プロローグ
新連載開始します!
よろしくお願いいたします!
……右よし、左よし、後ろも前もよし。
深夜。
使用人すら寝静まったルサージュ伯爵邸。
まあ、使用人と言っても執事一人にメイドが二人、それから料理人が一人に庭師が一人の計五人ではあるけれど、みんなが就寝した時間であるのは重要だ。
わたしはそーっと寝室のドアの隙間から廊下を伺い、こそこそとコソ泥よろしく部屋の外に出た。
廊下は暗い。
春になったと言え、夜は気温がぐっと下がるため、ちょっと肌寒い。
わたしは色気もへったくれもない、新妻らしからぬ野暮ったい木綿の夜着の上に、これまた色気もへったくれもない少々くたびれたガウンを羽織り、こそこそこそこそ……と忍び足で歩き出す。
寝つきがいいわたしの旦那様、スティーヴン・ルサージュ伯爵は、ベッドで健やかな寝息を立てていたので朝まで起きないだろう。彼は一度寝ると途中で目を覚まさないタイプだ。
もともと気配の薄いぼんやりしたわたしの性質は、深夜の暗躍にはもってこいだった。
足音を立てないように慎重に向かった先は、旦那様の書斎である。
鍵はかかっていない。
不用心なことこの上ないが、ルサージュ伯爵家には泥棒が絶望するほど盗むものがない。
書斎と言っても、部屋の中にもろくなものがなく、あるのは古びた本が数冊と、中身がからっぽの金庫。そして年季の入った執務机だけである。
先代であるスティーヴン様のお父様がご存命の時に多額の借金をこしらえたらしく、先代の死後、スティーヴン様は借金返済のために邸に会った金目の物をすべて売り払ったという。
それでも借金は残っていて、毎月頭を抱えながら利子の返済をしていた。
お父様の借金だってもともとは領地が数年続く不作に見舞われ、領民の生活のためにこしらえたもので、スティーヴン様は悪くない。
もっと言えばスティーヴン様のお父様も悪くない。
ただ、お金を稼ぐのがへたっぴで、領地の危機に際して打つ手を思いつかなかっただけのことだ。
スティーヴン様はわたしなんかにも優しくしてくれる親切な方だし、領民のために税を下げ、彼らの生活の足しにと借金をした彼のお父様もきっと優しい人だったのだろう。
本来ならスティーヴン様にはわたしなんかよりもよっぽど美しくて素晴らしく、貴族夫人に相応しい性格の女性が嫁ぐべきなのに、こんな、挙動不審であがり症で、ろくに話すことすらできないポンコツ令嬢を押し付けられて……。
……うぅ、お可哀相なわたしの旦那様。
なので、まったく役立たずのポンコツ令嬢ならぬポンコツ伯爵夫人であるわたしは、多少なりともできることからはじめることにした。
手始めに、ルサージュ伯爵家の残った借金をどうにかしてみようと思う。
無事に書斎までたどり着いたわたしは、さっそく書斎机の引き出しを開いた。
なんにもないけれど、借金証書は残っている。
わたしの持参金やら、家財を売ったお金やらで返済できた借金は、四割ほど。
残り六割の借金が残っているけれど、ルサージュ伯爵領の農作物の生産量は完全に回復していない。税率も下げたままで、下げた分の税金の補填はルサージュ伯爵家が行っている。
……国に納めなければならない税金は定額だものね。
国に納めた後で余れば領主の懐に入れていいが、足りなければ領主が自分の持ち分から出さなければならない。
領地というのは、いわば会社のようなものだ。
領地を運営して儲けを出せなければ、土地持ち貴族はつらい。土地持ち貴族は領地に税金が課せられており、国に土地分の税金を納めなければならないからだ。
その点、領地を持たない宮廷貴族は身軽なものだが、彼らとて、貴族の尊厳を維持するためには毎年莫大な金がかかる。
貴族はその爵位に王子で国からお金が支給されるけれど、それだけで賄えるほど貴族の生活は安くない。
つつましやかに生活すればもちろんそれなりの生活ができるが、貴族は社交をしてなんぼ。社交ができなければあっという間に転がり落ちるし、社交のためにはお金がかかる。
……社交ができないわたしは、炉端の石も同然……って今はそうじゃなくて。
貴族の威厳と体裁を保つためにはお金が必要で、領地運営を立て直すのにもお金が必要。
それなのに借金の利子にあえいでいては、いつまでたってもルサージュ伯爵家は没落したままだし、浮上できる希望もない。
……領地の農作物の改革に着手するには実際に領地を見てから出ないと判断ができないから、今は王都にいてできることを考えましょう。
そろそろ社交シーズンも終わるので、スティーヴン様は領地に帰る段取りをはじめるだろう。
わたしも連れて行ってくれるだろうから、否が応でも近いうちに領地の様子は探ることができる。
わたしは執事のジャンに古紙を扱う店で買ってきてもらった過去の新聞を書斎の棚から引っ張り出した。
ジャンに古新聞をまとめて買ってきてと頼んだらすごく嫌な顔をされたけれど――そんな金はどこにあるんだと言いたかったんだと思う――わたしが嫁ぐときに持ち込んだお金から出してほしいお願いすると、変な顔をしつつも買ってきてくれた。
……ごめんね、ジャン。情報は大切なの。
わたしは新聞を片っ端から読み進めていく。
引きこもりのコミュ障であるわたしは、昔から文字ばかり読んで過ごしていたので、この手のものを読むのは人よりも早い。
……ふむふむ、隣国で銅の価値が上がっているわ。これは今年中にこちらにも影響が出るわね。
金、銀、銅の貴金属は価格変動が大きい。
そして、これらは流通しているお金の製造にも使われているために、価格が大暴落を起こすことはない。
わたしは我が国――オベール国の地図を引っ張り出した。
オベール国にも銅山はいくつかあるが、わたしの予想だと、まだ知られていない鉱山がいくつもあるはずだ。
わたしの予測だと、この手の貴金属が取れる山が見つかれば、周辺の山でも同じようにその金属が採れるはずなのである。
鉱山の採掘は領主が勝手にやっているので、この手の情報共有をして、鉱山がどのような形で存在しているのかを研究している人はほとんどいないけれど、鉱山って、川のように伸びていると思うのよ。
その幅はわからないけれど、数メートルなんてことはないはず。
わたしは現在銅が取れている山を調べて、そして、いくつかのあたりをつけた。
それからまた新聞に目を通す。
今度は投資覧だ。
ここには、これから事業をはじめようとする人や、事業拡大を狙う人たちの投資募集記事がまとめられている。
わたしはその中から鉱山の採掘事業を行っている会社を確認した。
ざっと見たところ、三つある。
一つ目は侯爵領で行われている事業。これは投資の一口金額が大きく、四年前から開始されている事業だ。
二つ目は子爵領で行われている事業。この子爵家は公爵家と縁続きの家で、領地も公爵領内にある。没落伯爵家が投資したいと言っても相手にしないだろう。
三つ目はこれから事業を開始しようという事業。貴族の事業ではなく、貴金属加工を手広くやっている会社が、鉱山の採掘にも乗り出そうというもの。
……みーっけ!
新しく事業を開始しようと考える彼らは、これから採掘許可の出る鉱山を探すだろう。
鉱山はその土地を持つ領主の持ち物だ。
もし外部の事業者が領主の許可を得て採掘を行った場合、見つかった貴金属には税金がかけられるが、税金を支払えば見つけた金属は採掘業者のものとなる。
そのため、お金を持っている領主は、鉱山の採掘は自領の産業として行うことが多い。
しかし、領内で鉱山採掘を行おうと思うと、人件費や設備費にそれなりのお金がかかるものだ。
金や銀ならいざ知らず、銅の採掘であれば外部の事業者を使った方がいいとわたしは思う。労力も人件費もかからないし、この手の事業者が採掘をしようとすると、現地の人たちを雇い入れることが多い。つまり、領主が金を出さなくても、現地の人に新たな就職先が一つできる。
……この山は隣のラボー侯爵家にある鉱山とつながっている山脈よ。だったら掘ってみる価値はあるわ。
もし銅が出てこなくとも、死火山であるこの山には、何かしらの鉱物が眠っている可能性が高い。
わたしは書斎机の上に置かれている安物のメモ紙に、さらさらさらっとペンを走らせた。
マニアン商会の鉱物採掘事業者に連絡を取ることをお勧めします。ルサージュ伯爵領北西部のモデュイ山脈の西側を採掘場所として提供されるのがいいでしょう。契約時には「銅」の契約だけを行い、ほかの貴金属や鉱石が発見された場合は、別途契約を結ぶことをお勧めします。「銅」の契約については、銅の販売価格の二割を税金として徴収する契約にするのがいいと思いますが、最初は三割で交渉して、二割を落としどころに持っていくとスムーズかと。そして、銅を販売する時期については別途相談の上、としておいてください。おそらく今年の年末から来年にかけて銅の価格が上昇し、そのあともその傾向が続くと思うので、慌てて売るよりは多少寝かしたほうが利益が出ます。以上、妖精さんからのアドバイスでした。
わたしはこれだけ書くと満足して、書斎の明かりを消すと、新聞やら地図やらを元あった場所に戻し、こそこそこそと廊下を忍び足で歩いて寝室に戻ると、眠るスティーヴン様の隣に潜り込んだ。
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