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珀が会場に戻ると響が令嬢たちに囲まれていた。人望があるのは本当らしい。
響はいつもの優しい笑みを浮かべて中心に立っている。
そんな響の様子を壁際で眺めていると音楽が変わった。
それを合図に視線が一点に集まる。視線の先にいたのは主催者である第三王子だ。
「みなさん、本日はお越しいただきありがとうございます」
第三王子……鳳葉月は深海の様に深い青の髪を揺らし一歩前に出ると平坦な声で挨拶を始めた。
「――本日はぜひ楽しんでいってください」
葉月の挨拶が終わるとパチパチと拍手が起こる。
そして、子どもたちは我こそはとその周りに集まっていく。
「珀さん……!」
名前を呼ばれて振り向くと響が歩み寄ってきていた。
「こんなところにいらっしゃったのですね……葉月さんへの挨拶はいつ行きましょうか?」
視線を葉月のほうへ投げると葉月は大勢の子どもたちに囲まれており身動きが取れていない。
「……あの周りから人が減ったらでいいですか?」
「はい。わかりました」
到底仲睦まじいとは思えない事務的な会話。
珀はジッと人の流れを見ていた。王子の周りから人が消える気配はない。
そんな拍の横で響は深く息を吐くと正面から珀を見つめた。
「……あの、珀さん」
「なんですか」
「少しよろしいですか?」
珀が小さく首をかしげると響は珀の手を取り外に連れ出した。
先ほど珀が一人で訪れた中庭に二人で立っている。
響は珀に向き直るとまっすぐ姿勢を正し、きれいに頭を下げた。
「――申し訳ありませんでした」
「……それは、何に対しての謝罪ですか?」
珀が静かに問いかけると響は頭を下げたまま口を開く。
「可哀想、と言ったことを謝罪させていただきたいのです。私は、自分が言われて不快だった言葉をあなたに言ってしまいました」
そこまで言って響はギュッと力強く手を握り締めた。
沈黙が痛い。目の前の少女に何を言われるのか想像ができない。
十秒、二十秒……時間がゆっくり過ぎていく。
しばらくそうしていると少女がふっと小さく息を吐きだしたのがわかった。
「……真面目ですね」
頭上から降ってきた声は思いのほか柔らかい。
響が恐る恐る顔を上げると少女とパチッと目が合った。
いつもの無表情……だが、その瞳にはどこか困惑が滲んでいて恐ろしいとは思わなかった。
「そもそも、わたしが言ったことがきっかけですから、褐神様が謝る必要はございません。わたしが言った後にあなたも同じ言葉を言った、つまりおあいこです」
「おあいこ……」
ぽかんとした表情で反芻する響に珀は小さく頷く。
「喧嘩両成敗ってことですよ。なんならわたしは二回言っているのであと一回なら許容しますが?」
「言いませんよ!」
「そうですか?」
響は珀の首をかしげる仕草に、気づくと肩の力が抜けていた。
前はあんなにも恐ろしかったのに、今はそこまで怖くない。
悪魔の名を冠する少女の人らしい一面。それだけで響には目の前の少女がただの女の子に見えた。
響は姿勢を正すと珀の瞳を見た。
「私は、この国にあなたの居場所がないと言ってしまいました」
「まあ、事実ですし」
淡々と懺悔するように告げる。珀は響を見返した。瞳は逸らさなかった。
「そんな悲しいこと、言わないでください」
響の言葉に珀がぱちぱちと瞬きをする。そして伺うように響を見た。
考えている、この少年の言葉の真意を。この少年の気持ちを。
「珀さん」
響は珀を呼ぶと膝をついた。初めて会ったときのような完璧な笑みはない。
その瞳は不安で揺れている。しかし確かに響はまっすぐ珀を見つめていた。
胸に左手を当てて右手を珀に伸ばす。
その様は懇願するようでもあったし、どこか迷子の子どものようでもあった。
眉を下げて、お伺いを立てるように響は珀を見上げる。
「――私は、あなたの居場所になれますか……?」
静かな中庭に響の声が響いた。珀の瞳が小さく見開かれる。
沈黙が続いた。しかしこの沈黙は不思議と痛くない。
「……なぜ……?」
ようやく絞り出された言葉は困惑に満ちていた。響はまっすぐ珀の瞳を見つめる。
「私はあなたの婚約者です」
「それはあなたの意思ではないでしょう?」
「私の意思です。私があなたと婚約したいと言ったから、全部私の意思なんです」
響の瞳を見て珀は黙った。その瞳に映る本気を感じ取ったのだ。
ぐるぐると思考が回転する。そんな珀をみて響はぽつりと語り始めた。
「あの日から、ずっと考えていました……なぜあなたは私に可哀想なんて言ったのか」
響の瞳が伏せられる。胸に添えられた左手は固く握りしめられ胸元にしわを作っていた。
「私は逃げていただけでした。兄から、弱い自分から……私は自分の弱さを棚に上げて、逃げ続けた。婚約者であるあなたから目を逸らして……本来私はあなたの居場所にならねばならないのに、その役割を放棄しました」
響が再度顔を上げる。その表情は覚悟を決めたようにきりっとしていた。
「どうかもう一度チャンスを頂けないでしょうか。次こそは間違えないと、ここに誓わせていただけないでしょうか」
響と珀が見つめあう。どちらも目を逸らさずに時間だけが過ぎていく。
しばらくして珀が小さく息を吐いた。
「わたしから目をそらしたくなるのは仕方のないことだと思います……えっと、とりあえず、立ってください」
響は素直に立った。視線は決して逸らさない。
珀の言葉がぽつりと静かな中庭に落ちる。
「正直、わたしには褐神様の心境の変化はよくわかりません」
「……そう、ですか」
その言葉に響は目を伏せる。
少女は考えた。必死に必死に考えてわからなかったのだ。
リアンの時も蒼穹の時も彼女には想定と下準備と覚悟があった。
しかし、響のこの変化はなにも想定していないし心の準備もできていない。頭が混乱して、パンクしそうだ。
「……でも、変わりたいと思ったのならいいと思います」
弾かれるように響の顔が上がる。
なにも用意がないからこそ浮き彫りになる少女のひととなり。
困惑しつつも少女は必死に言葉を紡ぐ。
「だってそれが……あなたの意思なのでしょう?」
「――っ! はい……っ!」
巫家と褐神家、珀と響の関係がこの夜、確かに変化した。なにが響を変えたのか。
理解ができない。
――知らない。
想定外だ。
――わからない。
こんな展開は映像にない。
――いったい何があった?
少女の頭の中を否定的な言葉がぐるぐると回る。
臆病な少年は主役に救われるはずなのに、彼は今珀をまっすぐ見つめている。
響はふわりと笑うと珀に手を差し出した。
「会場に戻りましょうか。そろそろ葉月さんの周りも余裕が出来ているころだと思います」
「……そうですね」
その手を取ると、響は優しく手を引いて歩き出した。
道中、響は珀に話しかけ珀はそれに相槌を打った。今までが嘘のような和やかな時間。
しかし、その時少女はずっと別のことを考えていた。
――この繋がれた手はいつまで続くだろう、と。




