第三十七話 『ベリアルの友人』 8. 見ていた人
光輔は洋一とほのかを連れ、近くの河原までやってきていた。
二人とサッカーをして遊ぶ約束をしていたからだった。
河川敷の広場で洋一の蹴り出したボールを光輔が追いかける。
数十メートル先でそれを足で受け止めた人間と目が合い、光輔が軽くお辞儀をした。
光輔とほぼ同年代と思われる長身の少年は、目がなくなるほどの笑顔を向け、それから五十メートルは離れたゴール目がけてボールを蹴り出した。
そのフラットな弾道は洋一とほのかが見上げる中、ゴールネットの一番高く深い場所へと突き刺さっていった。
「ほえ~……」
超ロングシュートを間抜け面で追い続けた光輔が、感嘆の声をあげる。
大喜びの洋一らの歓声にはっと我にかえり、光輔が少年の顔を仰ぎ見た。
その視線にばつが悪そうな顔を向け、少年は苦笑いをしてみせた。
「ごめん、ごめん。君達がとても楽しそうだったから、つい調子にのっちゃって」
うんうん、とまばたきもせずに頷く光輔。その興味はすでに別のところにあった。
「すごいな、君」まだまばたきはしない。「キック力もすごいけど、あんなに正確にさ。狙ったんだろ」
すると少年が後頭部をかきながら、いやあ、と目がなくなるほどの笑顔を見せた。
「一応ね。でも子供達に当たらないかと内心ひやひやものだった」
「ふ~ん……」しらじらしい謙遜を軽く受け流し、目を開いたままで光輔が続ける。「どっかでやってるの。サッカー部だよね」
「もう引退したけどね」
「あ、三年生スか……」
「うん、一応……」
急に気を遣い始めた光輔に、少年がやや居心地悪そうに身をよじる。
「選手権に出るつもりで続けてたんだけどね。予選の決勝で負けちゃったんだ」
「決勝! ……すご」
「今年こそはって思ってたんだけど、なかなか思うようにはいかないね」
「うちは念願の二回戦進出を果たしたから、まあ、思いどおりかな。……相手のチームがインフルエンザで一回戦不戦勝だったんだけど」
「君の学校、どこ?」
「山凌学園っす。知らないと思うけど」
「敬語とかやめてよ。俺苦手なんだ」
「あ、うん……」
片目をつむって手を合わせる少年に、光輔がゆるゆると心を開いていく。
いつしか名前も知らない二人が、ベンチに並んで腰かけ、友達のように話し始めていた。
「決勝までいったんだよね」光輔がふいに難しそうな顔をしてみせた。「俺、テレビで観てたけど、よくわかんなかったな。出てたんだよね。スタメン?」
「あ、俺、よその県の人間だから」
「そうなの」
「鳳陰学園って知ってる?」
「知ってるも何も!」光輔がごくりと唾を飲み込む。「インハイで準優勝してたよね。プレミアとかも出てて。頭もいいとこだ」
「うん。だから今度こそは優勝したいと思って、浪人覚悟で残ったんだけど駄目だった」
「ひょっとして、鳳陰のエースの人?」
「うん、まあ一応……」
「そうだ、そうだ。どこかで見たことあるなって気がしたんだ。どおりでうまいわけだ」ふんごーと鼻息を荒げる。「プロにはなんないの」
「無理だよ」
「鳳陰のエースならなれるでしょ」
「そう考えてた時期もあったけれどね。上には上がいる。プロチームの下部組織で厳しい生存競争を続けている人達ですら、トップに上がれるのはほんの一握りしかいない。そこから十年先まで名前が知られている人なんて、それこそ奇跡みたいな確率だよ。サッカーで食べてくのって難しいと思うよ。俺なんかじゃ先が見えてる」
「そんなもんなのかなあ……」
「俺にとってはね。一生懸命勉強してそこそこの大学に入るくらいが関の山さ。それで国家試験にでも合格できれば、自分的には上出来なんじゃないかな」
「そういうことあっさり言っちゃうところがすごいよね……」
「君はどうするの」
「いや、プロなんて絶対無理!」
「進路とか普通にだけど」
「あ、普通にね……」苦笑いの光輔。ボールと戯れる洋一達を眺めながら、ふっと笑った。「どうだろ。勉強とか苦手だから、どこか適当なところにでも就職できればいいかな。っていっても、まだ何も考えてないんだけどさ」
「なりたいものとかは」
「なりたいものか」青く澄んだ空を見上げ、光輔がうっすらと笑みをたたえる。「そんなこと考えたこともなかった。俺、一年後、どうなってるんだろ。マジで」
「今が楽しすぎて、考えてもいないって感じかな」
「いや、ただ単に考えてなかっただけ」
「でも何かあっただろ。子供の頃とかにでもさ」
「ん~……」ふうむと思いをめぐらせる。「ないなあ」
すると少年が愉快そうに笑い始めた。
「あっはっはっは。ひょっとして、正義の味方とかって口かな」
「正義の味方?」
「うん。なんとなく君みたいなタイプが、子供の頃にそんなふうに思ってそうだと思って」
「……まあ、当たってるって言えば、そうかも」
「やっぱりね。でも正義の味方って、それ自体が正義ってわけじゃないんだよね」
「え、そうなの」
「正義って定義そのものが曖昧なせいもあるけれど、味方ってことは必ずしも正義じゃなくてもいい。正義そのものじゃなくて、あくまでも味方なんだから。たとえば警察や法律で捌けない悪党を、陰で暗殺するのだって、一応正義の味方ってことになる。極論を言えば、正義に加担しさえすれば、悪党だって正義の味方だよ。マンガに出てくる超一流のスナイパーだってその区分に含まれるのかもね」
「う~ん、なんか違うような……」
「職業として捉えようとするとそうなるのかもね」
「でもそれって職業じゃないよね。子供のたわごとみたいなものだし」
「ヒーローのこと?」
「んんん~。ヒーローっていうことなら、さっきのサッカー選手とかでもいいと思うんだ。夢や希望を他の誰かに与えられるなら、なんでもいい」
「じゃあ警察官とかは。弁護士だって考えようによっては正義の味方かもよ」
「警察官か。それもありなんだろうな。でもさ、そういうのとも違う気がする。仕事は仕事だしさ。そういうのとは別に、ボランティアとかできる人の方が近いのかもしれない。ああいうのさ、損得抜きでやってる人って、それ専門でやってる人達よりもっとすごいと思うんだ。俺的にだけどね」
「ああ。でも、損得抜きで考えちゃうと、なんとなく裏があるんじゃないかって勘ぐっちゃうからね。本当にそれだけなのかなって。そう考えちゃうこと自体があさましくて嫌なんだけどね」
「うん。でもほんとにやりたいことってさ、損得抜きじゃないと絶対にできないって思うんだ。さっきの警官とか軍人の人とかも、命かけてるのはすごいなって思う。でも俺は、仕事抜きで命をかけてみたい。好きなことや、好きな人のためにさ。なんか、うさん臭いこと言ってるなって自分でもわかるんだけど。……変かな」
「変じゃないよ。でもそう思う人もいる。きっとそういう人達は、君がいくらそういうことをしても、関心すら示さないと思う。自分が直接助けられたりしなければね。でも仕方ないことだと思うよ。人間はそういう生き物だから」
「だったらさ、そういう姿のまま死んでいった人って、ただぼろが出なかっただけみたいになっちゃうよね」
「そういう姿のままって?」
「……。ん~、やっぱいいや」
「?」
「なんだろ。やっぱり口にしにくい感じのことだしさ。普段は思ってるだけでいいことを人に伝えるのって、難しいなあ。こういうことって、言えば言うほど変な方にいっちゃうし。なんか、いちいちその人のことを変なフォローで言い訳してるようでさ。命かけるって言っても別にケンカしたいわけじゃないし、死ねばいいってことでもないんだろうし」
「つまり、そういう人がいるってことなのかな。君のそばには」
線のような少年の目の奥が一閃の光を放つ。
それを認めてなお、光輔は表情を変えることなく見つめていた。
「人達。信じてはもらえないとは思うけれどさ」
「信じるよ」また穏やかな笑みをたたえ、少年が楽しそうに続けた。「うまくは言えないけれど、君が言うことは信じられる気がする。どうしてだかわからない。初めて会ったのにね。君が知っていて、そういうふうになりたいって思ってる人達が、実は正義の味方なんじゃないかってことだよね」
「うん。……たぶん」
「たぶん?」
「ああ、うん。中にはもうこの世にいない人もいるからさ。だから美化しすぎなところもあるんだろうけどさ。でも少なくとも、俺の前ではその人はその人なりの生き方を貫いていってくれたから。もう何年か生きてたらボロの一つも出てたかも知れないけれど、それ見る前に死なれちゃったら、もう認めるしかなくなっちゃうよ。そういう生き方をしていた人をね。そんなんだから、早死にしちゃったんだろうけどさ」
「そういう人だからこそ長く生きているべきなのにね。でも今の世の中は、犠牲になってくれる人間を遠くから眺めていることしかできない。そういうシステムを自分達が作り上げてしまったから。犠牲になることが尊いことだと知っていても、損をすることの方がバカらしいって自然に考えてしまう。だから僕も失敗してすべて失うよりも、失敗しても取り戻せる方法を選ぶ。ズルい人間だなって自分でもわかってる。君とは真逆だよ」
「いや、俺も就職活動に失敗したくはないんだけど……」
苦笑いの光輔を眺め、少年がおもしろそうに笑った。
「きっと今の後ろ向きな方向性さえなくなれば、くすぶっている人達が活躍できる場所が増えるんだろうね。どこにだって君みたいに考えている人はいるはずだから。なかなか口には出さないだろうけどね」
「うん、よくわかんないけど」
「人間は愚かだから、ね。いつかまた、ソドムとゴモラの町みたいに滅ぼされるんじゃないかな。それでも正義の味方を続ける意味ってあるのかな」
「あ~、知ってる、それ」突如として、光輔の顔が輝きを増す。「それって神様に滅ぼされたんだよね。ゲームとかで聞いたことある。神様の怒りを買ったからだって」
「原因は別にあるんだけどね」
「え、そうなの」
「結局は、そんなことを神様のせいだとかに置き換えること自体が、人間のおごりであり、逃げだと思うんだけど」
「え? え? え?」
「種としての人類の寿命なんて、何十億年もの地球の歴史の中では、数え切れないほど繰り返されてきたサイクルの中のほんの一瞬にすぎない。今はたまたま自分達が生存競争のトップに立っているけど、地球そのものからしたらちょっとした虫歯や吹き出物みたいなものなんだ。ほっとけばとんでもないことになるかもしれないけれど、ちょっとその気になって削れば綺麗に消えてなくなる。それを取り除くことに何ら躊躇することもない。自分達を中心に考えるから、つい人類の滅亡と地球の最期を同じレベルで結び付けてしまいがちなんだけど、この二つはまったく別のものなんだ」
「……よくわからない」
「毎日歯を磨いていれば、いつか歯ブラシは使えなくなるよね。そしたらどうする」
「コンビニで新しいのを買ってくる」
「それと同じ」
「え? え? え?」
「古い歯ブラシを捨てずに修理しようなんて思わないだろ。ゴミになってしまったものは、ただ邪魔なだけだ」
「……掃除用にとっとくことはあるけど」
「あっはははは!」ふいに豪快に笑いあげる。「やっぱり君は正義の味方だ」
その意味がわからず、ただ光輔は困惑するだけだった。
そんな光輔の表情を読み取り、少年がやや申し訳なさそうな顔になった。
「要するにさ、環境破壊とか人類の滅亡とか、こっちが勝手に大騒ぎしているだけで、地球にとっては大したことじゃないってことさ」
「すごいこと言っちゃうんだね……」
「地殻変動を天変地異と決めつけるから大げさな話になる。ミルクの上に浮かべたクッキーを大地だと言い張って、勝手に人間達が住み着いただけのことだろう。はなから崩れ落ちることがわかっていながら、それをずっと先送りにしてね。カラスの巣を取り除いたら、帰ってきたカラスは困るだろうけれど、また別の場所に巣をつくる。地球はそれを下から迷惑そうに眺めている人間と同じだよ」
「へえ~……」感心した様子で光輔が少年の横顔を見つめる。「カラスの巣の話はわかったけど、それと地球の話が同じかどうかが全然理解できない」
「……」
「……。やっぱり俺、バカなのかな……」
自虐気味に悩み始めた光輔をまばたきもせずに眺め、やがて少年が、ぷっと吹き出す。
「ごめん、俺も自分で言ってて、よくわからなかったんだ」
「え?」
「そういう本を昨日読んだから、誰かに言いたくなっちゃって。結構、オカルトとか好きな方で」
「……。えええ~!」
「あっはっはっは!」
それからやにわに立ち上がり、ズボンの埃を払った。
「おもしろかった。受験勉強の息抜きになったよ。ありがとう、穂村君」
「あ、うん……」
やや照れつつも、光輔が差し出された握手を受け取る。
少年は嬉しそうに笑い、光輔に背中を向けた。
「また会いたいね。今度来た時、運良くここで会えればだけれど」
「うん。受験、頑張ってね」
「ああ、ありがとう」
光輔が少年の後ろ姿を見送る。
その時、背後から襲いかかるボールに後頭部を強襲され、はっと我に返った。
「て!」
「光輔、早く、こっち」
「光輔~」
洋一とほのかだった。
苦笑いを返しつつ、光輔がボールを手に取る。
蹴りつけようとしたところで、ふと疑問が脳裏をよぎった。
「……。あれ、俺、名前いつ言ったんだろ……」




