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問四:手段を見つけなさい。


 本棚は大きく、特定の本を見つけ出すのは困難だったろう。だが四人が協力すればいくばくか困難は軽減される。

 捜索面積が四分の一になったことで、その本はすぐに見つかった。

 顔を輝かせて皺を伸ばしたのは老人だった。その右手には「量子力学解説」という、小難しい理論を割りと噛み砕いて説明してくれるという売り文句の本がある。


「やった! でも、そこにシュレディンガーの猫について載ってるの?」

「量子力学を簡単に説明するとなれば、第一に例に出されるのはアレじゃから、心配はいらんじゃろうな」


 奥の方で捜索していたスーツの青年とカップルの男も集まり、床に置かれた本を四人で覗き込む。まるで餌に群がる家畜のような光景だが、外聞を気にしなくなるほどまでに追い詰められている、という事なのだろう。

 監禁とは、実に奇妙なほど圧迫感がある。ただ自発的に自分の部屋に篭って一日過ごすのとは違う。そこがたとえ自分の部屋だったとしても、「監禁」の二文字が付随すれば理由もなく不安が押し寄せるものなのだ。


「内容は把握してる。箱に猫と毒液カプセルと放射性物質を入れて、放射線が検知されたらカプセルが開く。箱の中の物質がいつ放射線を出すかは分からない。だから猫が生きているか死んでいるかも分からない。だから生きている可能性と死んでいる可能性があって、それらが重なってる……。でもこの思考実験は一体何のために行われたんだ? こんな事実際には起こるはずないのに」


 男の質問に、青年はページをめくって指差す。


「まさにそれなんだ。『あり得ない』ことを示すためにエルヴィン・シュレディンガーはこの実験をした。だって、『猫が生きているか死んでいるかなんて分からない』のはまだ理解できても、『だから生きているし、死んでいる』という理屈にはならないだろう?」

「でも大真面目にこんな本になってるのよね。その量子力学が」

「つまり一〇〇%あり得ない、とは言い難い訳じゃな。何が起きているかは分からないのだし。ミクロな素粒子で起きるこの不思議な理論が、それを沢山繋いだ我々の大きな世界でも起こらないとは断言できない」


 結局、この部屋は何なのだろうか。間違いなく猫の入った箱をイメージしているのは分かる。蒸留水のタンクは毒液カプセルを模しているのかもしれない。

 こうなると、彼ら四人は箱に詰められた猫なのだろうか。教授から見れば、四人は現在生きているか死んでいるか分からない状態だ。つまり「向こう」では可能性の重なりが解けていない。

 だとすると、この場合の観測者は誰になるのだろう。

 観測者が観測することで事象が確定し、猫の生死が決まる。


「…………おい」

「どうした若人」


 スーツの青年は何かに気づいたように、本をまじまじと眺めた。


「この場合観測者は、本当に教授なのか? だって、観測して外の事象を確定させるのは俺たちだろう? つまり、俺たちが観測者とも言える。この部屋はシュレディンガーの箱を逆さまにしたトラップなんじゃないのか?」


 箱を裏返した、と言えば分かりやすいだろうか。観測者自らが箱に入り、外の世界の可能性は重なり合う。

 まさしく合致していた。状況に一致している。

 教授の視点から見れば、四人は箱の中の猫、すなわち本来のシュレディンガーの猫の状態にあるはずだ。視点を変えれば観測者も変わる。

 これもまた、量子力学の「重なり」というやつなのか。


「逆さまの、罠か。でもこの実験だと、少なくとも箱の中では普通の物理法則が成り立ってる。放射線の速度だったり、猫が毒液で死んだりするように。つまりこの中では特異な現象は起こらない。外は別として」

 スーツの青年はポケットから何かを取り出した。

「この携帯電話。これが通じるかどうか、が外の状況に影響するかもしれない。シュレディンガーの猫だって、猫が消え去ってしまう可能性もゼロじゃないんだ。何らかの外へのアクセスが取れれば、ここが大学の構内という証明にはなる。……少なくとも地球にいることには」


 本来ならもっと早く考えるべき手段だったが、焦ると人間の思考は上手く回らないものだ。

 電波さえ通じることが分かれば(厳密には宇宙のどこでも到達するが、時間的な問題で)そこが少なくとも地上であることになる。携帯電話の基地局が近くにない場所にいたとしても、無線で信号を受信してくれるかもしれない。


 一縷の望みは、本から携帯電話に移された。

 そこから放射される電波は、シュレディンガーの猫において何を示しているのだろうか。

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