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第三十七話 『ベリアルの友人』 9. 嘘臭い笑顔

 


 呼び鈴が鳴り、忍が玄関のドアを開ける。

 その思い切りな笑顔を目の当たりにし、楓がかしこまってお辞儀をした。

「あの、初めまして。桐嶋と言います」

「ああ、あなたが桐嶋さん」さらに笑顔の精度を増す。「知ってる、知ってる!」

「……」

「あ、ごめんなさい」

 二人は初対面なのだが、忍からしてみれば事前に周囲からいろいろ話を聞いていたため、互いのテンションはかなり異なるものとなっていた。

 どことなくシンパシーを感じる部分が多いせいもあった。

「いつも夕季がおじゃましちゃってごめんなさいね。迷惑だったらいつでも言ってね」

「いえ、迷惑だなんて。こちらこそ、いつも弟達の面倒を見ていただいて、古閑さんには感謝しています。犬の散歩までしてもらっちゃって」

「あなた、しっかりしてるわねえ。本当に高校生」

「いえ、そんな……」

「あ、別にふけてるとか思ってないからね。礼也と同い年なのにお姉さんみたいだから。なんだか担任の先生みたい。うふふふふ。やだ、おばさんみたいなこと言ってない? あたし」とても嬉しそうにおばさん笑いをする。「あ、ちなみにあたしと夕季とは五つ違いなんだけどね」

「はい……。風邪、ですか?」

「ん?」やや声がかれ気味の忍が、心配そうな顔を向ける楓に取り繕い笑いをする。「なんでもないの。昨日、ちょっと歌いすぎちゃって。……唱歌だけど」

「そうなんですか……」

「あ、桐嶋さん。こんちわ」

 客間からマンガ本を手に顔を見せた光輔に、ようやく楓がリラックスした様子となる。

 その横から顔を出した礼也が、さっそく楓の持つフレールの紙袋に目をつけた。

「お、差し入れか。気がきくじゃん。さ、休憩しようぜ」

「駄目、ここまでやってからにして」

「てっ!」

 立ち上がろうとする礼也を、夕季が平手で撃ち落とす。

 その日は日曜で、前日に光輔が楓を誘ったため、午後から訪れることになっていたのだった。

 それに一瞬だけムッとなった礼也だったが、特に光輔を責めるようなこともしなかった。

「んだよ。せっかく桐嶋が差し入れしにきてくれたのによ」手の甲をさすりながら、礼也が夕季の追撃を振り切って楓を迎え入れる。「こっちのメロンパン食ってみろって。バカうまだから。一口食ったらおまえの不細工なツラもハッピーな笑顔に包まれることうけあいだって。カレーパンもいいが、てめえが井の中の蛙だってとを、いやでも思い知ることになるだろうぜ」

「礼也! 真剣にやらないと怒るよ」

「あっははは! なんだ、これ! おっかし~! 何回読んでも笑えるな」

「てめえは帰れって」

 もぐもぐと口をうごめかせながら礼也が光輔をたしなめた。

「おまえも帰れ!」

「んだ、てめえ、俺だってみやげ持ってきてやっただろうが」

「どこが! 桔平さんから借りてた変なまんがを持ってきただけじゃない!」

「いや、おまえもハレンチまんがを読みてえかと思ってよ」

「あんなもの誰が……」

「あっははは!」

「……」

「……」

「あ、礼也、これって桔平さんに返しておけばいいんだよね」

「……おう」

「わかった。……。あっはははは! いや~ん、だって!」

「……シノボーポ効果だな」

「……」

「へえ~、古閑さん、こういうの好きなんだ」

 楓の声に振り返ると、光輔がマンガ本を手渡すのが見えた。

「あた、……同じクラスの人に借りただけ……」

「あっははは! おもしろいかも」

「ね」

「ねえ、市長星が見えるとどうなっちゃうの」

「ああ、次の選挙で落選しちゃうんだって」

「ふ~ん」

 じろりと夕季が睨みつける。

 それを自分のことだと思った楓が、繕うように笑った。

「あ、ごめんなさい」

「……いえ、すみません」

 やれやれと言わんばかりに、礼也が夕季の顔を見やる。

「おまえさ、すぐにそうやって何でもかんでも噛みつくクセ、直した方がいいぜ。まるで狂犬だって」

 条件反射でキッと礼也に振り返る夕季。

「礼也に言われたくない!」

「はああ!」

「あれ、夕季、七巻ないよ」

 キッと光輔にも振り返った。

「ないわけない!」

「一巻もないよ」

 楓が覗き込む袋を、光輔も一緒に確認した。

「袋の中にも入ってないよね、七巻」

「一巻も見あたらない」

「そんなはず……」二人を押しのけ、袋をさばくる夕季の顔が真っ青に変貌した。「ない。……ない」

「あ~あ、これ小川に借りたやつだろ」

「古閑さん、一巻は?」

「……」

 光輔の声も楓の声も、夕季の耳には届かない。

 もぐもぐと口をうごめかせながら礼也がそれを眺めていると、キッチンから忍がぬうっと顔を出した。

「七巻ならあたしが借りてるよ」

「……。ほおぅ~……」

 安堵のため息とともに、またかよ、という顔になって天を仰ぐ夕季。

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」

「あ、一人で食べてる。ずるいぞ、礼也」

「気にすんなって」

「俺にも」

「おい、こら、勝手にとんな!」

「古閑さん、一巻がまだ見つからないんだけど……」

「……みんな帰って」

 その呟きに楓だけが反応した。

「あ、ごめんなさい。私、もう帰るね」

「あ、あの、そういうつもりじゃ!」

 焦って手をばたばたさせる夕季を、光輔と礼也が、まったくもう、といった顔で見下ろした。

「何ぴりぴりしてんだよ。桐嶋さん、何も悪くないのにさ」

「これでも食って落ち着きな」

「あ、一巻あった。ごめんなさい」

「……」

 そこへタイミングよく現れる忍。

「お茶入ったから。桐嶋さんもどうぞ」

「すみません」

「おし!」

「サンキュ、しぃちゃん」

「……」

 おやつに群がる輩を横目に、つかれ切った様子の夕季を忍が気にかけ声をかけた。

「どした? 夕季」

「何でも……」

「ねえ、なんで苺味なのにメロンパンなの?」

「さあ、どうしてかしらね」

 子供のように思ったことを口にする光輔を、ほほえましげに受け入れる楓。

「てめ、イチゴメロンは食うな!」

「いいじゃんか。三つもあるんだから」

「るせっ! くそガキ! 殺すぞ!」

「なんだそりゃ、そんなことで殺すなよ」

「そんなことっつったか! てめえ!」

 子供のような二人のやり取りを困ったように見守る楓。

「やめなさいよ、そんなことくらいで」

「何! そんなことっつったな、てめえも!」

「もうあげないよ」

「いや、待て、落ち着け、あのな……」

「……」

 ぼうぜんとなる夕季を忍が気の毒そうに眺めた。

「大変だね」

「……」

 ため息をつきながら腰を下ろす夕季に、楓がイチゴメロンパンを半分にちぎって差し出した。

「はい」

「……」

「食ってみなって」

 戸惑う夕季を礼也が促がす。

 夕季はパンと礼也をちらちらと見比べながら、毒でも入っているかのような顔をしてみせた。

 その様子に楓が苦笑いする。

 困ったように笑っている楓に気づき、申し訳なさそうに夕季が一口食した。嫌々パクリと口にした途端、眉間にシワを寄せ絶句する夕季。

「な、うまいだろ?」

 夕季が礼也を睨みつける。

 何も言わず、ただずっと礼也を睨みつけ始めた。

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 睨みつけたままで、もぐもぐと口を動かす。

「てめー! 意地張ってねえで、素直に負けを認めやがれ!」

 夕季がぷいと顔をそむける。

 それを見た光輔が横から手を出した。

「いらないんなら、俺もっらいっ」

「あっ!」

 奪ったイチゴメロンを一口で押し込んだ光輔を、絶望の表情で凝視する夕季。

 その追いすがるようなまなざしに、光輔が自分の犯した失策を痛感した。

「あ、ごめん……」

「く……」

「おい、うまいって素直に言えばもう少しわけてやるぞ」

 キッと夕季が礼也に振り返る。

「誰が」

 少しだけ涙目だった。

「てめえ!」

「やめろって。俺が悪かったからさあ……」

「あの子達、なんでメロンパンであそこまで……」

 不毛なやり取りを眺めていた忍が、表情もなくそう呟く。

 同じ表情になって横に並ぶ楓が合いの手を入れた。

「礼也君にとってメロンパンを馬鹿にされるのは、綾さんって人を否定されるのと同じなんだそうです」

「……なるほど」

「綾さんってどんな人なんですか?」

 ちらと横目を差し向ける楓に、忍も諦めたような顔になって笑った。

「……。メロンパンみたいな人、かな」

「……」楓が想像する。どう思い描いても、子供の頃に見たアンパンの顔をしたヒーローの顔になってしまった。「……優しそうな人なんですね」

「……まあ、そう……」

 結局、夕季は楓にイチゴメロンパンをもう一つわけてもらい、事態は収集したのだった。


 光輔はキッチンテーブルにつき、イヤホンを着用して夕季の携帯ゲーム機でファンタジーゲームに興じていた。

 それを夕季がそろっと覗きに現れる。

「そこ、そうやればよかったんだ」

 夕季の気配に気づき、光輔が振り返った。

「ん?」

「ネットとかでも調べたんだけど、よくわからなくて」

 プレイ画面を興味深々に覗き込む夕季に、イヤホンをはずして光輔が笑いかけた。

「ああ。ここわかりにくいからね。結構やりこんでないとスルーしちゃうみたい。で、こっからジャンプ!」

「ふうん……」光輔の顔色をうかがう。「返そうか、それ」

「もうクリアしたの」

「まだ」

「だったらいいよ。俺、十回くらいクリアしてるし」

「冬休みの前には返すから」

「いいって。今違うのやってるからさ」

「ふうん……。……これってもしかして、自分達の方が敵だったの」

「なんで知ってるの。攻略見た」

「見てないけど、なんとなく……」

「ふ~ん……」

 そこへ買い物から帰って来た忍が現れた。

「あれ、先生やめちゃったの?」

 振り向く夕季。

 夕季のかわりに先生役を買って出た楓をちらとうかがう。

「あの人の方が教えるの上手みたい」

「やればできるじゃない」

 三人が顔を向けると、嬉々とした表情で手を叩く楓の姿があった。

「やればできる子なんだよ、礼也君はたぶん」

「……てめえな」子ども扱いする楓に、頭を抱える礼也。「だあー!」

「いちいちパニくらないの」

 楓は楽しそうに笑っていた。


「私帰るね。頑張って」

 夕刻になり、弟らの夕飯の仕度のために楓が帰路につく。

 急激に知識を詰め込みすぎて頭がパンク寸前の礼也もそれに並んだ。

「俺、こいつ送ってくわ」

「いいよ。一人でも」

 否定する楓に、慌てて忍が飛び込んだ。

「駄目駄目。この辺結構淋しいから、礼也に送ってもらった方がいいよ」

「でも……」

「どっかの狂犬みてえな女だったらほっといても平気なんだけどよ」

「それ誰のこと!」

 キッと顔を向けた夕季を同じ顔で礼也が迎え撃った。

「逆に他に誰がいると思ってやがんだ! いい加減にしやがれ!」

「どうして逆ギレされなきゃいけないの! いい加減にするのはそっちでしょ!」

「うう~ん、うるさいなあ……」

 光輔の寝言に夕季が振り返った。

「おまえはもう帰れ!」

「わかった、綾さん……」

「……」

「こいつ、何しに来たんだ……」


「あの二人って、つき合ってるのかな?」

 何気なく呟いた楓に、ぶすっとした顔になる礼也。

「そりゃねえわ、ぜってえ」

「でも、お似合いだよね。一緒にゲームやってるところとか、すごく仲良さそうだったもの」

「そうか? まあ、そうかもな。あいつとまともに話せる奴は光輔くらいだろうしな。でもねえよ。あいつらじゃ」

「そうかな。私はあるような気がする」

「……」

 礼也の沈黙の意味が理解できず、楓が不思議そうな顔になる。

「なあ」

 夕陽をまともに受けて、その眩しさに目を細めた礼也がふいに切り出した。

「また頼むわ。ここまで来るのメンドいかもしんねえけど」

「……。別にいいけど」赤く染まる礼也の顔が眩しくて、楓が顔をそむけた。「古閑さんはいいの」

「なんだか、あいつだと素直に教わる気になんねえんだよな。頼んじまったから、今さら断るわけにもいかねえんだけどよ。ほんとはよ、あいつの姉貴に頼もうと思ってたんだが、いろいろ忙しいだろうしな。あとよ、関係ねえ状況にしとくとよけい嫌味言われるかと思ってよ。いろいろしくった」

「私なら、いいよ……」

「そっか」ほっとした顔になる礼也。笑いながら楓に振り向いた。「わり、サンキュな」

 その顔を静かに見つめ、楓が嬉しそうに笑った。

「うん……」口を結び、楓が胸の内でこねくりまわした感情の一部をほころばせる。「水杜さん、最近よく礼也君のところに来るようになったね」

「なんだかすぐに寄って来るんだよな、あいつ」

 こともなげにそう答えた礼也に、楓がぐっと顎を引いた。

「彼女、かわいいよね。みんなに人気があるのも、わかる……」

「まあ、そうなんだけどよ……」

 思いもよらぬ礼也のリアクションに楓が惚けた顔を向ける。

 礼也は自分でもよく解釈し切れていない感情を、ちらちらと楓の顔を見ながら露呈した。

「あいつの笑顔は嘘臭い。雅やおまえの嘘臭さともまったく違うって」

 目を見開いたまま、礼也の顔に釘付けとなる楓。

 それをしまったという表情で眺め、礼也がわずかな修正を試みた。

「いや、別におまえがそこまで嘘臭いってわけでもねえんだけどよ。一口でメロンパン食おうとしやがるし、いろいろリスペクトが足りねえ。うまいモンってのは、ゆっくり味わって食うモンだろ。それに関しちゃ、綾さんも大概なとこだがよ。残念だが、あの人には頭が上がらねえからな。ま、ポリシーは持ってるみたいだが、吐く寸前まで食うのは俺的には邪道もいいとこだって」

「……」

「お、一穂からメールだって。……また今夜もこわいやつがやりますから、早く帰ってきた方がいいですよ……。……毎日やってんのか、こわいの」

 まばたきも忘れ、楓が礼也の顔を横から眺め続ける。

 それになんの反応を示すことなく一穂からのメールを探っていた礼也の手が、ふいに止まった。

 表情もなく振り返った礼也の視線と、楓のそれが合致する。

「どうかした?」

「いや……。おまえ、今、なんか言ったか」

「……言ってないけど」

「そうか……」

 楓の顔を飛び越え、眉を寄せた礼也が後ろをきょろきょろと確認し始めた。

「何」

「なんでもねえが……」腑に落ちない様子で口もとをゆがめる。「誰かが俺の名前を呼んだような気がして……」




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