プロローグ
「いってきまーす」
「暗くなる前には帰ってくるんだよ。気をつけて行っておいで。玲央も玲奈も杏奈の言うことをちゃんと聞くんだよ」
「「「はーい」」」
「じゃあ、2人とも行こうか」
「「うん」」
「おばあちゃんに『いってきます』は?」
「「いってきまーす」
玲央と玲奈は玄関でお見送りをしてくれている祖母にバイバイと手を振っている。左手を玲央と右手を玲奈と繋ぎ、5歳児の歩幅に合わせてゆっくりと歩き出す。今日は双子の弟妹を連れて裏山を探検しながら、花畑でピクニックをする予定。玲央も玲奈も虫に刺されないようにウィンドブレーカーを着て帽子を被り、小さなリュックを背負って水筒を肩から斜めがけしている。双子のリュックの中身は、それぞれのお気に入りのおもちゃとお菓子、ハンカチだ。2人ともワクワクしていて楽しそうである。
私は毎年の夏休みに祖父母の家でお世話になっていて、裏山にも何度も行っている。少し山を登ったところには川が流れていて、その橋の先を少し進むと、ひまわりやペチュニアが咲き誇っている花畑がある。そこが今日の目的地。花畑まで寄り道せずに行けば片道30分程度の距離だけど、5歳児にとっては十分な長距離になる。
田舎の自然なだけあって、都会では見られない植物や昆虫、動物を裏山では見ることができる。裏山の入り口につくと、2人とも早速周りをキョロキョロと見渡している。
「2人とも走ったら危ないから、絶対に手を離しちゃダメだよ。あと、なにかが気になっても勝手に触っちゃダメだからね。傷ができたり、かぶれて痒くなったりするかもしれないから」
「わかった。ねーちゃん、アレはー?」
2人とも言いつけを守って走り出すこともなく、興味があるものに指をさして、次々に聞いてくる。簡単に名称や説明をしながら川に向かって歩く。30メートルほどの長さの橋がある川は水深は浅く、水幅は12メートルくらいで川の両側が河原になっていて、橋の下に降りて歩くことができる。雨季には増水して危険だが、ここ最近は連日よく晴れているため特に問題はなく、水の流れも穏やかだ。玲央が川に興味を示したので河原に降りることにした。
手を繋いで河原を歩くのは危険なので、石に躓かないように足元には十分に注意するように言って、2人と繋いでいた手を離す。
「おねえちゃん。きれいなものみつけたよ」
「きれいなもの?」
「うん。これ」
玲奈が差し出した石を受け取る。全体的に白っぽいが、太陽の光に透かして見ると角度によって色が変わり、虹色に見える石だった。
「ホントだ。綺麗だね」
「なんていう名前のいし?」
「うーん…初めて見る石だね。家に帰ってから一緒に調べようか」
「うん」
石をバッグに入れていると、周りを見渡していた玲央が大きな声を出した。
「あ! どーぶつ! ねーちゃん、あそこにどーぶつがいる! あれはなに?」
「あれは……イタチかなぁ?」
「イタチ!」
川の水を飲んでいるイタチに玲央がトテトテと近づいていき、少しだけ離れているところにしゃがんで、イタチをじっと見ている。
「触っちゃダメだよ」
「うん。でも、ちかくで見たい!」
視線を感じたイタチが玲央をチラッと見て、川の上流側に去って行く。
「あー行っちゃった……」
イタチが去った先には生垣のように並んでいる低木があった。一箇所だけ途切れているようで、その先に道があるように見える。
「あれ? あんなところに道なんてあったっけ?」
「おねえちゃんも知らないの?」
「それなら行ってみようぜ! たんけんだー!」
「んーそうだね。行ってみようか。危ないかもしれないから、先に行っちゃダメだよ」
「はーい」
石が転がっていたり、端には雑草も生えていて、山道の整備はされていなかったけれど、道の幅は大体2メートルほどあり、3人で並んで歩くことができた。山道の左側は斜面、右側は林のように木々が続いている。しばらく視界を占めるのは空の青さと雲、左右の草木に土の道だけだったけれど、15分ほど進んだところで急に視界が開けた。中心には一本の大きな木が堂々と佇んでいる。
「わぁ! 大きな木」
「カブトムシとかいないかなぁ?」
「結構歩いたし、あの木の下はちょうど日陰になっていて涼しそうだから、あそこでご飯食べる?」
「「うん」」
レジャーシートを広げて折りたたみ座布団を敷き、2人を座らせた。ピクニックのためにおばあちゃんが作ってくれたお弁当を出して3人の前に並べた。熱気によって蒸し暑くはあったが、木陰では少し柔らかな風が吹いていて心地良く、どこか遠くからは蝉の声が聞こえてきて夏を感じた。お弁当にはハムレタスやツナマヨのサンドイッチや卵焼き、唐揚げが入っていて、3人でお喋りをしながら楽しく食べた。
お昼を少し過ぎて、いつものお昼寝の時間に差し掛かった頃、お腹いっぱいになって満足したようで、玲央と玲奈の目が閉じかけている。玲奈は眠気に抗わずにそのまま目を瞑ってしまい、玲央は寝ないようにと少しだけ頑張って目を開けようと抵抗している。2人の仕草が可愛くて頬が緩んだ。
「ふふっ。2人とも私の膝を枕にして少しだけお昼寝して良いよ」
そう伝えると2人とも横になってスヤスヤと眠り始めた。バッグから薄手のブランケットを出して掛ける。しばらくは2人の天使のような寝顔を眺めていたが、まだ時間はある。こんな時のために持ってきた文庫本を取り出して、読みかけのファンタジー小説の続きを読む。
1時間ほどで2人とも目を覚ました。玲央と玲奈に少しづつ指示を出してお手伝いをしてもらいながら、お弁当箱やブランケット、クッションにレジャーシートと全てを片付ける。まだ日は高く、2人の元気があるなら花畑に行こうと、来た道を戻る。
生垣のように見える低木の元まで戻って来たが、その先には川も河原もなかった。周りを見渡しても橋すら見当たらない。そこは少しだけ拓けた場所となっていて、ところどころに草が生えている。特徴的なものとしては大きな岩がある。もちろん見覚えのない岩だ。
「え…ここどこ? 河原も川も橋もない……? 一本道のはずだけど、間違えちゃったのかな? ごめんね、2人とも。見たことがないところに出ちゃったみたいだから、さっきの大きな木のところまで戻ろうか」
玲央と玲奈が頷き、歩いてきた道を引き返そうとした時、遠くから何かが聞こえた気がした。
「……ル…」
音が聞こえた方角を向くと、60mほど先のところで、何かが動いたのが見えた。
「グルルルッ」
今度はハッキリと聞こえた、動物の唸り声——
そこに現れたのは狼だった。灰色の大きな狼はこちらを向いていて目が合った。姿勢を低くし、狙いを定められたのがわかったけれど、あんな大きな狼から玲央と玲奈も一緒に走って逃げ切ることは絶対に無理だと瞬時に悟って、とっさに狼を背にして2人を引き寄せて覆い被さった。死を覚悟し、痛みが来ることを予想してギュッと目を瞑った。
痛みなどを感じないまま、ザシュっとした音とその後に何かが倒れる音が耳に入ってきた。玲央や玲奈の悲鳴も聞こえない。
今の音はなんだったのか……。あの大きな狼からしたら、こんな距離は一瞬のはずだが、特に痛みも衝撃も感じていない。唸り声や咆哮も聞こえてこないから、狼に何かが起こったのは間違いない。
例えば熊かなにかが現れて狼を襲った…? もし、そうだとしたら、今度は別の何かから逃げなければならないが、玲央と玲奈も私の腕の中で震えている。こんな状態の私達では逃げることも叶わない。何が起こったのかを確認しなければならないが、怖さや不安、緊張と絶望、色々な感情が混ざり合って、動くことも、目も開けることも出来ない。
「おい、大丈夫か?」
そんな状況の中で聞こえてきたのは人の声らしきもの。恐る恐る目を開けて振り返ると、目に入ったのは片手に大きな剣を持っている逞しい外国人の男性だった。まるでファンタジー世界を連想させるような軽装の鎧のようなものを身につけている。混乱はしていたが、それを見てとっさに閃いた。
「もしかして、映画、の撮影?」
「エガ? ……すまない。聞き取れなかった。もう一度言ってくれないか?」
「あ、すみません! あの、映画か何かの撮影の邪魔をしてしまったのでしょうか?」
「エイガ? サツエイ?」
日本人ではないから日本語がわからないのか、映画に全く心当たりがなさそうな男性と話をしている間にも、その場には他に誰も出て来なかった。だから、これは映画や撮影ではないのだろう。それなら、服装はちょっと変わっているけれど、単純に狼に襲われているところを助けてくれただけではないかと気づいた。
「あの、助けてくれてありがとうございます!」
「あぁ。怪我などはないか?」
私の後ろで左右から服を掴んでいる玲央と玲奈の様子をさっと確認する。2人とも大丈夫だと頷いている。
「はい、怪我はないようです」
「そうか、それなら良い。だが、護衛や冒険者はどこに行ったんだ? 依頼主を置いて、側にいないなんて護衛失格だな」
「え、護衛? 冒険者?」
「あぁ。君たちは武器も持っていないどころか、装備もちゃんとしていないようだ。失礼だが、こんな森の中にそんな状態の子供だけなんてあり得ないだろう。この辺りはグレイウルフも多いと聞いている。先ほどのグレイウルフは単体のようだったが、通常は群れで行動しているからな。最低でもDランク以上の冒険者が2人はいないと危険だ」
「武器なんて……そんなに危ないのであれば、出掛ける時に止められているはず。それにおばあちゃんから、裏山に狼が出るなんて、一度も聞いたことない」
「裏山? ここは山ではなく、オルトキアの森だろう? エルバ国とフィオーリ国に隣接している」
「は?」
オルトキア? エルバ? どうしよう……この人が何を言ってるのかわからないし、全く話が噛み合わない。もしかして、妄想癖がある人なのかな? でも、なんかコスプレっぽいし、役になりきってるのかも? それとも不審者? どうしよう。どうすれば良いかわからない。
「もし、護衛がいないなら、街まで送ろう。またグレイウルフが出てくる可能性もあるしな」
そうだ! さっきの狼は、そのまま放置して大丈夫なのかな? 役所に連絡する必要とかがありそうだけど、この人がなんとかしてくれるのかな。不審者かもしれないけど、一応大人であることには変わりない。そう思って狼が倒れているだろう場所に目を向けたが、狼はどこにもいなかった。
「あれ、狼は?」
「あぁ。バッグにしまった。後でギルドで解体してもらうからな」
「バッグ……?」
「これだ」
パッと見てあんな狼が入るサイズのバッグなんて持っていない男性が見せたのは腰につけているウェストポーチ。そして、ウェストポーチの蓋を開けると、腕を突っ込んで、私たちに見せるように狼の手の部分だけを引っ張り出した。
「え?」
「うわっ! すげー!」
今まで玲央と玲奈は私の後ろに居て何も言わなかったのに、バッグから出てきた狼の手を見て興奮したらしく、玲央が声をあげて前に出てきた。
「おぉ、坊主。マジックバッグを見るのは初めてか?」
「ぼうずじゃないよ! れおだよ!」
「そうか、レオか」
「ねぇ、まじっくバッグってなに?」
「色々なものを収納するための袋だな。見た目はこのサイズだが、中にはたくさん入るんだ。しかもこれは時間停止つきだから、すごーく貴重なんだぞ。容量もドラゴン二体くらいなら丸々入るな」
「どらごん?! すっげー!!」
ウェストポーチから出ている狼の手と目の前の会話に思考が全然追いつかない……。
そんなウェストポーチに狼なんて入るわけがない! 手品なの? それともただの嘘? でも、マジックバッグって言ってた。それってアニメとか漫画に出てくる空想のアイテムでしょ。それが実在している? あと、ドラゴンが入る、みたいなことも言ってなかった? ドラゴンって架空生物! あんな大きな灰色の狼だって初めて見た……も、もしかして、ここは日本じゃない……?
いやいや、そんなまさか…… あ! そっか。これって夢かも! 玲央と玲奈がお昼寝した時に私も寝ちゃったのかぁ。山の中で私まで寝ちゃったら危ないから起きなきゃ! ……夢の中で夢って気付いたとしても、どうやって目覚めるの? うーん、よく夢は痛くないとか言うし、とりあえず思いっきり自分の頬をつねってみるとか?
思うままに、思いっきり自分の頬をつねってみたら、すっごく痛かった。あまりの痛さに涙がこぼれ落ちそうになった。
「おねえちゃん、だいじょーぶ?」
1人でパニックになっていたが、玲奈の声で現実に戻された。私1人ではなく、玲央と玲奈も一緒にいたことを思い出した。玲奈は心配そうな顔で私を見上げていた。5歳の弟妹もいるんだ。私がしっかりしなくてどうするんだと自分に喝を入れて、一度落ち着くために深呼吸をした。
「玲奈、ありがとう。大丈夫だよ」
「よかった」
いつの間にか何故か違う世界にいる可能性も高そうだけれど、ここはまだ森の中。幾つかの可能性は捨てきれない。この男性と街に向かえば、夢なのか現実なのかもわかるかもしれない。
「あの、街までお願いできますか?」
「あぁ。俺もその街に向かうところだったから問題ない」
玲央と玲奈と手を繋ぎ、男性のうしろをついていく。これが新しい生活の始まりだった——




