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第4話 慈母の微笑み

 勇者エルヴァンの乱心。

 のちにそう呼ばれることになる事件の経緯は、翌日にはジルニッツ王城の知るところとなった。とはいえ、事が事だけに一部の上層部だけに共有されるにとどまり、情報が城外へ漏れないよう細心の注意が払われた。


 公式の記録によれば、顛末はこうだ。

 国王フリードリヒの側妃、オリーヴィア。彼女の後ろ盾になっている派閥貴族の一部が暴走し、勇者エルヴァンを焚き付けて正妃であるコルネリアを亡き者にしようとした。

 しかしエルヴァンは返り討ちにあい墜死。王妃の護衛騎士が十三名殉職したものの、暗殺自体は未遂に終わり事なきを得た。

 

 首謀者はオリーヴィア派に属する中位貴族の三名。事件の翌日には警邏により捕縛され、現在も厳しい取り調べを受けている。

 かくして、勇者エルヴァンは「乱心した逆賊」として歴史に刻まれることになった。


 実行犯は死亡。首謀者も捕縛された。これで事件は一件落着――と思いきや、現実はそう上手く運ばない。なぜなら、首謀者が属する派閥の旗印がオリーヴィアだからである。

 ここジルニッツ王国の刑法では、貴族が犯した犯罪には連座が適用される。ゆえに、オリーヴィアも責任の追及は免れない。

 

 繊細な対応が求められる喫緊の課題。

 ジルニッツ王城の会議室では、朝からずっと終わりの見えない話し合いが続けられていた。




「しかし……よりによって、なんてことを仕出かしてくれたのだ……」


 気苦労が絶えないのだろう。四十代前半という実年齢の割に髪の少ない壮年の男。身なりはよく所作も洗練されているが、その顔には疲労の色が濃く見える。

 ジルニッツ王国宰相、ヨッヘム・ハイデンベルグ。この疲れ切った中年男がこめかみを揉みながら視線を横へ向けた。


「本当にな。まさか、こんなことになろうとは……」


 眉間にしわを寄せ、宰相と同様の渋面を晒す男。

 年齢は三十代前半。すらりと背の高い美丈夫が、会議室用の簡易玉座に腰かけたまま天井を見上げた。


 フリードリヒ・ディーター・フォン・ジルニッツ。

 言わずと知れた、ジルニッツ王国第八代国王。この男が居並ぶ側近の一人へ顎をしゃくった。


「法務大臣よ。お前ならばどうにかできるのではないか? なにか策を講じよ」

 

「陛下……罪状は『王妃暗殺未遂』でございます。まさに重罪中の重罪。どう逆立ちしたところで極刑は免れません。処刑、もしくは終身幽閉のどちらかでしょう。法は法。いかに陛下であっても、捻じ曲げることは叶いません」


「なんということだ。あぁ、オリーヴィア……」


「ただし、一つだけ逃げ道がございます」


「なにっ!」


 フリードリヒが色めき立つ。

 それは、地獄に垂らされた一本の細い糸を掴むかのごとき必死さだった。目を見開いて話の続きを促す。


「それは被害者の許しを得ることです。さすれば刑を減免できます。此度(こたび)の被害者は王妃コルネリア殿下。つまり、王妃殿下にオリーヴィア様をお許しいただければよろしいかと」


「う、うぅむ……それは……」


 広がる沈黙。交差する視線。国王のみならず、居並ぶ重鎮たちまで渋面を隠せない。なぜなら、正妃コルネリアと側妃オリーヴィアの関係は衆人の知るところであるからだ。


 開国の祖ルードルフの系譜であり、第二の王室とも言われるベッケンバウアー公爵家。そこから嫁いできたコルネリアは、血も位も正当なる王妃――正妃である。

 にもかかわらず国王は、側妃を囲って入り浸り、先に子を(はら)ませた。


 そんな正妃と側妃の仲が良いわけがない。くわえて、自分を殺そうとした相手をそう易々と許すとも思えなかった。

 いや、むしろ許す方がどうかしている。これまで自分が受けてきた仕打ちを鑑みれば、この機会に排除しようとするのが普通だろう。


 いまさらながらに、その事実を突きつけられた会議室内の面々。

 言うは易し、行うは難し。その状況に誰ともなくため息を吐いていると、突如、入室の口上が告げられた。


 

 視線が集中する。そこへ一人の人物が現れた。

 まだ二十歳(はたち)を過ぎたばかりであろう、うら若き可憐な女性。背はそれほど高くないものの、均整の取れたすらりとした肢体に思わず目が惹かれる。


 顔を見る。そこにはすべてのパーツが完璧な比率で配置されていた。あえて言うなら、真夏の空のように透き通った青い瞳がやや大きい。けれどそれは彼女を少しだけ幼げに見せて、庇護欲をかき立てるものだった。


 側妃オリーヴィア・ペーベル・フォン・ジルニッツ。

 誰もが知る国王最愛の女性にして、正妃コルネリアの仇敵。

 善人であるがゆえに政治に疎く、趣味の刺繡と花壇の世話に親しむ朗らかな人柄は、国王の癒しとして知られていた。

 

 その彼女が専属侍女に付き添われ、おどおどした様子で入室してくる。

 国王の顔にぱっと喜色が広がった。


「おぉ、オリーヴィア。身体は大丈夫なのか? ゆっくりでいい、さぁ、こちらへおいで」


「陛下……」


 オリーヴィアが輝く金色(こんじき)の髪をなびかせ近づいてくる。右手を侍女に引かれ、左手は妊娠三ヵ月の腹を無意識に庇っていた。

 国王の隣に座り、ぎこちなく微笑む。直後に事情聴取が始まった。



 まさに寝耳に水。今回の(たくら)みをオリーヴィアはまったく知らなかったらしい。報告は受けていないし、扇動なんて(もっ)ての(ほか)

 つまりは、己のあずかり知らぬところで勝手にやらかされたということ。


 愛らしくも憔悴しきった幼さの残る美貌。

 それを見た誰もが思った。さすがに、この責を負わせるのは酷だろう、と。

 とはいうものの、法は法、連座は連座である。どこをどうしたって免れる(すべ)はない。あるとすればコルネリアの許しを得るしかなかった。


 会議は踊る、されど進まず。時間ばかりが過ぎていく。

 その時、二度目の入室の口上が告げられた。本日の主役、王妃コルネリアの登場である。



 国王を中心にして、向かって左にコルネリア、右にオリーヴィアが座る。

 オリーヴィア派の実務的な長を務める、父であるペーベル侯爵の姿はここにない。

 呼ばれていないのか、それとも呼べないのか。いずれにせよ彼が娘を守るために動くことすら許されぬ盤面にあると、理解している者だけが知っていた。


 会議が再開する。

 入室してからというもの、コルネリアはオリーヴィアに一瞥さえくれようとしなかった。もちろんオリーヴィアは挨拶をした。おどおど、びくびくと。しかしコルネリアは一方的に無視した。


 もっとも、それは見慣れた光景である。だが、これほどの絶望感を味わったことはなかった。

 無理もない。未遂で終わっているものの、コルネリアは殺されかけたのだから。オリーヴィアの配下の者に。


 会議室に沈黙が流れる。


 前途多難だ。これでは許してもらえるわけがない。果たして、どう説得したものか。


 誰もがそう思ったとき、不意にコルネリアが口を開いた。


「なるほど。事情はよくわかりました。此度(こたび)の件、オリーヴィア様はなにも知らなかったと」


「はい……」


 正妃のことが怖いのか、オリーヴィアは消え入りそうな声で返すのが精一杯だ。国王が机の下からそっと側妃の手を握る。助け舟を出した。


「そうだ。派閥貴族の独断だ。それも閥内での地固めに焦った中位貴族のな」


「存じておりまする。なれど、バーナー伯爵もノイマン男爵も一貫して容疑を否認しているとか。はめられたとまで申しているようですが?」


「犯罪者など、皆そう申すものだ。自分はやってないとな。まぁ、見ておれ。早々に口を割らせるゆえ。どのみち彼奴(きゃつ)らは死罪を免れん。一族もみな処断する。王妃暗殺などという、だいそれたことを仕出かした報いだ」


「頼もしいお方。ならば、そちらは陛下にお任せいたしますわ」


「うむ、任されよ。それで……だ。コルネリアよ」


 国王が顔色を窺うように王妃を見る。

 気位が高くて押しが強い。なにを考えているのかわからない。

 政治的手腕に問題はないものの、やや善人寄りのフリードリヒは婚姻当初からコルネリアが苦手だった。


 それが原因で次第に距離が遠のき、その穴を埋めるため側妃を囲った。

 しかしそれは言い訳にならない。国王たるもの、王妃との間に子を成すのも仕事である。次代に血を繋ぐ。それを怠ったのはフリードリヒ自身なのだから。


 それでも、ここ最近は時々肌を合わせるようになった。遅きに失した感はあるが、コルネリアの方から交渉を持ち掛けてきたのだ。

 オリーヴィアの懐妊に理解を示す代わりに、自分にも子種を注げと彼女は求めた。


 そのせいもあり、このところ正妃との距離が縮まった気がする。相変わらず自己主張は激しいし、理解できないところも多いが、会話が増えたのは気のせいではないだろう。


 コルネリアが夫の言葉に微笑みを返した。


「はい、陛下」


 普段の彼女を知る者なら違和感を禁じ得ない、まるで気性に似合わぬ表情がそこにはあった。

 たとえるなら慈母だろうか。夫と側妃をともに視界に収めながら目を細める。

 一瞬、王が気圧された。側妃の手を握る指に力が入る。


「ほかでもない、オリーヴィアのことなのだが……」


「はい」


 一瞬の逡巡をフリードリヒが咳払いでごまかす。そして続ける。


「彼女はなにも知らなかった。知らされてもいなかった。確かに配下の閥族が仕出かしたことではあるが、閥内での権勢争いが過熱した結果にすぎぬのだ。ゆえに、オリーヴィア自身に落ち度はないと私は思う。どうか?」


「えぇ。そうでしょうとも」


 コルネリアの瞳が細められ、口角が上がる。


「そこでだ、王妃よ。この件に関して――」


「よろしいでしょう」


 みなまで言わせず、言葉を遮る。

 それは一国の王に対する態度としては不敬極まりない。たとえ妻であっても、公式の場ですべきものではなかった。

 けれど咎める者は誰もいない。本来その役目を担う宰相までもが、彼女の笑みに吞み込まれていた。


 沈黙が支配する。誰もが固唾を飲んで王妃の言葉を待った。


「わたくし、コルネリア・ローゼ・フォン・ジルニッツは、オリーヴィア・ペーベル・フォン・ジルニッツを許します」


 聞き間違いだろうか。王はもちろんのこと、居並ぶ重鎮、部屋の隅に控える騎士からメイドに至るまで、すべての者が自身の耳を疑った。


 それはオリーヴィアも同じである。

 どこをどう考えても、正妃が歩み寄るとは思えなかった。ましてや許しなど。

 驚愕に表情が固まる。許された安堵よりも驚きの方が遥かに勝っていた。


 部屋中の視線が集まる。その中心でコルネリアが優雅な所作で立ち上がり、周囲を見渡して口を開く。まるで舞台女優がフィナーレを飾っているようだった。


此度(こたび)の件、確かにオリーヴィア様の落ち度であると言えましょう。閥族の監督は彼女の責務なのですから当然です。なれど、極刑を望むのは如何(いかが)なものかと存じまする」


「コルネリアよ……ならば、いかがせよと……」


 掠れた国王の声。喜ぶのはまだ早い。そう告げていた。


「側妃オリーヴィア様は陛下のお子を宿しておられまする。にもかかわらずその身を処するは、王家の血を絶やす最大の罪となりましょう。私情でそれを損なうつもりはございませぬ。ゆえに、わたくしは彼女を許します。――とはいえ、無罪放免とするのもいささか感情が収まりませぬ」


「……」


「謹慎一ヵ月。その間、離宮より外へ出るのは(まか)りならぬ。陛下のお子の安寧にその身を捧げよ。といったところでしょうか。――のぉ、宰相よ」


 コルネリアがヨッヘムを見る。薄く微笑んでいるが、その瞳には有無を言わさぬ色が滲んでいた。

 身体をやや引き気味に宰相が答える。


「そ、そうですな。そのあたりが妥当かと。被害者であらせられる妃殿下ご自身が仰るのですから申し分ございません。――法務大臣よ、如何か?」


「問題ございません。妃殿下の慈悲に深く感謝申し上げます」


 フリードリヒの身体から力が抜ける。誰から見てもわかるくらいに、だらしなくその身を玉座から滑らせた。

 それには見向きもせずに、コルネリアはオリーヴィアに近づき手を握る。


「心中お察し申し上げまする。なれど、迂闊は迂闊。長として、無能な部下の手綱はしっかり握っておくよう助言いたしますわ。のぉ、義妹(いもうと)どのよ」


 言いながらコルネリアがにっこりと微笑む。その顔を見たオリーヴィアの瞳に涙が滲んだ。


 許してくれた。

 同情してくれた。

 初めて妹と呼んでくれた。

 そして——この腹の子を認めてくれた。


 大いなる安堵とともに訪れる、重なる幸福感。

 その事実にオリーヴィアは、瞬時にして(ほだ)されたのだった。



 会議は終わり、銘々が散っていく。

 その中にコルネリアの姿もある。彼女は騎士長ルッツを従え、自室へ向かって歩いていた。

 もはやその顔には一切の感情は浮かんでおらず、つい先ほどまでの慈母の笑みは噓のようだった。

 コルネリアが振り向くことなく口を開く。


「のぉ、ルッツ。其方、もちろんわかっておろうな? 一蓮托生。墓まで持っていきや」


 言われたルッツは、もはや頷く以外の選択肢が存在しないことを誰よりも知っていた。

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