第39話 私の魔法は、愛する人を守るための盾です
「リリアーナッ!!」
アレクシス殿下が私を庇うように立ち塞がった直後。
古代遺物から放たれた赤黒い魔力の奔流が、轟音と共に私たちを完全に飲み込んだ。
視界が真っ白に染まり、耳を劈くような爆音と凄まじい衝撃波が地下空間を駆け抜ける。
普通なら、骨の一本も残らず炭化して吹き飛ばされているところだ。
――しかし。
「……殿下。無茶をなさらないでくださいと、先ほど申し上げたはずですわ」
爆煙が晴れた後。
無傷のまま立ち尽くす殿下の背後から、私は小さく息を吐きながら声をかけた。
「リリアーナ……? 君、無事か!?」
殿下が慌てて振り返り、私の両肩を掴んで全身を確かめる。
「ええ。ドレスの裾が少し焦げてしまいましたけれど、怪我はありません」
私は、展開したままの幻灯魔法の盾をスッと解除した。
魔力の奔流が直撃するその一瞬。
私は殿下の背中にしがみつきながら、光の屈折だけでなく、周囲の『影』を収束させて物理的な干渉をそらす「鏡の結界」を全方位に展開していた。
それは、前世の舞台で眩しすぎるスポットライトの熱から娘役を守るために、無意識に身につけていた空間把握と視線誘導の魔法の、究極の応用だった。
「全く、心臓が止まるかと思ったぞ……! 私の傍から離れるなと言っただろう!」
「離れておりませんわ。殿下の背中に、しっかりとしがみついておりましたもの」
私がクスリと微笑むと、殿下は安堵と怒りが入り混じったような表情で、私を強く、痛いほどに抱きしめた。
「君という女性は……本当に、私の寿命を縮める天才だな」
「光栄ですわ、私の王子様」
私たちが言葉を交わした、その時。
「――お熱いところ悪いが、まだ終わっちゃいないぜ、お二人さん!」
地下空間の入り口から、クラウス副団長の野太い声が響いた。
見れば、傷だらけの甲冑を着た第一騎士団の精鋭たちと共に、一人の青年が駆け込んでくるところだった。
灰色の外套を羽織り、口元を隠しているが、その金色の髪と菫色の瞳は、鏡で見る私の男装姿――いや、私自身と瓜二つ。
「お兄様っ!?」
国境で宰相の不正を追っていたはずの双子の兄、リオン本人だった。
兄は、声を出すことができないため、手にしたチョークで近くの瓦礫に素早く文字を書き殴った。
『無事でよかった、リリアーナ。殿下も』
『証拠は全て揃えた。宰相の資金洗浄と、私兵育成の決定的な帳簿だ。これで奴は完全に終わりだ』
兄が外套の懐から取り出した分厚い革表紙の束を見て、殿下は深く頷いた。
「よく生きて戻ってくれた、本物のリオン・ローゼンフェルト。君の働きには、この国を代表して感謝する」
『礼は後だ。まずはあのバカでかい石っころを黙らせるぞ』
兄は、再び明滅を激しくし始めた古代遺物を指差し、チョークを走らせた。
『遺物の動力の核は、正面の台座ではなく、裏側の結晶の付け根だ。俺が国境で捕まえた宰相の手下がそう吐いた』
『だが、あの魔力の嵐の中を裏側まで回り込むのは至難の業だ』
「私が道を作ります」
私は、迷うことなく一歩前に出た。
ドレスは煤で汚れ、結い上げていた髪も一部が解けて肩に掛かっている。
だが、今の私の瞳には、前世で幾多の舞台を成功に導いてきたトップスターとしての、完璧な自信と闘志が満ちていた。
「私の幻灯魔法で、遺物から放たれる魔力の乱気流を光の屈折で切り裂き、安全な『花道』を作ります。……殿下、その間を駆け抜けて、裏側の核を破壊していただけますか?」
「……一歩間違えれば、君の魔力が弾け飛ぶぞ」
「私のエスコートを信じてくださいませ。一度だって、相手を転ばせたことはありませんわ」
私がウインクをして見せると、殿下はフッと口角を上げ、手にした細身の短剣を構え直した。
「分かった。私の命、君の魔法に預けよう」
「行きますわよ!」
私は両手を大きく広げ、残された魔力を全て解放した。
大気を震わすような魔力の光が私の全身から溢れ出し、古代遺物が放つ赤黒い嵐に向かって、一直線に伸びていく。
「――開け!」
私の叫びと共に、幻灯魔法が光の刃となって魔力の嵐を左右に切り裂いた。
まるで舞台の幕が開くように、暴走するエネルギーの中心に、一直線の安全な道が確保される。
「今です、殿下ッ!」
「おおおおおっ!!」
殿下が、純白の夜会服を翻し、私が作った光の花道を風のような速度で駆け抜けた。
左右から迫り来る魔力の刃を、私の魔法が間一髪で弾き飛ばす。
瞬きする間もない攻防。
殿下は古代遺物の裏側へと回り込み、台座の付け根にある黒く濁った結晶の核を目掛けて、王家伝来の短剣を渾身の力で突き立てた。
ガキィィィィンッ!!
甲高い金属音と、ガラスが砕け散るような澄んだ音が地下空間に響き渡る。
その瞬間、古代遺物から放たれていた赤黒い魔力の奔流が嘘のようにピタリと止まり、巨大なクリスタルは本来の透明な色を取り戻して、沈黙した。
「……やった」
私は、極度の魔力消費による目眩を感じて、その場に膝をつきそうになった。
「リリアーナ!」
殿下が駆け戻り、倒れそうになる私の身体をしっかりと抱き止めてくれる。
「やりましたわね、殿下。王宮は……無事ですわ」
「ああ。君の魔法のおかげだ。素晴らしいエスコートだった」
殿下が私の額に熱い口付けを落とし、私は安堵の微笑みを浮かべた。
ただ守られるだけの、か弱いお姫様にはならなかった。
私は自分の力で、愛する人と国を守るための盾になることができたのだ。
「――喜んでいるところ悪いが、まだ終わっちゃいない」
クラウス副団長が、険しい顔で周囲を見回しながら言った。
「宰相グレゴールの姿がどこにもない。奴の側近どもは捕らえたが、肝心の首魁が逃げやがった」
その言葉に、兄のリオンが真剣な顔でチョークを走らせる。
『奴は、ただ逃げるような男じゃない。全ての罪を他人に擦り付け、自分だけは正しいと信じ込んでいる狂人だ』
『必ず、地上の大広間で最後の足掻きをするつもりだ。王家を公の場で貶めるために』
「……逃がすわけにはいきませんね」
私は、殿下の腕の中からゆっくりと立ち上がった。
真珠色のドレスは煤け、所々が破れかけている。
けれど、私は背筋をピンと伸ばし、誇り高く微笑んでみせた。
「大広間には、まだお父様や、何も知らない貴族の方々が残っていますわ。……私たちの白薔薇舞踏会に泥を塗った無礼者に、相応の引導を渡して差し上げませんと」
「君は、本当に底知れない女性だな」
殿下が、私の煤けた頬を愛おしげに撫でながら、不敵な笑みを浮かべた。
「行こう、リリアーナ。私たちの舞台の、最後の幕引きだ」
「はい、殿下」
私は、殿下が差し出してくれた手をしっかりと握り返した。
王宮地下の闇を払った私たちは、最後の決着をつけるため、全ての始まりである地上の大広間へと歩みを進めた。




