優しくない世界を生きる術 ー2ー
――ねぇ、さみしいの……
曖昧な意識のなか、幼い声が聞こえる。
「どうして?」
その声に抑揚のない声が語りかけた。
――いい子にしてるのにどうして誰も褒めてくれないの?
幼い声は、か細く苦しそうに訴える。
「どうして?」
しかし、その声に答えるのは色の無い無機質な音。
――わたしがお母様を殺したって……そんなこと、やってない……
「どうして?」
――お母様が居なくて悲しいのはわたしも同じだよ?
幼い声は訴え続ける。
誰に届いているかも分からないのに、ただ必死に自分の心の内を吐露し続ける。
「どうして?」
――わたしは生まれてくるべきではなかったの?
「どうして?」
――お父様の関心が欲しい。
「どうして?」
幼い声が何を言っても帰ってくるのは一定の言葉。
――わたしが欲しいのは絵本の中の物語のような暖かいもの。
「どうして?」
――この家はあまりにも冷たすぎから。
「どうして?」
会話など初めから行われてなどいなかった。
初めから、幼い声がただ一人で言葉を紡いでいただけだ。
――お父様も使用人も街の人たちも皆、みんなみんな……誰もわたしを愛してはくれない。ねぇ……――
「どうして?」
幼い声はそこで一度声を止めた。
無機質な音は一切紡ぐ言葉を変えない。
――ああ、さむいなぁ。
幼い声は諦めたようにぽつりと零した。
◇
そこは真っ白な空間だった。
何かに導かれるように足を進める。
しばらく進んだ先にはベッドがあった。
どこか見覚えのある蚊帳の降りたベッドの上で幼い少女が膝を抱えている。
……まるで、世界を拒絶してるみたい。
「……こんにちは」
声をかけると、少女はぴくっと反応しおずおずと顔を上げた。
「……! あなた……」
*
……今の、夢は。
珀になってから二度目の目覚めも決して気持ちの良いものではなかった。
胸中渦巻く悲しみに思わず胸元を握る。
お父様は珀の事をどう思ってるのだろう……?
不安、とも言えない絶妙な感情が胸の中を渦巻く。
まるで自分のモノではないような……後から問題の答えを解答用紙に上書きしたような――……そんな違和感を感じる感情。
しかしすぐに気持ちを切り替えるように首を振り身支度を整えて深呼吸をする。
さぁ、お父様とお話をしよう。
◇
「失礼致します」
ノックをすると公爵の秘書が扉を開けた。
「用が済んだらさっさと出て行け」
中に入っても公爵は書類から顔を上げない。
決して珀を見ようとはしない。
――きっと、お父様は心のどこかで私を愛してくれてる。
モヤッと霧が掛かった思考でぼんやりと思った。
「私はお父様とお話をしに来たのです」
――本当は素直になれないだけで、わたしの事を愛してる。
盲目的にただ父親の愛を疑わずに言葉を紡ぐ。
「お父様、私はお父様の家族として」
公爵の傍に寄りゆっくりと手を伸ばす。
――だって、物語の中の家族はいつもお互いを想い合っているんだから。だから……きっと……っ!
「――触るなっ!」
――パシィィインッ――……
静かな執務室に不釣り合いな乾いた音が響き渡った。
「家族として、だと……? 巫山戯るなっ! お前のせいで彼女はっ、私の大切な人はっ……!」
――あぁ、無理だ。
少し赤くなっている自身の手を見る。
虫のように叩き落された手の痛みと様々な負の感情が混ざったような瞳を見ると先ほどまでのどこか霧掛かった思考は一瞬でどこかへ吹き飛んでいった。
「お前が殺したんだっ! 誰よりも気高く美しかった彼女をっ! 私の最愛をっ!」
公爵はひどく苦しそうに吐き捨てた。
……――そんなの、行き場のない悲しみを娘のせいにして自分を守ってるだけじゃない……。
呆れと怒りが半分半分な感情を抑え、吐き捨てるように声を出す。
「――お言葉ですが、大切な人を失い悲しみくれているのが自分一人だとは思わないで下さい」
私にできる最大限で公爵を睨みつける。
「さっきから黙って聞いていれば私のせい? 私が殺した? 私は私の人生で一度たりとも母親に出会ったことなどないのに?」
感情のままに言葉を吐き、まくし立てる。
――この人はきっと知らないのだろう。
あなたの対応が実の娘をこんなにも追いつめているんだという事を。
あなたの責任転嫁のせいで幼い娘にどれほどのストレスがかかっているのかを。
少しでもいいから伝われ。少しでも知って後悔すればいい。
見て見ぬふりをし続けてきた自分がいかに汚らしいかを自覚しろ。
「自分の消えない悲しみの原因を何も分からない娘に押し付けて、いつまでも悲劇のヒロインぶらないで下さい」
公爵は瞳をこれでもかと大きく見開いた。
しかしそんな表情を見たところで怒りは収まらない。
「公爵様、本日はお忙しいなか時間を取っていただきありがとうございました。私はこれで失礼させていただきます」
誰にも呼び止められないように振り返ることは一切せず足早に自室へ戻った。
◇
部屋に戻ると一瞬頭の中を“勘当”という言葉がよぎったが、すぐに大丈夫だと思いベッドに腰を下ろした。
あの女々しい公爵は個人的な感情で大切な人の忘れ形見を捨てられない。
そんなことよりも、だ……。
「……あなたは、まだここにいたんだね」
自身の胸に手を添え目を閉じた。
可能な限り彼女の気配を探る。
あの霧がかった思考はきっと珀が表に出てきていたんだと思う。
これからどうなるのかは分からない。
でも確かに彼女はまだここにいる。
自分の孤独をわかってくれと確かに彼女は叫んでる。
深く息を吐きころんっとベッドに寝転がる。
これからあなたの歩む道は茨の道……でも、叶えてあげたい。
ゲーム内で一度だけ明かされた無欲なこの子の唯一の望み。
あいにく原作は何となく記憶にあるし何とかなるでしょ。
それに、原作通りに追放されると無くなるのは私の人権だ。
色々考えたが結局のところ利害の一致というやつだ。
この少女の夢も野望も全部全部私が現実にしてあげる。
あなたはこの家の次期当主なのよ。
「いっしょに、幸せになろうね……珀」
この家を継ぐ。
それが珀の望みで、珀の目標だ。