11 巻き髪の美少女
朝起きて、下に降りてみると人の気配が全くしなかった。
とりあえずダイニングに行ってみる。俺の机の上にはサラダと食パンが置いてあった。その食パンをオーブントースターで焼く。
ちょうどトーストがこんがりと焼けた頃、外に出掛けていたらしい百合乃が帰ってきた。ハーフパンツにシャツというラフな格好で、汗をかき、少し息も荒い。
「おはよ。どこか行ってたのか?」
「ジョギング。私、運動音痴だし体力もないから」
「偉いな」
こんな朝っぱらから、俺には無理だわ。
百合乃は「シャワー浴びてくる」と言って部屋から出て行った。
サンケ学院への初登校日。
制服はサヤカさんが用意してくれていた。
チェックのズボン。白い半袖のワイシャツに赤ネクタイ。その上にベスト。女子の場合、ズボンがスカートに変わるだけでネクタイはそのままだった。
エンブレムは赤い槍と黄色い剣がクロスし、その上にそれらより若干大き目の青い鎌のような物が真ん中に描かれていた。また、周りに細かい刺繍が施されている。よく見てみると、3つの武器の下に薄っすらと白い弓のような物が見えなくもない。ちなみに、背景色は高等部が黒、中等部が灰色らしい。サンケ学院は中高一貫校というわけだ。
学校へは当然、百合乃と一緒に行くことになる。夢にまで見た女の子との登校。小学校の頃も一緒に登校はしなかったからなあ。
うへへ、と浮かれていると玄関の扉が閉まる音がした。俺を置いて百合乃がさっさと行ってしまったことに気付く。
「ちょっ!」
慌てて追いかける。
「酷過ぎだろー」
「だって気持ちの悪い笑い方してたから、出来るだけ遠ざからないといけないと思って」
「いやいや」
百合乃さん、こわいわー。
「制服、似合ってますよ」
「そっ」
今日も絶好調のようです。
ちなみに、百合乃が初登校だった時はサヤカさんが一緒だったらしい。しかし、今回は百合乃がいるし、いいだろうということでサヤカさんはいない。というか、一昨日の晩を最後に会っていない。手紙だけ置いてあった。一応、学校への手続きと挨拶はしてくれたらしいが、あのサヤカさんのことだから少し不安である。
サンケ学院高等部は駅を少し超えた先にあった。すぐ隣に中等部もある。最初、建物が目に入ったとき、てっきりあれは大学だと思っていた。それぐらいの規模の大きさだった。
「これが高校かよ」
玄関ホールも相当広々としていた。そして、新設の大学みたいに綺麗である。
ここに魔王がいるのか。生徒、教員、スタッフのいずれかに成りすまして。それとも、不法侵入という形でどこかに潜んでいるのかもしれない。百合乃から具体的な話が出てきていない所を鑑みるに、そう簡単に見つかるものではないのだろう。
「いこ」
静かな、しかし、どこか張り詰めたような百合乃の声に頷く。
この高校は上履きに履き替えなくていいらしかった。土足のまま、玄関ホール目の前にある大理石の階段を上っていく。
俺の不安をよそに、この後はスムーズに事が進んだ。
担任の先生に挨拶し、クラスで少し緊張しながら自己紹介をした。なるべくボロが出ないように短めのやつを。
百合乃とはまた同じクラスになり隣同士だった。ここら辺はサヤカさんが力を使って何かしたとしか思えない。嬉しいからいいけど。
教室は意外にも俺達の世界の学校とあまり変わらない。何倍も綺麗なのは除いて。
1時間目が始まる前のちょっとした空き時間に、さっそく前に座る男子生徒が大きな声で話し掛けてきた。
「俺、広瀬ゲンキ。よろしくな!」
「おう、よろしく」
大きな声からも分かる通り相当元気そうな奴だ。名前もゲンキだし。
短髪青髪。よく日焼けした顔は鼻筋が通っており、決して悪い部類ではないだろう。少し暑苦しい顔ではあるが。しかし、人懐っこそうな笑みが俺の緊張を解し、思わず何でも話してしまいそうな不思議な魅力があった。
「天羽に続いてまた転校生がやって来るとはなー」
この時期にやって来た転校生に興味津々と言った感じに目を開き、好奇心旺盛そうな瞳を輝かせている。
「しかも、二人は従姉弟なんだろ」
「ああ」
百合乃の方をちらっと見ると、教科書を開き予習をしているようだった。でも、目線の先はその教科書ではないような気がした。こちらの様子が気になるようで、聞き耳を立てているのは間違いない。下手なことを言ったら後で怒られそうだ。いや、速攻脇腹辺りを抓られるかもな。ひー。
「まさか一緒に住んでいるとか?」
「あ、えっと……まあ」
正直、どこまで仲良くしていいのか迷っていた。学園生活を謳歌しにここに来ているわけではないから。でも、悪い奴ではなさそうなので、そういう考え方は少し申し訳ない気持ちにもなる。まあ、なるようになるか。
「サンケ市住みの親戚頼って、この学校に通うのは珍しいことじゃないぜ。でも、こんな美少女と一緒なんて羨ましい」
ガタっと隣で音がする。おい、こっちの話を聞いてるのがばれるぞ。
「ただ、この時期となると相当優秀なんだろうなあ。中等部や高等部の初めから入るより難しいらしいからな。勉強も出来て、家柄も良いとか?」
「いやー、ははは」
なんだこのプレッシャーは。しかし、女神様が保護者なのだから、この世界では家柄は良いということになるのかもしれない。誰にも言えないけどな。
「天羽、勉強出来るもんなー。なら従姉弟のイクトっちも」
百合乃さんを基準にするのはやめてください。まじで。
昼休みになると広瀬ゲンキがまた話し掛けてきてくれた。
「イクトっちは昼飯どうするんだ?」
「昼飯かー」
そういえば考えてなかったなあ。まあ、これぐらいの規模の学校なら学食とかありそうだが。
「一緒に食べたかったんだが、あいにく部活で今から会議があってな」
「へえ、部活?」
「新聞部なんだ。イクトっちも入らないかい?」
「新聞部か。考えとくよ」
「頼むぜ。じゃ、また後で」
広瀬ゲンキと入れ替わるように、また誰かが話し掛けてくる。
「三柴セイジといいます。鈴野君、良かったらお昼ご飯、一緒にどうです?」
同級生なのに敬語か。
長身の優男風。髪と瞳の色は緑だった。まだ暑いのに既に長袖を着ている。しかも、よく見たら袖が長過ぎて、彼の手の半分を覆っていた。うーん、なんだろう。まあ、せっかく誘ってくれたんだし、と思ったさなか、百合乃が俺らの間に割って入ってきた。
「三柴君、ごめんね。先生から昼休みに行人君を案内するの頼まれていて」
え、そうなの?
「そうですか、それは残念です。では、また今度ということで。そのときは天羽さんも良かったらご一緒しましょう」
三柴セイジはそう言うと軽く会釈した。なんか雰囲気のある奴だな。
彼が去ると百合乃は自分の鞄から2つのお弁当箱を取り出した。そして、それをペットボトルのお茶が入ったコンビニの袋に入れる。こいつ、こんなに食うのかよ。彼女はそのまま何も言わず立ち上がり、袋を持って教室から出て行こうとする。
案内と言っていたから、付いて来いってことだよな? 何か言えよ……。
俺も慌てて百合乃の後を追った。しかし、入口近くにぽつんとある机が邪魔だな。
百合乃は廊下の先をどんどん進んでいく。
案内する気ないよな、これ。こうなったら何言っても無駄だろうし、黙って付いていく。
「あの人が新しい転校生?」
「またなんだ」
廊下からそんな声が聞こえてくる。この頃の転校生はやはり珍しいのか、ちょっとした注目の的になっていた。廊下にいる人達が俺達のことを好奇の目で見てくる。
「ん?」
そんな中にひと際目立つ美少女がいた。オレンジ色でセミロングの見事な巻き髪。目力が強く、いかにも気の強そうな顔。サヤカさん程に背は高くないが、彼女に負けないぐらいのスタイルの良い体。サヤカさんとはまた別の健康的な色気があった。高貴な印象だが、同時に尊大さを感じる。プライドが高そうだな。
だが、彼女が目に付いたのはそれだけが理由ではない。他と違って彼女は俺達のことを睨み付けてきたのだ。いや、正確には百合乃の方をずっと睨んでいた。恐ろしい程の鋭い視線。それを百合乃は素知らぬ顔で受け流す。
頭の中から他の人のノイズを消していく。俺の思考の中では世界は俺ら3人だけになる。
より明確な悪意が、敵意が露わになる。彼女と百合乃の距離が近付くにつれ、巻き髪の美少女が握る拳に、より力が込められていくのが分かる。そして、口元が微かに動いていた。歯を食いしばっているのか?
なぜ、そこまで。彼女には今にも飛び掛かってきそうな程の殺意すらあるように感じられた。
小心者の魔王連中のことだから、もっとこそこそしているものだと思っていた。でも、ここは敵の住処でそんなことをする必要もないのか。俺は敵の真っ只中にいることを思い知らされる。
百合乃が離れていくと、巻き髪は今度は俺の方を睨んできた。百合乃のとき程の敵意は感じないけど、その分、人を疑うような視線が含まれていた。
「さっきからずっと睨んできてるけど、何か用か?」
立ち止まり、なるべく声を抑えて言う。
俺が話し掛けてくるとは思わなかったのか、彼女は一瞬驚いた顔をした。そして、直ぐにまた俺を見る目が据わっていく。可愛い顔が台無しだな。
「何者なの?」
「誰?」や「名前は?」ではなく何者と来たか。
さて、何て答えよう。人間。正義のヒーロー。異世界人。女神サヤカ組。
後ろ2つは論外としても、前2つも彼女の様子を見ると火に油を注ぐことになりそうだ。この巻き髪以外にも魔王関係者がこの学校にいる可能性はあるし、ここで騒ぎを起こして停学や退学は避けたい。そもそも、質問を質問で返されたのだから、答える必要もないか。
「そういうお前こそ何者だよ」
「私が誰なのか分かってる?」
「それ聞いてるんだけど。転校生なんでね」
高慢な態度で巻き髪は少し顎を上げ、冷ややかな目で俺の全身を見てきた。
「春宮家の次期当主よ。そう言えば、外部から来た君にも分かるでしょ」
巻き髪は大きな胸を張り、だがどこかつまらなそうに、綺麗な髪を後ろにかき上げながら言ってきた。
次期当主なんて自己紹介する奴、初めて見たぞ。さぞや良い家柄なんだろうが、俺は開いた口が塞がらなかった。
「いやぁ、どうだろうねぇ」
そんな俺の反応に巻き髪は再び驚いた表情をした後、口元に薄っすらと笑みを浮かべてきた。なぜ笑う。敵対心を残したままの笑みに薄気味悪さを感じ、ぞくりとしたものが背中を走る。
「へえ、そう。やっぱり知らないのね」
「いこ!」
いつの間にか戻って来た百合乃に腕を強く掴まれる。
「君は天羽百合乃さんの何なの? 従者? それとも騎士様?」
彼女の言葉には明らかな侮蔑が込められていた。感じの悪い笑みを浮かべたまま。
「従姉弟だよ」
視線が鋭くなる。俺に対しての敵意が一段階上に上げられたことが分かった。
「じゃあ……敵なのね?」
「っ!?」
掴まれた腕に百合乃が爪を立ててきた。それで、俺は彼女に大人しく引っ張られていくことにする。それとともに、廊下の雑音が戻る。ノイズを消す前よりもざわつきが大きくなっていた。
後ろを振り向くと、巻き髪の美少女がまだこちらを睨み付けていた。俺達が視界から消えるまでずっと。