知らないが、ハサウェイ少尉を覚えている人がいるというだけで嬉しかった。

「テツ……」

 そんな俺に通信機器を操作していたケイが深刻な視線を送ってきた。

「どうした?」

「第三機甲化中隊と連絡がつかない」

 俺は無人の操縦席の隣に移動すると、索敵システムを使ってスカイ・キリバス周辺の状況を確認した。

 幸い各種センサーや通信装置を搭載して、金星の衛星軌道上に展開している我が軍の監視衛星群は健在らしい。

 俺は他の奴らと情報を共有するために映像を空間投影した。

「味方は?」

 ユリが呆然とつぶやいた。

「くそっ! どうなってるんだ!」

 ダンが吠えた。

 スカイ・キリバス周辺の宇宙空間に展開しているのは地球の艦艇だけだった。

 サウス・カフカースに向けて移動を開始しているはずの味方強行突入艇の姿はどこにも見当たらなかった。

 すでに大気圏突入能力を持つデルタ翼の強襲揚陸艦がスカイ・キリバスに接舷していた。

 無論、地球の艦だ。

 情報は不足しているが嫌な推論しかできなかった。

 俺は呆然としながらも決断を迫られていることに気付いた。

「どうするね」

 コワルスキー大尉だった。

 よく考えればこの場で階級が一番上なのはこの人だ。

 指示するかせめて助言してくれてもいいのではと思った。

 しかし、そんな文句を言っても始まらない。

 このコバンザメは機甲化部隊の訓練小隊が運行管理責任を持っており、コワルスキー大尉たちはお客さんに過ぎない。

 俺は索敵システムを操作して、スカイ・キリバスとサウス・カフカースを含めた広範な宇宙空間で味方を探した。

《第三機甲化中隊はどこに行ったんだ!》

「サウス・カフカースに行くんだよな!」

 ダンの苛立つ気持ちは痛いほどわかる。

 しかし、サウス・カフカースの周辺にはすでに地球の主力艦隊が展開していた。

 味方の艦艇は一隻もいなかった。

 何の策もなく強行突入艇でのこのこ出かけたら、撃沈もしくは拿捕は避けられない。

 この状況であれば、第三機甲化中隊はすでに全滅したと考えるのが自然だった。

 通信に応答がないのはその証拠だ。

 ダンは獰猛な目つきで俺をにらんでおり、ユリは不安そうな表情を浮かべ、ケイは真剣な表情で俺を見つめていた。しかし、そんな目で見られても俺は便宜的な班長でしかない。

「俺に指揮権はない。だから、みんなに提案したい。何の策もなくサウス・カフカースやスカイ・キリバスに行くことは自殺行為だ。このまま、ここにいるわけにもいかない。この強行突入艇には大気圏突入能力はない。結果としてニュー・トロントに戻るしかない」

「逃げるのか! 軍人は戦って死ぬのが本分じゃあないのか!」

 俺の言葉が終るか終わらないかというタイミングで苛立ちを爆発させるようにダンが吠えた。

「テツの判断は妥当だと思う」

 ケイはすかさず同意してくれた。

 俺は避けられる危険はできれば回避したかった。勇敢なことと無謀なことは違うと思う。

 きっとハサウェイ少尉でも俺と同じ判断をするはずだ。俺はそう信じていた。

 ダンの射るような視線が、まだ態度を明らかにしていないユリに向けられた。

「ボクはケイに賛成する」

「くそ!」

 ダンが憎悪の表情で俺たちを睨んだ。

 俺は奥歯をかみしめてユリの方に視線を動かした。

「コバンザメの操縦をお願いできるか? この中では君が一番操縦がうまい」

 ユリは意外そうな表情を浮かべながらも口元を引き締めてうなづいた。

「宇宙都市ニュー・トロントに向かいます。よろしいですか」

 俺は確認するような口調でコワルスキー大尉に声をかけた。彼は疲れたような表情でうなづいた。

 モーガン中尉が真面目な顔で俺を見ていた。ほかの士官たちは安堵のため息をついた。

「なんとかならないのか、おまえ古今東西の戦略戦術に詳しいんだろ」

 ダンが俺の後ろで彼らしくない弱々しい声でつぶやいた。

 最前列の操縦席にユリが立ち、その隣で俺は索敵システムを操り、俺の後ろにダン、その隣にケイが立っていた。

 いくら過去の戦術に少しばかり詳しかったとしても、今、俺たちが置かれている状況はそれで何とかなるようなレベルではなかった。こちらは一〇人に満たず相手は宇宙艦隊だ。

「軌道計算完了、総員安全柵に体を固定。発進する」

 ユリの声が響いた。俺はダンにかける言葉が見つからなかった。

「ちくしょう!」

 腹をすかせた肉食獣のような雰囲気を身体にまとったダンをなだめることができないまま俺たちはニュー・トロントに向かって出発した。


 コバンザメが動き出してしばらくして、俺は後ろを振り返ってダンの様子をうかがった。

 彼はあれ以来一言も発していなかった。うつむき加減の目は虚ろで元気がなかった。

 俺はやはりダンに声をかけることができず小さくため息をついた。

『オレは負けず嫌いだからな』

 口元に不敵な笑みを浮かべたハサウェイ少尉の美しい顔がふと脳裏によみがえった。

 ハサウェイ少尉が生きていたら玉砕戦法は採用しないにしても戦って勝つ方法を必死で考えていただろう。

『戦場にあるものは何でも活用しないとな』

 ハサウェイ少尉の笑顔を脳裏から振り払って視線を前に戻そうとすると、ダンの隣に立っていたケイと目があった。

「ねえ、テツ、歴史上、これと似たような状況に陥った人物はいない?」

 それはいるだろう。負け戦で圧倒的な劣勢に立たされた武将など枚挙に暇がない。

 しかし、ケイが聞いているのはこの状況から逆転に成功した人物はいないかという意味だ。

 ケイまで俺に無理な願いを託すのかと思い少し腹がたった。いくらなんでも期待しすぎだ。

 俺は歴史に名を残した天才軍師でもなければ士官学校出のエリートでもない。

 大規模な戦闘に敗れ、次々に拠点が制圧されて、残る拠点も兵もわずか、国家滅亡の危機に追い込まている……そんな状況で逆転に成功した事例なんて……あるような気がした。

 俺はケイに返事をする代わりに、軍のデータベースへのアクセスを開始した。

「?」

 無言で調べ物をはじめた俺に、ケイは怪訝な表情を向けてきた。

「ごめん、ちょっと調べたいことがあって」

 言い訳をする俺にケイが柔らかい笑顔を向けたような気がした。

 俺の記憶によれば、その逆転劇の事例は紀元前の中国だったはずだ。

 逆転勝利の内容が華々しかったことと、指揮官がもともと軍人ではなく「市場の役人」という戦争にあまり縁がなさそうな男だったことから記憶に残っていた。

 俺は「戦国策」や司馬遷の「史記」を確認した。

 あった。紀元前三世紀ごろの春秋戦国時代、場所は斉の国だ。(中国の黄河河口付近、後の山東省のあたり)

 燕の国(後の北京周辺)の楽毅将軍が斉の国の主力部隊を打ち破り斉の国に侵攻した。

 楽毅将軍は斉の数十の城塞都市を次々に攻め落とし、斉の国で抵抗を続けるのは二つの城塞都市だけとなった。

 そのうちのひとつの城塞都市で守備隊の隊長が戦死したため、急きょ軍を指揮することになったのが市場の役人上がりの田単だ。


 田単は大きく分けると次の四つのことを行った。

 一 偽情報により楽毅将軍と燕の国王を仲たがいさせること

 二 偽情報を活用して自軍の士気を高めること

 三 偽情報を与えて敵を油断させること

 四 炎によって牛の大群を暴走させ敵陣に突入させること


 詳しい内容は次の通りだ。

 もともと楽毅将軍を重用していた燕の昭王が死去し、新たに国王に即位した恵王と楽毅の仲が悪い事を知った田単は燕の国にスパイを送り込んだ。

 そして『楽毅将軍が残る二つの城塞都市をすぐに攻め落とさないのは、自ら斉王になる野心があるからだ』との偽情報を流して強敵である楽毅将軍を失脚させた。

 次に田単は城内の結束を促すよう考え『城内の兵士は捕虜になると鼻をそがれると恐れている』『城内の人々は城の外にある祖先の墓を荒らされないかと恐れている』という偽情報を敵軍に流した。

 敵将が城内の人々の士気を低下させようと偽情報通りの行動をとると、城内の兵士は降伏を恐れるようになり、また、城内の市民たちも祖先を辱められた恨みから団結し、士気は大いに上がった。

 出撃の機が熟したと判断した田単は、敵軍からよく見える城壁の上に女子供や老人を何日間か立たせ、まともな兵士が減っているように装ってから降伏の使者を派遣した。

 さらに樂毅将軍の後任の将軍に対し、城内の富豪から『降伏しても妻や財産などに手を出さないで欲しい』との申し出を行わせた。

 燕軍は勝利が近いことを信じ、すっかり油断して宴会を始めた。

 田単はその夜、千頭あまりの牛を用意し、派手な模様の布を被せ、角には刀剣、尻尾には松明をそれぞれ括り付けた。

 そして、あらかじめこっそりと造っておいた裏口から夜中に城壁の外に連れ出し松明に火をつけた。

 尻を焼かれ怒り狂う牛を敵陣へと誘導すると、すっかり油断して酒に酔って眠っていた燕軍は奇怪な姿の牛の突進に驚き、兵士たちは次々に角の剣で刺し殺されたり、踏み殺されたりした。

 数千人の兵もこれに続いて無言のまま猛攻をかけ、さらに民衆も銅鑼や鐘を打ち鳴らし混乱を煽った。そのため燕軍は大混乱に陥り敗走した。


 この牛を暴走させる戦法は「火牛の計」と呼ばれ、少ない戦力を補うための戦術として、その後も使用されたらしい。

 平安時代の日本でも倶利伽羅峠の合戦で、木曽義仲が平家の軍勢に対して使用したと伝えられている。

 田単も木曾義仲も牛を使ったが、この戦術と同様の成果を上げるにあたっては必ずしも牛を使う必要はない。俺は牛の代用品を思いついた。

 しかし、こちらの戦力は絶望的に少ない。田単の例では数千人の兵士が牛の突入で混乱している敵陣に斬りこんだ。地球艦隊に一泡ふかせるには別の戦術が必要だ。

 俺の頭の中で火牛の計を補うアイデアが次々に湧き上がった。

 俺は自分の頬が緩むのを自覚した。きっと薄気味の悪い笑みを浮かべていたに違いない。

 しかし俺の突拍子もないアイデアを現実のものにするためには、いくつものハードルを越える必要があった。

「モーガン中尉、質問してもよろしいですか?」

 俺は勇気を振り絞り、離れたところに立っていた知り合いの中尉に声をかけた。

 馬鹿げたことかもしれないが俺は逆転の可能性を確認せずにはいられなかった。

「なんだ」

「皆さん五名だけで宇宙戦艦を操ることはできますか?」

 ダンとケイの視線が俺に集まった。ダンの細い目に希望の光が灯った。

「テツ、何か思いついたのか?」

「どういうことだ」

 モーガン中尉はいぶかしげな表情を浮かべた。

「もしも、我々が強行突入艇を使って敵艦を制圧したら、その敵艦を操ってひと暴れすることはできますか」

 俺はアイデアの一つを口にしてみた。かなり無茶な質問をしているとの自覚はあった。

 人工知能で省力化が進んでいるとはいえ小型艦でも二〇人から三〇人の乗員が必要といわれている。

「五名しかいないんだぞ、満足な運用などできるわけがないだろ」

「ひと暴れ程度なら、できるんじゃないかな」

 真面目な表情で即座に否定するモーガン中尉に対して、彼の後ろにいた眼鏡の女性士官が異を唱えた。

「キニスキー准尉!」

「だって、今ここにいる五名の内訳は操艦担当二名、火器担当二名、索敵担当一名だよ。長期の運用は無理でも敵艦を動かして大砲を撃つぐらいのことはできると思うよ」

 モーガン中尉が目を怒らせて後ろを振り返ったが、キニスキー准尉と呼ばれた女性士官に悪びれる様子はなかった。

「詳しい話を聞かせてもらおう」

 かすれた声で会話に参加してきたコワルスキー大尉の目には鋭い光が宿っていた。

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