極東の国家
1930年代からすでに大日本帝国の暴走が始まっていた、
1931年に軍部は政府の反対を押し切り、
満州事変を強行、
清王朝最後の皇帝を立て広大な荒野に満州国を建国、
1936年には軍部大臣現役武官制が復活し、
シビリアンコントロールが失われ、
日本政府はすでに形骸化し、
歯止めが効かなくなり、
日中戦争が開戦、
米国による対中国支援ルートが形成された、
だがある時好機は訪れた、
日本の反対側で第二次世界大戦が開戦、
米国は日本の進駐に対して強く反発し、
対日制裁を強化して行った、
次第に増す禁輸政策により日中戦争が困難になるのは明白だった、
1941年から日本は米国との本格的な交渉を開始した、
太平洋を手中に収めたい米国と、
日中戦争打倒を掲げる日本との、
日米交渉が始まったが、
七月に軍部の暴走により南インドシナへ進駐、
米国は自国の要望を無視されたと判断し、
日本に対しての石油輸出を全面禁止にした、
日本は次第に追い詰められ、
米国のハルノートにより、
日本の要望が全面的に却下された事から、
軍部は開戦を決意した、
1941年12月8日に大日本帝国海軍はハワイの真珠湾に攻撃した、
太平洋戦争の幕開けだった、
日本は同日にマレーシアに瞬く間に進撃、
数ヶ月後には東洋のジブラルタルと称された、
旧英国大要塞であるシンガポールを攻略、
その後も連勝を続け、
1942年5月には東南アジアの大部分を占領、
この間に米国と英国との北大西洋海戦が発生、
英国の主力艦隊と引き換えに痛み分けとなった、
この間に日本はフィリピンの占領も完了、
だが同年6月5日にミッドウェー海戦が勃発、
大日本帝国海軍が大敗、
これにより戦力は半減、
さらにソロモン海戦の敗北、
ガダルカナルの撤退により、
大日本帝国の劣勢は明らかになった、
1943年4月にはブーゲンビル上空で山本五十六長官が負傷、
1944年には戦況はさらに悪化、
2月にはトラック島の航空基地が壊滅、
4月のインパール作戦では大失敗に終わった、
1944年6月北大西洋海戦の戦況がさらに悪化、
今後は本土が狙われてもおかしくは無い、
絶対に敵軍を撃破し勝利を掴め、
各員一層奮励努力セヨ




