それは誰かにとって止まり木のような ー4-
「……私は、お嬢様に謝らなければならないことが山のようにあります」
次の授業の日、蒼穹は開口一番にそう告げた。
「今更だと思われるかもしれません。しかし……しかし、それでもどうか公爵様のお気持ちを受け止めては頂けないでしょうか。私は長年公爵様の近くであの方の葛藤を、苦しみを見てきました。これではあまりにもあの方が報われない。だから」
「――私の気持ちなんてどうでもいいんですね。」
思わず遮るように口を開いた。
あまりにも公爵ファーストな言い分に怒る気も起きない。
「貴方は最初から公爵の事しか考えていない。私の気持ちを考慮していない。あなたは……」
公爵は、この家は――……。
「どれだけ私の事を見て見ぬふりすれば気が済むんですか?」
ただ、小さな子供が素朴な疑問を口にするように何の感情も乗せずに疑問を投げかける。
「――っ……決してっ! そのようなつもりは……っ!」
蒼穹の慌てたような声を聞いて顔を上げた。
感情が昂りすぎて言葉が上手く出てこない蒼穹に淡々と告げる。
「あなたは知らないでしょう。あの時、どれほど……」
自身の胸に手を当て、ゆっくり蒼穹と視線を合わせる。
「どれほど恐ろしかったのか」
当ててある手に力が籠り、胸元にしわを作る。
「どれほど、寄り添ってくれる人を欲していたのか」
蒼穹の表情が悲痛そうに歪む。
私が体験したわけじゃないからあの時の珀の気持ちなんて分からない。
でも、理解はできる。
怖かっただろう、恐ろしかっただろう、寂しかっただろう。
珀の周りの大人は珀に寄り添うことを怠った。
それが今起こっているコミュニケーションエラーの原因だ。
手に込めていた力を緩め息を吐き、再度手元に目を向けた。
「許す許さないの問題ではありません。私はあなた方に現状の改善を望まない。それが全てです。」
この世界は珀の立場で信じられる人があまりに少ない。
いつか裏切られるかもしれない人に恩を作るくらいなら自分で何とかする。
そんな考えがありつつ、はっきりと告げると扉をノックする音が聞こえた。
「……あの、今よろしいですか?」
扉から顔を覗かせたのは剱だ。
「褐神さまがお見えになられました」
今日来るなんて、聞いてないんだけど……。
「……わかった、伝えに来てくれてありがとう。そういう事なので、本日はこれで……」
蒼穹に一切目を向けず席を立ち扉に向かう。
「――今度」
泣きそうな声だった。
そう思うほど震えた声で絞り出すように蒼穹は言葉を紡いだ。
「……一緒に、聖女様に会いに行きましょう。」
蒼穹の懇願のような言葉を聞いて足を止め振り返る。
蒼穹は崩れるように膝をつくと両手を組んだ。
「私は、許されないことをお嬢様にいたしました。あの日、あの時、あの場所で何よりも大切なあの場所で、私は……」
まるで懺悔するように蒼穹は自身の罪を吐露する。
「――私は、あなたに向く悪意を野放しにしました。聖女様との約束を違えてしまいました」
「……お母さまとの約束?」
聖女という言葉に思わず聞き返した。
「聖女様は私に、自分に何かあったら私の長い生涯をかけて公爵様とお嬢様を支えるように私に申しておりました。あの時の私には公爵様を心配する余裕しかありませんでした。長年生きておきながら、情けないかぎりでございます……」
――目が合っているのに合っていない……。私を通して、誰かを見てる……?
「どうか、どうか愚かな私をお許しいただけないでしょうか――……!」
深く頭を下げる蒼穹に一旦深く息を吐きだす。
「言ったでしょう。許す許さないではないと」
淡々と告げると蒼穹はひどく顔色を悪くし、そして目も当てられないほどに取り乱した。
「――お許しください! わたしが不甲斐ないのですっ! お許しください聖女様っ! 私は――っ!!」
あぁ……この人は私を通して、聖女を見て聖女に謝ってる。
「――私を見なさいっ!」
流石にやばいと思い、取り乱す蒼穹に急いで歩み寄り頬を挟んでグイッと引っ張り怒鳴りつける。
その瞬間ブワッと部屋中を何かが駆け巡った。
何かを感じ取り部屋中視線を巡らせるが何の変化も見つけられない。
「えっ――……?」
そして再度視線を蒼穹に戻すと思わず戸惑ったような声がでた。
そこには――……鬼のような角が生え髪の伸びた蒼穹が惚けた顔で私を見つめていた。
◇
「どこから、説明しましょうか……?」
「全て説明してもらわないと困りますが」
突然の出来事が起こり二人とも落ち着いたため二人で椅子に座りしっかり向き合っていた。
「褐神さまは?」
「待っていていただいてます。そもそも今日は来ることを聞いていないのだから、多少待たされても文句は言えませんよ」
剱は響に「用事があるため待て、待てないなら帰れ」と伝えに行っている。
蒼穹は深呼吸をすると真っ直ぐにこちらを見つめて口を開いた。
「まず私は先祖返りと呼ばれるものです……先祖返りはご存じでしょうか?」
「ええ、歴史書を開くと大体出てくるもの」
国などがまだ確立されてはいないほどの大昔。この国の土地には神、人、精霊、妖怪の四種族がいたらしい。しかし、その四種族間で大きな争いが起こった。神は争いによって穢れた大地を嫌い、精霊は姿を見せなくなった。人はこの大地に残り開墾を始め、そして、妖怪は……
「妖怪は滅ぼされた。しかし、生き残りが人と結ばれ命をつなぎ根絶され無かった。それから時々昔の先祖の血が色濃く出てしまう者がいる、それが先祖返り……でしょう?」
そこまで言うと蒼穹は優しい笑みを浮かべる。
「お嬢様は勉強熱心でございますね」
「そんなことはどうでもいいわ……それで、どうして急に元の姿に戻ったの?」
その質問に少し躊躇いを見せ、蒼穹は悩ましそうに告げた。
「……おそらくですが、お嬢様の力に当てられて力の制御が狂ったのだと思います」
ええ……? 無属性の魔力ってそんなところまで作用するの?
「――あの、お嬢様……妖怪は人よりも寿命が長いのです。だから、聖女様は私にお嬢様のことも任せていかれたのだと思います」
……あぁ、だから見た目が若いのか。
ずっと疑問に思っていたことが解決し勝手に納得しながら話の続きを待った。
蒼穹は席を立ち私の座っている椅子の傍に跪き頭を下げる。
「お嬢様がご当主になられても私はこの家に仕え続けると今ここで誓わせてください」
「……突然どうしたの。どういう気持ちの切り替わり?」
急展開過ぎて思考が付いていかない。
「お嬢様はまさしく、聖女様の……カコ様の血を引くお方」
カコさま……母親のことか……。
「今度こそ、私はカコさまの願いを叶えましょう」
「それは……」
ただ、あなたが贖罪をしたいだけなのではないか。
その手の質問は口から出ることは無かった。
蒼穹があまりにも真剣な瞳でこちらを見つめてくるため口をつぐんだ。
「……今までの私の立ち居振る舞いを見て、お嬢様が疑心を抱いていしまうのは仕方のない事です。ですが、あなたに仕えたいという気持ちだけは本物です。どうか、それだけは信じて頂けないでしょうか?」
どれだけ感情を並べられても、ちゃんとした理屈が無いと信用するのは難しい。
「理由を聞いてもいい?」
「……今の私ではお嬢様を納得させるような理由の羅列はとても難しいのです。ですが、一つ言えることがあるとすれば、もとより我々人外は神聖なものに惹かれやすい……要するに、本能でございます」
本能って、なんたるアバウト。
母親……聖女との約束がどんなものなのか私にはわからない。
そもそも聖女がどんな人なのか皆目見当もつかない。
ゲームにはその偉大さ以外は何も書かれていなかった。
……でも、この世界の善性の象徴のような人と約束だもんな。
「……いいでしょう。その忠誠受け取ります」
足を組み、蒼穹を真っ直ぐ見下ろす。
少し考えてから口を開いた。
「あなたは、この私が家の当主の座を継いだ後も巫家に忠誠を尽くすことを誓えますか?」
そう問いかけると、蒼穹は真っ直ぐ私の目を見た。
「誓います。この身朽ちるその時まで、巫家に忠義を忠誠を」
蒼穹ははっきりそう告げ、流れるような動作で私のすねに口付けをした。
……ん?
「……あの、斎さん……これは……」
思わず動揺のまま問いかけると蒼穹は顔を上げ今でで一番さわやかに笑って見せた。
「私の忠義を行動で示そうと思ったのです」
……突然のイベントに頭がショートしそうだ。
そこでまた扉から音が聞こえそちらを向いた。
そこには剱が立っており剱はやや遠慮気味に口を開いた。
「そろそろ褐神さまの元へ……」
えぇ……まだ帰ってなかったの?
響がここまで諦めが悪いなんて知らなかった。
蒼穹はサッと表情を青くして勢いよく後ろに下がり頭も下げる。
「引き留めてしまって申し訳ございませんでした!」
「ああ……うん。いいよ、大丈夫」
ワンチャン帰ってくれることを願っていたため真摯な謝罪にどう返していいのか分からなかった。
だが、これ以上引っ張ることは無理だと悟ったら重い腰を上げるしかない。
扉に向かって歩き、途中で蒼穹を振り返る。
いつも言おう言おうと思って忘れていた言葉があったのだ。
私が途中で振り返るとは思っていなかったのか蒼穹は突然絡んだ視線に背筋ピンッと正した。
そんな蒼穹がなんだかおかしくて少し笑いながらも口を開く。
「――また、次の授業もよろしくお願いしますね。せんせ」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔を後に扉を閉めた。