第45話 最高の王子様に、永遠の愛を
カラン、カラン、カラン……。
王都の空高く、大聖堂の荘厳な鐘の音が鳴り響いている。
雲一つない見事な青空は、まるで国中がこの日を祝福してくれているかのようだった。
「うぅっ、ぐすっ……リリアーナ……私のかわいいリリアーナぁぁっ……!」
大聖堂の奥にある特別控室。
厳かな雰囲気に包まれるべきその場所で、私のお父様であるローゼンフェルト伯爵は、手首が千切れんばかりの勢いでハンカチを握りしめ、顔をぐしゃぐしゃにして号泣していた。
「お父様、お願いですから泣き止んでくださいませ。せっかくの第一礼装が涙と鼻水で台無しになってしまいますわ」
「旦那様、お嬢様……いえ、未来の王太子妃殿下がお困りでございます。どうかお気を確かに」
私と侍女のミレーヌが両脇から必死に宥めるものの、お父様の涙腺は完全に崩壊してしまっていた。
「だ、だって……! あんなに小さかったお前が、まさか男装して王宮の危機を救い、あまつさえ次期国王陛下に見初められて嫁ぐ日が来るだなんて……っ! 美しすぎるぞ、リリアーナ!」
「お父様……」
私は苦笑しながらも、ドレスの裾を少し持ち上げ、お父様の肩を優しく撫でた。
私が今日身に纏っているのは、幾重にも重なる最高級の純白のシルクに、お母様の形見である『白薔薇のレース』をあしらった、特製のウェディングドレスだ。
頭には、王家に伝わる繊細なティアラが輝き、長いレースのトレーン(引き裾)が床に美しく広がっている。
かつて、最初の宮廷茶会の前夜。
お父様から「今日からお前がリオンだ」と告げられ、漆黒の男物の礼服を押し付けられた日のことを思い出す。
あの時は、絶望で目の前が真っ暗になったけれど。
(あの三ヶ月があったからこそ、私は殿下に出会い、本当の自由と幸せを見つけることができたのよね)
前世で男役トップスターだった私が、異世界で念願の令嬢に生まれ変わり、またしても男装して剣を振ることになるなんて、何の冗談かと思った。
けれど、あの『リオン』として駆け抜けた日々は、決して無駄ではなかったのだ。
「――お時間でございます、リリアーナ様。伯爵閣下」
控室の扉がノックされ、神官の静かな声が響いた。
いよいよだ。
「さあ、お父様。私の手を取ってくださいな。……今日こそ、絶対に転ぶわけにはいきませんからね」
「ううっ、ああ……! 任せなさい、お前の花道は、この父がしっかりとエスコートしよう」
お父様は涙を乱暴に拭うと、背筋を伸ばし、右腕を差し出してくれた。
私はその腕にそっと手を添え、小さく深呼吸をしてから、控室の扉を抜けた。
◇◇◇
キィィィ……ンッ。
大聖堂の重厚な両開きの扉が、ゆっくりと開かれた。
パイプオルガンの荘厳な調べが、高い天井に反響して降り注いでくる。
ステンドグラスを通した七色の光が、長く続く純白のバージンロードを美しく照らし出していた。
「……おおぉっ」
私が一歩を踏み出した瞬間、参列席を埋め尽くす大勢の貴族たちから、感嘆のため息が漏れたのがわかった。
私は、お父様の歩調に合わせ、ゆっくりと、優雅に歩を進める。
前世から培ってきた、見られることを前提とした完璧な姿勢。そこに、愛する人の元へ向かうという純粋な喜びが加わり、私の足取りは羽のように軽かった。
参列席には、懐かしい顔ぶれが並んでいた。
私に向かって誇らしげに微笑み、扇を揺らすセラフィーナ公爵令嬢。
その隣で、すっかり頼もしい青年の顔つきになった第二王子のジュリアン殿下。
第一騎士団の席では、クラウス副団長たちが目元を赤くして(なぜか彼らも泣いていた)直立不動で私を見送ってくれている。
そして、祭壇のすぐ脇、一番目立つ場所には。
王太子の筆頭側近の証を胸に輝かせた本物の兄、リオンが立っていた。
兄は私と目が合うと、悪戯っぽく片目をつむり、親指を立てて見せた。
(お兄様ったら。相変わらずね)
私はベール越しにクスリと微笑み返し、そして、真っ直ぐに前を向いた。
祭壇の中央。
そこには、純白の礼服を纏い、銀色の髪を美しく整えた、この世の誰よりも気高く美しい男性が立っていた。
私の愛する人。王太子、アレクシス殿下。
彼の青灰色の瞳は、扉が開いた瞬間からずっと、私だけを真っ直ぐに、熱く見つめ続けている。
その視線の強さに、私の胸の奥が甘く、激しく高鳴った。
やがて、お父様と私の歩みが祭壇の前に届く。
お父様は、私の手をそっと離し、アレクシス殿下に向かって深く一礼した。
「殿下。……どうか、我が娘を、よろしくお願いいたします」
「ええ。命に代えても」
殿下は短く、けれど絶対の誓いを込めて答え、私に向かって右手を差し出した。
大きくて、温かくて、何度も私の背中を守ってくれたその手。
私は、震える指先で、殿下の手を握り返した。
「……息が止まるかと思った」
祭壇の階段を上り、神官と向き合うまでの僅かな時間。
殿下が、誰にも聞こえないほどの低い声で、私の耳元に囁いた。
「今日の君は、私がこれまで見てきたどの君よりも、圧倒的に美しい。……本当に、このまま奪い去って、誰の目にも触れさせたくないくらいだ」
「まあ。式が始まる前から、そんなに甘い言葉を囁かれては困りますわ。私が、誓いの言葉を忘れてしまったらどうするのですか?」
「その時は、私が君の分まで誓おう。……私の全ては、君のものだと」
殿下の情熱的な言葉に、私は顔が熱くなるのを隠しきれなかった。
やがて、神官による厳かな儀式が始まり、私たちは永遠の愛を誓い合った。
前世で男役スターとして、数え切れないほどの甘い愛のセリフを口にしてきた私。
でも、今世で、自分自身の本当の言葉として紡ぐ誓いは、どんなに美しい台詞よりも尊く、重いものだった。
「……健やかなる時も、病める時も。共に歩み、共に支え合うことを誓いますか?」
「誓います」
「誓いますわ」
私たちの声が、大聖堂に綺麗に重なって響く。
殿下がそっと私のベールを上げ、その大きな両手で、私の頬を優しく包み込んだ。
「リリアーナ。私の姫」
「アレクシス様。……私の、エスコートを、一生お任せしますわ」
私がとびきりの笑顔でそう告げると、殿下は幸せそうに目を細め、ゆっくりと顔を近づけてきた。
重なる唇。
大聖堂を包み込む、割れんばかりの拍手と歓声、そして祝福の鐘の音。
誰かを守り、完璧な王子様を演じ続けてきた私の魂は。
こうして、世界で一番不器用で、誠実で、最高の王子様の腕の中で、本当の意味で満たされたのだ。
◇◇◇
「わぁぁぁぁぁっ!!」
「殿下! 妃殿下! おめでとうございます!」
儀式を終えた私たちは、大聖堂のバルコニーに立ち、広場を埋め尽くす王都の民衆たちに向かって手を振っていた。
降り注ぐ花びらと、熱狂的な歓声。
「すごい熱気だな。君が幻灯魔法で王宮を救った英雄だという噂が、すっかり広まっているらしい」
私の隣で、殿下が苦笑しながら手を振る。
「ふふっ。ただの『か弱いお姫様』ではなくて、少し申し訳ありませんが」
「とんでもない。私には勿体ないほどの、最強の伴侶だよ」
殿下が私の腰を抱き寄せ、私はその胸にそっと身を預けた。
私の夢だった、ドレスを着て王子様に手を取られる「お姫様」。
その夢は叶った。
でも、私はただ守られるだけの存在にはならない。
時にはこの手で彼を支え、時には魔法で背中を守り、彼と共にこの国を導いていく。
姫であり、騎士でもあり、そして最高の共犯者として。
「さあ、行こうか。私たちの新しい人生へ」
殿下の言葉に、私は心からの笑顔で頷いた。
私の人生という舞台は、ここからが本当の幕開けだ。
どんな困難が待ち受けていようとも、この手を取ってくれる人がいる限り、私はもう何も恐れない。




