第41話 皆様の声が、私の誇りです
「――違う。彼女は、偽物なんかじゃない!」
第二王子ジュリアン殿下の、震えながらも必死に絞り出した叫びが、静まり返った大広間に響き渡った。
これまで、常に誰かの背後に隠れ、宰相グレゴールの顔色を窺って生きてきた気弱な少年。
その彼が、自らの足で立ち、大勢の貴族たちの前で私を庇うように両手を広げている。
「なっ……ジュリアン殿下! 何を血迷っておられる!」
宰相グレゴールの顔が、怒りと屈辱で真っ赤に染まった。
自分が意のままに操れると思っていた「気弱な操り人形」からの、突然の反逆。
それは彼のちっぽけなプライドを、粉々に打ち砕くには十分すぎた。
「王族の恥晒しめ! 女のたぶらかしに乗り、己の立場も忘れて味方をするとは! ええい、第一騎士団は何をしている、早くこの大罪人たる娘を捕らえ……!」
「いいえ、ジュリアン殿下の仰る通りですわ」
宰相の怒声を切り裂くように、凛とした声が上がった。
人垣を静かに掻き分け、優雅な足取りで前に進み出てきたのは、深紅のドレスを纏った美しい令嬢――セラフィーナ公爵令嬢だった。
「セラフィーナ様……」
彼女は私の前で立ち止まると、かつて私が男装姿で彼女の心を救った時と同じような、強く、気高い微笑みを浮かべた。
「宰相閣下。私は、リリアーナ様に……いえ、あの時『リオン様』として私の前に立ってくださった彼女に、心を、そして人生を救われました」
セラフィーナ様は、扇をピシャリと閉じて、宰相を真っ直ぐに見据えた。
「彼女が男であろうと女であろうと、そんなことは些末な問題です。彼女の思いやり、気高さ、そして誰かを守ろうとするそのお心は、この国のどの騎士よりも本物ですわ。……彼女を大罪人などと呼ぶことは、この私が許しません!」
公爵令嬢の力強い宣言。
それに呼応するように、今度は大広間の入り口から、野太い声が轟いた。
「全くだぜ! 女だからって、何が悪いってんだ!」
漆黒の甲冑を鳴らしながら一歩前に出たのは、第一騎士団のクラウス副団長だった。
彼の背後には、地下の制圧作戦を共に戦い抜いた、屈強な騎士たちがズラリと並んでいる。
「俺たちは、演習場で彼女と木剣を交えた! 地下の魔力の嵐の中で、彼女の魔法に背中を守られた! 女だろうが何だろうが、俺たちは彼女の強さを知っている!」
「そうだ! リオン殿は……いや、リリアーナ嬢は、俺たちの誇りだ!」
騎士たちが次々と剣の柄を叩き、賛同の雄叫びを上げる。
それを皮切りに、大広間の空気が一変した。
かつて私が王宮で助け、優しい言葉をかけた令嬢たちが。
私の仕事ぶりを見ていた文官たちが。
次々と「彼女は偽物ではない」「私たちを救ってくれた」と声を上げ始めたのだ。
「……あ、ああ……」
私は、両手で口元を覆い、溢れ出しそうになる涙を必死に堪えた。
私がこの三ヶ月間、必死に演じてきた『完璧な王子様』。
それは、前世で培った単なる演技だったかもしれない。
けれど、その演技を通して私が彼らに向けた思いやりや、守りたいと願った心は、決して嘘ではなかった。
(皆様……ありがとう、ございます……)
役ではなく、私自身の行動が、彼らの心を動かした。
その事実が、私の胸を熱く、誇らしく満たしていく。
「おのれ……おのれぇぇぇっ!!」
四面楚歌となり、完全に孤立した宰相グレゴールは、ついに狂気に満ちた悲鳴を上げた。
彼の計画は全て崩れ去った。権力を握る夢も、私をスケープゴートにする企みも。
追い詰められた悪党に残されたのは、ただの破壊衝動だけだった。
「貴様ら全員、道連れにしてやるッ!!」
宰相は、夜会服の懐から、不気味な紫色の液体が塗られた短剣を抜き放った。
そして、血走った目で周囲を睨みつけ、一番近くに立っていたジュリアン殿下に向かって、猛然と突進した。
「ジュリアン殿下ッ!!」
私が叫び、ドレスの裾を翻して飛び出そうとした、その瞬間。
――ガキィィィィンッ!!
火花が散り、甲高い金属音が大広間に響き渡った。
ジュリアン殿下の目の前に、いつの間にか灰色の外套を脱ぎ捨てた長身の青年が立ちはだかっていた。
本物の兄、リオン・ローゼンフェルト。
彼は、手にした騎士剣で宰相の短剣を正確に弾き飛ばすと、そのまま流れるような体捌きで宰相の腕を捻り上げ、大理石の床に力強く叩き伏せた。
「ぐはっ……! き、貴様ぁ……!」
「……よくも、俺の大切な家族と国をコケにしてくれたな、グレゴール」
兄の口から、低く、かすれた声が紡がれた。
「お、お兄様! 声が……!」
「ああ。国境で手に入れた解毒薬が、ようやく効いてきたらしい」
兄は、宰相を床に押さえつけたまま、私に向かってニヤリと笑いかけた。
その顔は、私が鏡で見ていた『完璧な貴公子』の顔とは少し違う。少し泥臭くて、不器用で、けれど誰よりも頼もしい、私の本当の兄の顔だった。
「俺の大切な妹と、この国に……これ以上、指一本触れさせるものか」
兄の力強い宣言に、クラウス副団長率いる騎士たちが一斉に駆け寄り、宰相を完全に拘束した。
「そこまでだ、グレゴール」
騒ぎが収束した広間の中央に、アレクシス殿下が静かに歩み出た。
その青灰色の瞳は、絶対零度の冷たさを帯びて、床に這いつくばる宰相を見下ろしている。
「古代遺物の暴走による国家転覆未遂。長年にわたる横領と資金洗浄。そして、王族への刃向かい。……極刑は免れん。連行しろ」
「はっ!!」
騎士たちに両脇を抱えられ、宰相は無様に喚き散らしながら大広間の外へと引きずり出されていった。
ドン、と重厚な扉が閉まり、宰相の声が完全に聞こえなくなる。
数秒の静寂の後。
わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
大広間は、割れんばかりの大歓声と拍手に包まれた。
長きにわたって国を蝕んできた大きな闇が、今、完全に払われたのだ。
「終わりましたわね、お兄様」
私は、安堵の息を吐き出しながら、立ち上がった兄に歩み寄った。
「ああ。お前には、とんでもない苦労をかけたな。……すまなかった、リリアーナ。そして、ありがとう。お前が王宮を支えてくれたおかげで、俺は証拠を掴むことができた」
兄は、照れくさそうに私の頭をポンポンと撫でた。
少し腹立たしい失踪の始まりだったけれど、今はこの不器用な兄を許してあげてもいい気がした。
――しかし。
兄妹の感動の再会は、背後から伸びてきた大きな手によって、あっさりと遮られた。
「感動のところすまないが、リオン。君の妹君は、少々働きすぎたようだ。これからは私が彼女の面倒を見よう」
「え? アレクシス殿下……!?」
振り返る暇もなく、私は背中から、アレクシス殿下の広い胸の中にすっぽりと閉じ込められた。
大勢の貴族たちが注目する、大広間のど真ん中。
煤けた純白の夜会服を着た次期国王が、同じく煤けた真珠色のドレスを着た私を、誰の目も憚らずに強く抱きしめている。
「で、殿下!? 皆様が見ていらっしゃいますわ!」
「見せておけばいい。……私はもう、一秒たりとも君を離すつもりはないからな」
殿下は、私の耳元で極上の甘い声で囁くと、そのまま私の右手をそっと取り、その甲に深く、熱い口付けを落としたのだった。




