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第三十五話 『ブレイク・アウト』 11. 穏やかな日々

 


 艦隊は大ダメージを受けていた。

 作戦の失敗のみならず、むしろ人間同士をつなぎとめる心こそが壊滅的だとも言えた。

 今後彼らが以前のように言葉を交わすことは、おそらくないであろう。

 そして旗艦の中でも、身も心も疲弊したリーダーとその側近が顔をそむけ合っていた。

「司令、メガルよりモールス信号です」

 軍服が肩口から裂け、ぼろぼろの格好をした通信兵が司令官に電文を差し出す。

 そこにはこう記されてあった。

「プログラムの影響により多岐にわたり情報系統のトラブルが生じた模様。多大なる損害を被りつつもプログラム殲滅に対し全力をもってご助力いただいた事実を深く受け止め、貴軍の惜しみない協力と勇敢なる奮戦ぶりに心よりの感謝の意を表する。なおシステム復旧後ただちに、栄誉あるこの詳細の一部始終を惜しむことなく全世界に向けて発信することを約束する……」声に出してそれを読み上げ、くしゃっと握り潰し、丸めて投げ捨てる。「プログラムだと。ふざけおって。……やられた、完全に出し抜かれた……」

 それを気配で察知し、くしゃくしゃの紙切れを拾い上げて、側近が続きを読み上げた。

「貴軍の比類なき勇猛さに心からの敬意を表す。貴殿が現状の姿勢を保持し続ける限り、我々は貴殿への応援を決して辞めることはないだろう……。すべてお見通しだったということですね」

 紙面をくしゃっと握り込み、顔を外に向けたままで、側近が感情のこもらない言葉を繰り出した。

「助けられましたな。警告を無視してプログラムに介入した時点で、巻き込まれても文句は言えない。ましてやテロリストと間違われて殺されるようなことでもあれば、誰一人浮かばれない。被害額とケガ人の数は天文学的な数字ですが、死者が出なかったのは奇跡に近い。彼らの最大限の譲歩にして配慮でしょう」

「くそ!」

「我が艦隊の被害は甚大です。ただし、対外的には我々は、平和を維持した英雄として取り扱われることでしょう。あくまでも彼らの好意によって」

「……。今回の損害請求はすべて日本政府に突きつけておけ!」

「不可能です」

「何だと!」

「我々は演習の承諾を受ける条件として、いかなる損害も他方に請求しないとする旨のサインを交わしています。我々の恫喝によりその条件に全面的に従う形でこの国は渋々了承し、それを理由にして、世論と反対派をねじ伏せて、あなたがこの無謀な作戦を強行してしまったからです。彼らに落ち度はない。すべて我々の責任です」

「それがどうした! 理由など関係ない。またいつものように……」

「いつもならいざ知らず、今回に至っては我々の味方をする者は国内外のどこにもいません。三つの艦隊を空母の艦載機を含めてほぼ壊滅させ、表には出せないマリーンの揚陸艦を六隻も使い物にならなくした。陸軍から借り受けた存在しないはずの新型兵器もです。一つの大陸の脅威を易々と平定できるほどの戦力を、ほんの数分間のうちに失ってしまったのです。これだけの被害を、歴史上我が国が被った事実はない。その責任をすべてあなたが一人で負うことになるはずです。これだけのことをなせる人間は、英雄としか形容できない。あなたこそ世界的に認められる英雄に違いない」

「何故私が! 失敗したのは貴様達が無能なせいだ! 私の責任ではない!」

「まだおわかりになりませんか」

「何がだ!」

「あなたは失脚したのです。もう誰もあなたの言葉に耳を傾けることはないでしょう。それでも英雄だ。誰からも尊敬されない、ハリボテの英雄ですが」

「……」


 メガル司令室、特設スペースでは、ほっと一息ついての小さな祝勝会が開かれていた。

 忍が運んできた紅茶に、あさみや桔平が口をつける。

「大儀が命取りになったな」疲れた顔でにやりと笑う桔平。「あれだけ誘導のための余分な情報を用意すれば、綻びの一つや二つ必ず出る。穴を見つけるのも簡単なことだ。メガルの情報網は世界一だからな。それでもここに降りてくるのはせいぜい爪の先っちょくらいのものだろうが」

 紅茶をずずずとすすりながら、あさみがちらと目線だけを差し向ける。

「……。無茶するわね」

 それを察し、桔平が苦笑いした。

「奴らの浅知恵ごときでうちが落ちるようなことはないだろうが、例の情報のおかげでこっちの被害はほぼゼロだった。完全勝利ってとこだな」

「そうね。お礼を言っておくわ。喜ぶわよ、彼女」

「礼を言うくらいならあの食いしん坊に何か送ってやれよ。俺もモナカを余分に送ってやらなきゃな」

「私の名前も連名にしておいてくれない」

「金はもちろん……」

「払わないけど」

「……。せこいな、おば……」

「それ以上言ったらどうなるかわかってるでしょうね!」

 迫力に絶句する桔平。それから表情を和らげ、ぼそりと呟いた。

「……パーフェクトコールドか」

「何か言った?」

 腕組みのあさみが振り返る。

「いや、何も……」

 そう言ってそっぽを向いた桔平を、あさみは不思議そうに眺めるだけだった。


 学園祭最終日、午後のメインプログラムのミス山凌コンテストは滞りなく終了し、なんの波乱もないまま三代目ミス山凌改め、初代プリンセス山凌の栄冠は、水杜茜の頭上にあっさりと収まることとなった。

 午後五時をもって閉幕するこの祭りも、日が傾き出すとともに一気に終焉へ向けて加速し始める。

 四時になる頃には、サッカー部のアトラクションに訪れる客もまばらとなっていた。

「古閑さん」

 キャプテンに声をかけられ、店番でパイプ椅子に腰掛けていた夕季が振り返る。

「もういいよ。本当に助かったよ、ありがとう」

「いえ」

 礼を告げ、笑顔を向けるキャプテンに、夕季が恐縮して軽く頭を下げる。

 するとキャプテンは少しだけ調子にのってみせた。

「このままマネージャーになってくれたら、もっと嬉しいんだけどな。なんてね」

「……」

 戸惑うような仕草の夕季を楽しそうに眺め、隣にいた光輔にも声をかけて金券を差し出した。

「おい、ホム。おまえももういいよ。二人で遊んでこいよ」

「え、マジすか?」

 様子を察し、わらわらと部員達が集まり出す。

「ええ~、古閑さん行っちまうの」

「マジか」

「このままマネージャーになっちまえばいいのに」

 また戸惑い始める夕季。

 今度はそんな夕季をかばうように、キャプテンが部員達をたしなめにかかった。

「無茶言うなって。もともと嫌々手伝ってくれてたのに、これ以上はずうずうしいぞ」

「そんな、嫌々なんて……」

 極端な物言いに、夕季からその言葉を引き出すことに成功した。

「んじゃ、名誉マネージャーってことでオッケーかな」

 夕季がちろりとキャプテンを見つめる。

 その妙なプレッシャーにキャプテンの心がやや後退した。

「あ…… オッケーじゃないかも……」

「……睨んでませんから……」

「おい、写真撮ろうぜ」

 一人の提唱によって集団が動き始める。

「おお、集まれ、集まれ」

「その後、個別な」

 困り果てた夕季が光輔の方に目を向けたが、光輔こそ我一番にカメラを持ち出す始末だった。

「……」


 騒動も収まり、みつばも交えて、光輔と夕季が学園祭の残りの時間を堪能することとなった。

 最後にもう一度サッカー部へと顔を出す二人。

 五時も近くなればグラウンドも暗くなり出し、客はほとんどない状態だった。

 一人店番をしていたキャプテンがそれに気づいて立ち上がった。

「おう、お疲れ」

「お疲れさあっす。どうすか?」

「うん……。サービス停止してからは客足はぱったりだ」

「はは……」

「とりあえず美人マネージャーの急募がうちの最大の課題だな」

「うちが強くない理由がわかったような気がします」

 軽口をかわし合う二人を横目に、夕季が自分達の手で作り上げたアトラクションを感慨深く眺める。

 振り返り、小さな笑みと金券をキャプテンへと向けた。

「私にもやらせて下さい」

 それを嬉しそうに受け取るキャプテン。

「二百円ね」

 夕季がキックしたボールは夕陽の彼方へと消えていった。


 校舎の電灯がぽつぽつと灯り出し、かすかな光の中、最低限の片づけが行われていた。

 終焉を迎えた学園祭が一日の終わりを示す夕焼けに照らされる頃、光輔と夕季は並んで店番のテーブルの前に腰かけていた。

「夕季、今日はありがとな」

 ふいにそう言った光輔に、何気なく顔を向ける夕季。

「何が」

「いろいろと」

 そう答えて、含みのある笑みを作った光輔の横顔を、夕季は複雑そうな表情で眺めていた。

 やがて光輔と同じ方向を向いて、口を開く。

「誰にだってできることとできないことがある。光輔は自分にしかできないことをちゃんとやっているから、そんなこと気にしなくてもいい」

「ははっ、そうかも……」夕季の言葉を受け、光輔が嬉しそうに笑って足もとを見つめた。「まさかおまえが六枚も抜くとは思わなかったけど……」

 その様子を横目で確認し、少しだけ夕季が不安な気持ちにかられる。

「どうして竜王やガーディアンを作れたほどの優れた文明が滅びてしまったんだろう」

「きっとそれに見合った心を持つ人間がいなかったんだろ」

「……」

 夕季にしてみれば何気なく投げかけた言葉にすぎなかった。答えなど求めてはいない。

 それゆえに、光輔からの即答には、感慨以上に胸を打つ何かがあった。

「……。何だか平和だね。いつ人類が滅亡してもおかしくないのに」

「平和なんてどこにだってあるよ。俺達がそれを放棄さえしなければさ」

 いつかどこかで光輔と交わしたような会話を思い出し、夕季がふと淋しそうに目を伏せる。

「……いつまで続くんだろう」

「さあ」

 それから夕季は、せつなげな表情で落ちていく夕陽を見つめていた。

「そうだ、写真撮ろう」

 ふいに飛び出した光輔からの提案に、面食らう夕季。

 それを知ってか知らずか、光輔がいたずらっぽく笑ってみせる。

「たまにはいいだろ」

 戸惑う夕季の心を置き去りにしたまま、テーブルの上にカメラをセットする光輔。

 ターゲットのセットを背に、待ち受ける夕季の表情はかたかった。

「よし、と」タイマーをセットし、光輔が急いで夕季の横へとやって来る。「そういや、こうやっておまえと写真撮るのって初めてかもな。なんでだろ。つき合いながいのにな。お、くるぞ。それ、ニッとしろよ。まばたき我慢な」

「……」マイペースな光輔に一瞬ムッとなりかけた夕季だったが、ごく自然に穏やかな表情へとかわっていった。

「まだかな。あ、目がやばい。痛い!」

「うるさい……」

 シャッターが落ちる数瞬前に、夕季が控えめにニコッと笑った。






                                     了

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