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第三十七話 『ベリアルの友人』 7. 踏み出した一歩

 


「何?」

 中庭で振り返った夕季にまじまじと見つめられ、光輔が不思議そうな顔を向ける。

 夕季はしばらくの間光輔の顔を見つめていたが、やがて表情をかえることなくまた背中を向けた。

「別に……」

「?」

「夕季しぇんぱ~い!」

 みつばの呼びかける声に光輔と並んで歩く夕季が振り返る。

 二階の通路からみつばが笑顔で両手を振っていた。

 その隣には友人らしき女子生徒の姿が二名ほど。

 彼女らは夕季が顔を向けると、キャキャと喜びながら互いの手をつかみ合った。

「……」

「またファンが増えたの?」

 じっと光輔の顔を見つめる。

「……なんで照れてんの」

「照れてない……」

「あ、ホムしぇんぱいだ。ホ~ムシェ~ンパア~イ!」


 夕刻、夕季が秋人から借りたマンガ本をむさぼるように読みふけっていると、思わぬ輩からの着信があった。

 特定危険者リストに放り込んでいた迷惑人物の最上位、霧崎礼也からだった。

 迷惑そうにしげしげと画面を見つめ、せんべいをぺりっとかじる。

「後であたしにも読ませてね」

 夕食の支度をしながら呼びかける忍に、目線を向ける夕季。

「いいよ。好きな時に読んで」

「それ、小川君って子から借りたんでしょ」

「うん」

「前にエルバラ貸してくれた子だよね。また何かお礼しなくちゃね」

「いいよ、別に。……あたしも手伝う」せんべいをくわえながら立ち上がり、礼也からの電話を受ける。「何」

『早く出ろって!』

「……。電波状態が悪いみたい……」

『わかった、わかった、切るな。……あ、てめえ、なんか食ってやがるな!』

「なにも」ぱきっとせんべいをかじり折る。「んふっ!」

『嘘つけ! 今、変なとこに入ったろ!』

「んふっ、えふっ! 何か用なの。今から夕飯の支度があるから切る」

『いや、待て、待て!』

「……」

『……』

「……」

『……』

「何!」

『いやよ、まあ、なんだ……』じれた夕季にようやく言いにくそうに礼也が用件を伝えた。『勉強教えろって……』


 それは異様な光景だった。

 テーブルの上にところせましと散らばったプリントを睨みつけ、礼也がう~んう~んと唸り声をあげる。

 その右手では迷惑そうな夕季がものも言わずに見つめていた。

 夕季の反対側では寝転びながらマンガ本を読みふける光輔の姿があった。

 出席日数の足りない礼也が、卒業をするために課されたプリントの束を消化するために、夕季に助けを求めてきたのである。

「あはははは!」

 腹ばいになって笑い転げる光輔をじろりと見やる夕季。

「何しに来たの、光輔」

「いや、夕季のうちに北東の県があるって小川から聞いたからさ。もっかい読もうかなって」

「それでメシまで食いにきやがったのか、てめえは!」

「うん」

 オーバーヒート寸前で切れ気味の礼也に、光輔があっけらかんと頷いてみせる。

「ったく、ずうずうしい野郎だ」

 ちらと夕季が礼也に目を向ける。

 当然礼也も、しっかりと夕食はたいらげた後だった。

「あっはははは! ひで~、これおかし~!」

「てめ、ナンもしねえんなら帰れ!」

「あっはははは! あれ、夕季、この続きは?」

「光輔、邪魔するなら帰って」

「邪魔しないからいいだろ。あ、やべ、もう少しで破れるとこだった」

「気をつけてよ! 借り物なんだから!」

「いや、わかってるよ」

「光ちゃん、りんご食べる?」

「あ、食べる、食べる。ありがと、しぃちゃん」

「礼也も食べなよ」

 忍がりんごを盛った皿を差し出そうとした時、突然礼也が爆発した。

「だあー! なんで俺が年下の奴に勉強教わらなきゃならねえんだって!」

 それをタイムラグなく打ち返す夕季。

「こっちが言いたい! 情けないとか思わないの!」

「はああああああ!」

「夕季、ゲームやっていい?」

「おまえは帰れ!」

「ああ、うん、すぐ帰るから。この後観たいテレビもあるし」

「おばけのやつだろ、てめえ」

「うん、おばけのやつ」

「また寝れなくなるぞ」

「だいじょぶ、だいじょぶ。先におしっことか全部すませておくから。こたつにもぐってそのまま寝ちゃえば平気かなって」

「あんなもん、九時前には終わるはずだろ。んな早く寝て、夜中にしょんべんいきたくなったらどうすんだ」

「あ、そっか! ……あれ? 一穂からメールだ。なんだろ」メールの内容を確認する光輔。「こうすけわあ、へたれだから、七時からやるおばけの番組観れないだろ、ざまあ……」

「何やってやがんだ、あいつは……」

「返信してやろ。俺はあ、夕季の家で観ていくからあ……」

「もうすぐ帰るんじゃなかったの!」

「最悪、泊まっていくから平気……」

「絶対帰れ!」

「おまえこそ、一人で観るのがこわいくせに、っと」すぐに返信がくる。「早いな……。……うるせえ、なめんな、バーカ? ……あいつ、一人で観る気なの?」

「観れるかって。おまえ以上のへたれなのに」

「だよね……」

「?」今度は礼也がメールを確認する番だった。「……ラーメンを作ったので、のびるともったいないので早く帰ってきてください。なるべく早く……」

「一穂から?」

「一穂からだって」

「絶対のびるよね、ラーメン」

「たりめえだろ……」

「一人で観るのがこわいんだな」

「……」追伸到着。「ぶっそうなので、早く戸締りをしたいです。できれば今すぐにでも……」

「……世界一安全なメガルだよね」

「……礼也君の好きなメロンパンも買ってありますよ……」

「二人とも帰ればあ!」

「はあ!」

「あ! しぃちゃん、警察のやつ、録画していい?」

「いいよお~」

「おばけのやつが終わってから観ようっと」

「光輔!」


「夕季は?」

 メック・トルーパー休憩所で、鼻をほじりながら桔平が振り返る。

 マンガ本を読みながら、光輔が顔を向けた。

「ああ、友達と映画観にいったす」

「友達! 俺を置いてか」

「まあ、そういうことすね」

「ひどいじゃねえか!」

「……まあ、ひどいすよね」

「ぐぬぬぬぬ」

「俺も置いてかれたって」

 光輔と同様、マンガ本を読みながら、礼也も鼻をほじる。

「おまえも映画観たかったのか」

「いや、映画じゃねえけどよ。ちょい、あいつんちに用があって」となりでマンガ本を読む雅に顔を向けた。「おい、四巻まだか」

「ん?」にこにこ顔で雅が振り返った。「もうちょっと待って。今いいとこだから」

「いいとこって。……ハレンチまんがだろ」

「ちょうどハレンチなとこです。いや~ん」

「……んなこと言う女、見たことねえけどな」

「あ~ん、かんにんしてえ~」

「……」

「あれ、このキャラ、こっちのマンガにも出てたよ」

「スターシステムだよ、光ちゃん」

 光輔の疑問に雅がドヤ顔で答える。

「……ハレンチまんがなのに?」

「ハレンチまんがなのにだす! あ、かんじゃった、いや~ん」

「……はは」

「しの坊がいるだろ。今日は休みのはずだが」

「同級会だってよ」

「ああ、今日だったけか。女学校の同級会」桔平が何ごとかを懐かしげに思い返す。「そういやよ、しの坊の奴、なんかちょっとずつ歌がうまくなってきててよ。やっぱ、続けることが大事なんだな」

「しぃちゃん、歌うまくなったんだ」雅が嬉しそうに顔を上げる。

「おお。うまいうまいっておだててやったら、あいつもお調子モンだからけっこうその気になっちゃってよ。自信を持つのって大事なんだな」

「あんなにへたぴーだったのに」

「ほんとはみっちゃんに毛がはえたくらいのモンなんだけどな。あっははは」

「じゃあCDとか出せるレベルじゃん。しぃちゃん、すごい上達ぶりだね」

「なあ、思い込みってすごいよなあ。あはははは!」

「ほんとだね。うふふふふ!」

 ガン無視を決め込み、読書を続ける光輔と礼也。

「あれ、なんだっけか。自分に言い聞かせるとそんなふうに効果がでるっての。プラスボなんとかっていう」

「シノボーポ効果?」

「そう、それそれ」

 先に光輔が我慢の限界に達した。

「……プラシーボ効果だっけ?」

「絶妙のナイ加減だって……」

「……」苦笑いの光輔が、ふと思い出して礼也にたずねる。「一穂は」

 すると礼也がどうでもよさげに答える。

「昨日観たこわいやつが頭から抜けなくて、まだ部屋でびくびくしてるって」

「……一人で観たんだ。がんばったよね」

「どこがだ」親指で鼻の穴をほじりながらあくびをかます。「俺が帰ってもびびって鍵も開けにこねえしよ。こたつの中にもぐって、しょんべん我慢してやがって、もうちょっとでえれえことになるとこだったっての」

「はははは……」

「腹減ったな。スパでも食いにいくか」

 突然の桔平のツイートに、他の三人の耳がピクンと反応する。

「いくって」

「いきたいす」

「スパとか言い方がオジサンくさいよ」

「じゃ、ヤングはなんて言うんだ」

「ゲティだよ」

「ゲティか」

 ドヤ顔の雅に、桔平が納得の表情にかわる。

 光輔と礼也があきれた顔を見合わせた。

「言わないよね……」

「言わねえって……」

「そういや、ゲティちゃんとかいう猫のキャラがいたよな」

「いたいた」

「……いないよね」

「……いねえって」


 忍はとある料理屋の宴会部屋に足を踏み入れようとしていた。

 ここが高校の同級会の会場だった。

 靴を脱ぎ、一度深呼吸する。

 襖の奥からは早めに集合した同窓生達の談笑が伝わってきた。

 午前十一時からの開始。

 勝負はその後の二次会だった。

 あれから毎日桔平らと歌の練習に費やした。というより、純粋に楽しんだ。

 そして一度打ちのめされたことにより、気負った感情が抜け、ワンランク上のステージに上がることができたのである。

 独り善がりの選曲を見直し、ユーニンを含む誰もが楽しめるラインナップをチョイスした。場の雰囲気を考慮して、咄嗟に唱歌にきりかえる手はずもばっちりだった。

 今の忍には死角はない。

 あとは平常心を保ち、ここでの二時間をとどこおりなく終えるだけだ。

 すうっと息を吸い込み、凛としたまなざしでその扉を開ける。

 と同時に、旧友達の歓喜の声が矢継ぎ早に飛び込んできた。

「あ、古閑先生だ」

「ほんとだ、先生だ」

「元気か、古閑先生」

「ちょっと、みんな……」

「先生、まだヘビメタとか聴いてんの」

「はあっ! ……今はユーニンとかしか聴いてない、し……」

「ユーニンてイメージじゃないよな」

「どっちかってえと、頭ガンガンぶんまわしてる感じだな」

「はあ!」

「そうだ、久しぶりに先生の歌が聴きたいな」

「カラオケ頼もうぜ」

「……カラオケとかあまりいかないし、今の歌もよく知らないから、唱歌とかしか歌えないかも……」

「古閑先生のヘビメタリサイタル、久しぶりだな」

「……歌いませんて……」

 出鼻をくじかれ、忍が一歩退く。

 それ以上の後退を、後続の人間が許さなかった。

「お、古閑先生じゃないか」

 忍達の当時の担任の教師だった。

「あ、室伏先生」

「ちわーす」

「おう、元気か、みんな」すっかり薄ら上がった頭をなでつつ、また学級委員だった忍へと向き直る。「古閑は立派になったなあ。ますます先生らしくなってきた」

「先生まで……」

「そうだ、古閑、あれ歌ってくれ、あれ。謝恩会の時におまえが歌ったあの歌がもう一度聴きたい」元担任が眉間に拳を当て、当時の記憶を掘り起こす。「他の先生達も大爆笑だったからな。まさか優等生のおまえが頭をガンガン振りまわしてあんな歌を歌うとはな。あの時のおまえの一生懸命な顔を今でもよく思い出して笑う。風呂に入っている時とかによく思い出すぞ。あれだ。『暮れないのウィーケン』」

「はあああっ!」

「あった! 先生、あったよ!」

「いくよ、先生!」

「ほら、マイク、マイク」

「いきなりか!」

「ういけーえん、てか」


 ノックの音に反応し、桐生藤鋼が顔を向ける。

 ドアを開けると、そこには三雲の姿があった。

 生きているのが不思議とも思えるほどに痩せこけ、白髪化した短髪のせいもあり、相応の年齢より十以上も老け込んで見える。

 が、そのギラつくまなざしだけは、獲物を求める獣の目そのものだった。

「桐生隊長、頼みがある……」






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