9.夏の終わり、季節の移ろい
花嫁支度が忙しくなってきた、夏の終わり。金木犀の甘い香りが漂って、季節の移り変わりを感じる。
ここ最近の楽しみは、週に一回ジャックさまが屋敷に訪れてくださること。本当はお互いデートもしたいのだけれど、現在もイーサン元第二皇子は見つかっていないから。
そのため花嫁支度も、安全を考慮して、屋敷で出来る限り行っている。
しかし今日は、ドレスの試着があるので、皇城に行かねばならないのだ。
あれからも警戒して、護身術の稽古も続けている。近衛兵が警護してくださっているから、問題ないと思うけど、護身用の短剣も太ももに括りつけた。念には念をね。
皇城へ行く支度が終わると、愛猫のルナが、ひと鳴きする。
「にゃーん」
「お見送りしてくれているの? ルナ行ってくるわね」
「にゃうーん」
甘えた声で、足にすりすりと身体を擦り付けてくる。
「そ、そんな可愛いことすると出掛けられなくなるじゃない……!」
衝動的にしゃがみ込んで、ルナを抱っこしようとすると、侍女のリラがサッと遮った。
「ヴィクトリアお嬢様、馬車が待っています」
「わ、わかったわ……」
仕方なく、ルナに背を向けて、皇城から手配された馬車に乗る。
登城するのも久しぶりだ。ジャックさまに会えたらいいけど難しいでしょうね。
そんなことを考えていたら、どこかから、猫の鳴き声が聞こえる。
まさかと思って、馬車の上に備え付けてある荷物棚を見ると、そこには黒猫で黄金の瞳の……。
「る、ルナ!? どうしてここに!?」
屋敷と馬車の戸締まりもしっかりしているし、近衛兵も警護しているのに、どうして付いてきてしまったのだろうか。引き返すにも、皇城に近いところまできているので、指定の時間が過ぎてしまいそうだ。
飼い主の迷いなどお構いなしで、ルナは、可愛いおててで顔をかいて、呑気そうな顔で鳴くのだった。
***
「ルナ、絶対にわたくしから離れたらダメよ。わかった?」
「にゃーん」
結局ルナと一緒に皇城へ来てしまった。
本当は引き返して、ルナを屋敷に戻して安全を確保してから、登城したかった。けれど、次期皇太子妃として、遅刻は論外だし、悪い噂もまだ残っているから、少しでも隙を見せたくない。
馬車で屋敷へルナを送り返すことも考えたけど、屋敷から侍女を連れて来てなかった。まさか護衛してくれている近衛兵に、そのようなことをさせられる訳もなく。
非常に心配だけれど、やり切るしかない。
将来わたくしと一緒に皇城に住むことを考えたらルナも慣れるために、ここに来るのも良かったと思うことにしましょう。
ルナを抱っこしたまま、皇城侍女について行くと、その後ろを近衛兵たちが続く。
今日のフィッティングは、皇城に用意していただいている私の部屋ではないらしい。
案内されたのは、何故か応接室だった。誰かと面会する予定は入れていなかったけど。もしかしてジャックさまが待っているのかしら?
期待をこめて扉を開けると、そこにいたのは、ジャックさまではなかった。
残念に思いつつも、表情に出さず、言葉を紡ぐ。
「ハーゲン皇弟殿下にご挨拶申し上げます」
何故ここにハーゲン皇弟殿下がいらっしゃるのか疑問に思いつつも、きちんとカーテシーでご挨拶をした。
「よく来たな、ヴィクトリア嬢。まぁ座りたまえ」
「失礼いたします」
この部屋へ案内してくれた皇城侍女が、お茶を用意して、テーブルに置く。
「恐れ入りますが、本日はどのようなご用件でしょうか」
「親戚になるのだから、話をしておきたいと思ってね」
「…………」
意図が見えず不審だ。しかし皇族が用意してくれたお茶を飲まないのはマナー上よろしくない。ルナを抱っこしながらで恐縮だが、逃げては困るし、そのままお茶を頂く。
(ほろ苦い)
茶葉を蒸らしすぎたような、そんな苦味。わたくしのこと気に入らず、嫌がらせをされているのかしら。
「ところで……。君は知っていたかい? イーサンの本当の父親を」
「本当の父親とは……? 皇帝陛下の御子息と認識しておりますが……」
いや、待って。髪と瞳は皇族の色だけれど、あのガタイの良さと性格は、とても両陛下に似ていない。
……なんで気がつかなかったんだろう。
目の前の男と、イーサン様が、生き写しのようにそっくりなのに。
「皇弟殿下がイーサン様の父君だったのですね」
「なんだ、今頃気がついたのか?」
意地悪そうな表情まで似ている。
――ということは。
「無礼な質問だと存じますが、だとすると、あのわたくしの噂を流したのは……」
あれ、急に猛烈な眠気が。もしかして、紅茶に薬を盛られた?
駄目だ。身体が痺れて動かない。
(ルナ、お願いだから逃げて……)
そう願うと、瞬く間に視界が暗転した。