引きこもり新妻は、添い寝スタート 3
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ダイニングに到着すると、わたしは気絶の危機を何とか回避した。
ダイニングには執事のジャンがいて、わたしは飛び上がらんばかりに驚いたけれど、彼がすぐにさっとわたしとの距離を取ってくれたから何とか意識を保っていられたのだ。
「ジャンさん、奥様との距離感はお気を付けくださいませ」
「ああ、そうでしたね」
執事のジャンは四十一歳。白髪交じりの栗色の髪に、栗色の瞳の、姿勢のいい男性だ。
目つきはちょっと怖いが、中身はそれほど怖くないとマルゴが教えてくれた。
ダイニングには、スティーヴン様が座っていらっしゃって、わたしを見て優しく微笑んでくれた。
それにしても……寝室同様、ダイニングもがらーんとしている。
年季が入ったダイニングテーブルと椅子以外、目立つものはない。
古びた棚には何も入っていないし、ここにあった絵画も外されて売られたのだろう。一部、壁紙の色が違うところがある。
わたしはスティーヴン様の真向かいの席に案内された。
できれば離れた席がよかったが、わたしはスティーヴン様の妻。さすがにそんな我儘は許されない。
本日会ったばかりの男性と食卓を囲むのは、わたしのノミ以下の心臓にはとんでもなく負担だけど、彼が優しいことはもうわかっている。
わたしのこのどうしようもない性質を否定されないというだけでも奇跡だった。
だからわたしも、精いっぱい頑張って……気絶を回避しよう。目標値があまりにも低いと思うかもしれないが、今のわたしにはこれが精一杯である。
わたしが気絶していたせいで、昼食は少し遅い時間になってしまったようだった。
本当に申し訳ない……。
それなのに、運び込まれた食事はほかほかと温かくて、わたしが目を覚ますのを待っていてくれたのがわかった。
スティーヴン様も、食べずに待っていてくださって……。
「あまり豪勢でなくてごめんね。せっかくの結婚式の日なのに……」
わたしはぷるぷると首を横に振る。
メモ紙、持ってくればよかった。
確かに、実家カンテ伯爵家の食事と比較すると、品数は少ない。
具の少ないスープにパン、それからポーチドエッグ。その横にソーセージ一本。
でも、美味しい。
心を込めて作られているのが、ちゃんとわかる。
なにより、こんなダメダメなわたしを待っていてくれた気持ちが、本当に嬉しい。
実家なら、時間に遅れたらわたしを放置して食事をはじめられていた。
ダイニングにいても、ほんの数分意識を向けられて叱られた後は、空気のように放置された。
もちろん、わたしが悪いのだ。
仕方がないことである。
だけど、カンテ伯爵家のお荷物で、いらないものだったこんなわたしと結婚してくれて、結婚式で大失敗を犯した後でまた気絶したのに、笑顔を向けてくれる。
……わたし、いいところに嫁いだなぁ。
お父様は、わたしの嫁ぎ先なんてきっと真面目に探していなかったに違いない。
探したところでろくな嫁ぎ先が見つかるはずないと思っていたはずだから、最悪、身売り同然でどこかに押し付けてやろうと考えていたはずだ。
スティーヴン様がもらってくれなかったら、シュザンヌの言っていたように、どこかのおじいちゃんに介護要員として嫁がされていただろう。
そして、人と関わると気絶するわたしに介護なんてできるはずもなく、婚家からは早々にたたき出されていたはずだ。
……わたし、この優しい人に、何がしてあげられるかなぁ。
社交性ゼロで、パーティー会場に行こうものならコンマゼロ秒で気絶する。
話すのが苦手なので、誰かと会話らしい会話もできない。
というか、邸の外に出るだけで気を失うかもしれない。
夫となったスティーヴン様ともろくな会話ができないし、伯爵家の女主人として立派にふるまう自分なんて、これっぽっちも想像できない。
お荷物もお荷物。
わたしがスティーヴン様の役に立ったと言えば、実家の持参金くらいだった。
……お金。そう、お金があれば、お役に立てる。
だけど、持参金で借金返済はできなかった。
わたしの手持ちが少々あるけれど、それを足しても難しいだろう。
それならばわたしの手持ちは取っておいて、いざ食べるものに困ったときに提供する方がいい気もするが、使えば減るのがお金である。
……ちょっと、考えてみよう。
使えば減るから、稼がないといけない。
まずはその方法を考えるべきだが、今のわたしはいろいろいっぱいいっぱいで頭が回らないので、考えるのは後回しだった。
今は美味しい食事をいただくことにする。
「アナイス、ひとまず君の荷物は夫婦の寝室の続き部屋に運ばせたけれど、違う部屋がよければそちらに移すよ? と言っても、どの部屋もろくな家具がないんだが……。どうする?」
「だ、だだ……」
「このままでいいなら、手を上げてくれる? いやなら、手を横に振って?」
わたしは小さく手を上げた。
部屋を続き部屋から移すということは、部屋と寝室を行き来するのにいったん廊下に出なければならない。
わたしの心臓の平穏のためにも、人との接触は最小限に抑える必要があり、それならば続き部屋のほうがありがたい。
……ああでも、わたしがあの部屋を使ったら、スティーヴン様は?
違う部屋なのだろうか。それとも一緒にあの部屋を使うのだろうか。
夫婦の寝室ということは、きっと夫婦の部屋だ。
つまり、スティーヴン様と一緒に使う可能性が高い。
……ど、どっちがわたしの心臓に優しい⁉
移動のたびに廊下でマルゴたちに遭遇する可能性のある別室か、はたまたスティーヴン様がいる同室か。
突然誰かと遭遇して飛び上がるよりは、いるとわかっているスティーヴン様と同室のほうがいいだろう。
カンテ伯爵家だって、お父様たちがいるとわかればそれほど怖くなかった。突然現れたら飛び上がるけど、そうでなければ心の準備はできる。
生活しているうちに、スティーヴン様やマルゴたちの気配に慣れてくるだろう。
そうしたら気絶頻度はきっと減る……はず。
「食事の後は邸を案内してあげたいんだけど、どうかな。大丈夫そう?」
わたしは少し迷って、こくんと頷いた。
さすがに生活する場を理解していなければ迷子になる。まあ、わたしはほとんど部屋から出ないと思うけど、それでも迷子になって、うっかり知らない場所に出て知らない人に会うなんてことがあったら……うん。完全に鼓動が停止する。
スティーヴン様はにこりと笑って、それから思案顔になっていった。
「その前に、いいものを作ろうか。うん、それがいい」
いいものってなんだろう。
わたしは首をかしげたが、スティーヴン様は結局何を作るのか、この場で教えてくれることはなかった。
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