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その27.帰り道(7)

「そのメール、見せて」

「えっ? ちょ、内容は言ったじゃん、なんで見る必要あるの!」

「サルには拾えない情報があるかもしれないから」

 ぱぱっと奪い、手馴れた様子でいじりだす。ふたりの携帯は同じ機種だ。

「ぎゃあああ! やめて、やーめーてー!」

「あったま悪そうな件名ばっか……『ちょもやんま?』?」

「関係ないでしょおお!?」

「『ねえねえ、ちょもやんまってなに?』なにこれ」

「テレビかなんかで聞いて、なにかなって思って! 坂口に聞いただけ! 検索しても出ないし」

「『鬼ヤンマの亜種』」

「なんで返信まで見てんの!」

「ここまで見たら気になるじゃん。『鬼ヤンマってなんだっけ』おまえほんとバカな」

「度忘れしたの! トンボでしょ知ってるよ!」

「坂口、おまえのこと大好きだな……」

「は?」

「武士の情けな。今度、チョモランマでぐぐってみ」

「…………」

 トンボじゃないのね? 坂口、またあたしをだましたのね?

「これか」

 伊草の手が止まる。険しい顔で、画面を見入る。

「……あ、上がる? こんなとこで突っ立ってんのも、ヘンだよね」

「ん」

「先言っとくけど、スリッパとかないから! 高いお茶とかもないから!」

「えー俺、醇・烏龍がいー」

「じゅん……」

 醇・烏龍なんて、小池も飲みたいのに(もちろんダイエットのために)高いからあきらめているのに。

「贅沢すぎ! 第一いぐっちゃんに醇・烏龍なんて宝の持ち腐れじゃん、やせっぽちのくせに!」

「ああ!?」

「なにそのくびれ男のくせにずるい! 意味ないじゃん!」

「てめえ、言ってはならんことを……」

「……実は努力してるの? やっぱり醇・烏龍茶って効くんだ? 脂肪の分解を手伝うんだよね?」

「そんな努力してねえ、マジに聞くなばか! 俺はあの味が好きなの!」

「えー苦いじゃん。いぐっちゃんの見栄っぱり」

「おま、ほんっとにー殴られたいの」

「そんなわけないじゃん。殴ったら渡良辺ちゃんに言いつけるよ」

「言いつけりゃいいだろ。渡良辺がこわくておまえにびびるくらいだったら死んだほうがまし」

「死ん」

 絶句していると伊草は靴を脱ぎ捨てて中に入っていく。

 癖で靴をそろえてから、台所に立って冷蔵庫を見る。あー、やっぱりジュース切れてる。幹の友達が来た時のためにいつも買っとくのに、さっきちゃんと買い物しておけばよかった。っていうかしまったなあ、今日ほんとに買い物しなきゃいけなかったのに。小池はくちびるをつまみながら、うろうろと食品の入った棚を見てまわる。そうだ、ココア。

「いぐっちゃ、ココアは? 甘いの好きだよね」

「うん」

「あったかいの? 冷たいの?」

「あったかいの」

 いつもなら水で溶くところだが、リッチに牛乳にしておこう。伊草なんて太ってしまえばよろしい。客用マグを取り出したところで、ふと思いつき、それを置いて食器棚の奥を探った。人気猫キャラクター、ニャニーちゃんの頭そのもののマグカップを出す。ひとりでにやっと笑い、洗ってふきんで拭った。自分のマグと並べ、粉末のココアを入れて牛乳を注ぎ、よく混ぜてからレンジにセットする。

 和室のテーブルについている伊草を見ると、足を組んで自分の携帯でなにやらをしている。少し猫背なその後ろ姿を見ながら少しの手持ち無沙汰を楽しむと、耳慣れた電子音が響いた。

「できたよう」

「おう」

 どすんと置かれた巨大なニャニーちゃんの頭マグカップを見て、伊草はじとっと小池を睨んだ。

「おまえは……」

「ん? なに?」

「そっちと換えろ」

「やだ、これあたしのだもん。っていうか、それ小池家の亡きパパのものなのだよ、ありがたく使うべきでしょ?」

「そういうこと言う!? おまえ卑怯だな!」

「にへへへへ。かわいいでしょニャニーちゃん。あたしがパパの誕生日にあげたんだよ。買ったのはママだけど」

 うんざり、でも観念したように伊草はニャニーちゃんに目を落とす。ため息をつき、ふうふうと息を吹きかけて冷ましはじめた。あれ、いぐっちゃん猫舌? なんかお風呂とかぬるいと怒りそうなのに。こころのメモに書き留める。

「ニャニーちゃんの脳汁、甘い……」

「脳汁とか言わないでよキモい!」

「だってそうじゃん。これ、ニャニーちゃんの頭蓋にココア流し込んでるわけで」

 そりゃ、確かにそうかもしれないが。

 伊草の携帯が鳴る。待っていたのか、すぐに開き確認する。メールだったようだ。

「今、委員長来るから」

「……え?」

 耳を疑う。

「家のまわりも見たいらしいから、着いたら……」

「なんで? なんで委員長? なんか話したの?」

 あたしの事情を? 頭から水をかけられたような気がした。

「い、委員長関係ないじゃん」

 頭が、顔が熱い。手が震えていた。伊草が東条に、自分のことを相談した。あの時? 伊草とふたり、手を触れ合わせていたとき?

「信じらんない。なんで言いふらすの?」

「言いふらすってなんだよ。委員長、こういうの詳しいから」

「余計なことしないでよ、ど、どんどんおおげさにして、いぐっちゃん勝手に、ひどいよ」

 ぐるぐるする。憧れの委員長が今、あのストーカーよりにくらしく思えた。

「委員長も委員長だよ、詳しいとかなに、あた、あたしらと同じ高校生じゃん、なにができるっていうの。他人事だからっておもしろがってるわけ。最低」

「俺が頼んだんだ。委員長を悪く言うな」

「なんで委員長かばうの!? いぐっちゃんが守ってくれればいいじゃん!」

 立ち上がった伊草が小池の腕をつかんだ。その乱暴な勢いに、反射的に目を閉じて身をちぢこめる。

 そのまま、伊草の動きが止まる。つかまれた手首は痛かった。おそるおそる目を開けると、目が合った瞬間に伊草のほうからそらした。手が離れる。

「そんなん無理だし」

 つぶやきと言っていいほど、小さな声だった。伊草は奥のテレビのあるほうへからだごと向きを変え、座り直す。

「委員長と付き合ってんの」

 声が出ない。

「だから力も借りるわけ。普通だろ」

 伊草はこっちを見なかった。目の前が真っ暗になったようで、声が遠い。

「……あ、そっかあ」

 そう答えた自分の声も、誰か他の人間の声に聞こえる。

 いぐっちゃんと委員長が、付き合ってる。そっか。そっか。

 あ、また、あたし勘違いしかけてた。わかってたはずなのに。恥ずかしいな。

 ぺたりと座り込んで、あたたかいココアのマグを両手で包む。ゆっくり呼吸する。指の震えがおさまるように。

 しばらくして、チャイムが鳴った。


「こんばんは。小池ちゃん、大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ! 委員長ごめんねえ、別にたいしたことないのに」

 東条は一瞬、じっと小池の顔を見つめた。気まずくて、早口でしゃべる。

「あ、あの、いぐっちゃん借りちゃってごめんね。なんか、あたしが騒いだから」

「え?」

「委員長まで巻き込んじゃって、反省してます。もうほんと大丈夫だから、いぐっちゃん連れて帰っちゃってよー! テスト前なのにさーこんなことしてる場合じゃないよ、ふたりとも頭いいのに」

 東条の顔が見れずうつむいたまままくしたてた小池には、東条が伊草に寄越した冷たい視線は見えなかった。

「ヘンなメール来たけどさ、アドレス変えちゃえばいいし。いぐっちゃんも、帰り送ってもらえるのもありがたいーけど、でももう大丈夫だよ、だってそんなのずっとやんの大変じゃん? たいしたことあったわけじゃないし、前も特になにもなかったし……」

「小池ちゃん、ご迷惑だとは思うんだけど、おうちの中を見せてもらってもいいかしら」

「えっ? うん、それはいいけど、でももうほんと、大丈夫だか」

「おじゃまします」

 にっこりと笑って、東条は家の中に入った。靴をととのえる仕草は自然で、しつけの行き届いたお嬢さん、という言葉を思い出す。にしては今、妙に凄みを感じてしまった気がするが。

 東条は、窓を開けて外を確認し、窓自体を確かめたあと、部屋をざっと見てまわった。

「小池ちゃん、届いたメール、わたしにも見せてもらっていい?」

「あ、うん……、あでもあああああの、あたしのメールばかだよ!?」

「そんな。他のメールは見ないわ、約束する。当然じゃない。届いたのは今日の1通だけなんでしょう?」

「うん」

 携帯を開き、そのメールを表示して東条に渡す。

「これ、わたしに転送していいかな」

「えっ? うん……?」

 なんだ、なんだなんだ。そういえば詳しいって言ってたけど。東条は右手に小池の携帯、左手に自分の携帯を持って操作を進めると、画面を閉じて小池に返した。

「外を少し見たいんだけど、小池ちゃん、案内をお願いできるかな」

 うなずくしかない。

「ありがとう。でもそのまえに、顔、洗ってきたほうがいいかも。あと、シャツ」

「えっ」

 戸惑いつつもその瞬間に思い当たって、小池は洗面所へダッシュする。泣いた上にがしがしこすったせいで、顔は惨劇になっていた。それをぬぐったシャツの袖も。小池は奇声じみた悲鳴を上げた。


 外に出たときには、あたりはすっかり暗くなっていた。小池はシャツからパーカーに着替え、目深にフードをかぶっている。メイクを落として改めてアイメイクをしようとしたところで伊草に怒られ、洗面所からたたきだされた。クラスメイトの前ですっぴんをさらさせる伊草は本当に極悪人だ。っていうかもっと早く教えろ。この顔でココア入れてたのかあたしは!

「小池、超不審者……」

「うるさいなっ! いぐっちゃんのばか!」

 半ば本気で怒鳴る。東条はうろうろとアパートのまわりを回っている。

「ごめんね、わたしもこういうことひとりでやると怪しまれちゃうから。住人の方が立ち会ってくれると助かるわ」

 立会いって。

「ううん、ていうか、委員長ってナニモノさんだったの?」

「別にナニモノでもないけど、ストーカーされる方の気持ちだったら結構わかるつもり」

「委員長もストーカーされてたの!?」

「うん。春先とか特にいやよね。ヘンなのがわいて」

 わい?

「小池ちゃんちのゴミ捨て場も、ここなの?」

 コンクリートの、しっかりとした倉庫を示す。

「うん。前は普通のゴミ捨て場だったんだけど、そこのマンションが建つとき、共用にするからって取り壊してそのかたちになったんだ」

「伊草君、ちょっとここに立っててくれる?」

「ほいよ」

 東条は小走りに、アパートの何箇所かからこちらを見る。

「ここ、鍵かからないわよね?」

「開けっ放しだよ」

 うなずくと、東条はアパートに戻ろうと提案した。


「小池ちゃん、郵便物を抜かれたことはないよね? 携帯の請求書とか」

「それはないよ」

「じゃあやっぱり、ゴミから抜いたのかな。細かく切ってから捨ててた?」

 叱られたような気がして、小さく首を振る。

「でもあたし、ゴミ収拾の日の朝に捨ててるよ。そんな、探せるような時間ないと思うんだけど。人の出入りも多いし」

「別に、ゴミごと持っていっちゃえばいいから。小池ちゃんがゴミ捨てるところ見てて、あとから入ってそのゴミを持ち帰って、調べて捨て直すの」

 さらっと言われ、でも想像したとたん、ぞくっと背筋が冷えた。

「あのね、小池ちゃん。このメール、番号で送って来てるから、アドレスを変えてもだめだと思う。番号変更すれば来なくなるとは思うけど、少し様子見たほうがいいかも」

「ど、どうして?」

「相手によっては、火がついちゃうこともあるから。まあそんなこと言っても、なにがどう転ぶとかわたしが保証できるわけでもないんだけど」

 がちゃ、と玄関の扉が開く。ただいまあ、と妹の幹の声がした。

「あれ、お客さん?」

「おかえり、幹」

「お邪魔してます」

「してまーす」

 幹はかばんをおろすと、ぺこっと頭を下げた。

「はじめまして、小池幹です。いつも姉がお世話になってます」

「うわあ、小池よか頭よさそう……」

「絶対言うと思った。ちがうから。あたしの教育のたまものだから」

 はいはいそうねーと流される。イカンだ。

「遅くまでごめんなさい。わたし、そろそろおいとまするね」

「俺も帰るわ」

「あ、そこまで送るよ」

「ありがとう。それじゃ幹さん、お邪魔しました」

 丁寧に頭を下げられ、幹もあわてて下げ返す。

 アパート一階まで降りたところで、東条はここまででいいと告げた。

「小池ちゃん」

「あい?」

「こわいときは、無理しないでね。こわいときって、普通の判断力がなくなってる。だから、自分より冷静でいられるひとを呼んで」

「……うん」

 そんなおおげさなことにしないで、と、理不尽な怒りを東条に感じる。小池が一生懸命目をつぶってやりすごそうとしていたことを、伊草と東条が騒いで、小池を『被害者』にしていく気がしていた。でも、同時に、なんであたしこんなアレなこと考えているんだろう、と落ち込む。心配してくれてるのに。言ってること、超まともなのに。素直に受け取れない自分がいる。

「そうだ。これ、わたしのメールアドレス。番号も乗ってるけど、さっき電話したから着信が残ってるかも」

「え?」

 渡されたカードを見て、着信を見る。先ほど小池がおびえた、知らない番号と同じだった。

「ごめんなさい。本当はあなたから教えてもらうのが筋なんだけど、事前に伊草君から教えてもらってて。伊草君が小池ちゃんになにかあったかもっていうから、ちょっと迷ったけど、かけさせてもらったの」

「あれ、委員長だったんだ……」

 小池のおびえた2回の電話、両方ともが友人のものだった。勝手にひとりで帰って友人を心配させた結果だと思うと、一瞬、自業自得なんて言葉が頭によぎる。あの自分の行動がおとなげないと小池は知っていた。ふくれたなにかがはじける。

 あたし、いぐっちゃん好きなんだ。そりゃ好きだとは思ってたけど。涙が落ちた。

「っ……」

「小池?」

 ごめん、なんでもない、涙を止めてそう言わなきゃと思いながら、喉が詰まる。

「わたし、失礼するね」

「委員長、待てよ」

「伊草君も一緒に帰る?」

「…………」

「安心して、チケットあるから」

 言うなり、携帯を取り出し電話をする。住所を伝え、タクシーを頼んだ。

「そこの大通りまで来てもらうわ。それじゃあ、また明日、学校で」


 ぶかぶかのパーカーのそでに顔をうずめて小さくしゃくりあげる小池を、伊草はアパートのかげまで引っ張った。

「……泣きやめよ、サル。ばか」

 だって変なメール。誰かがあたしを見張ってて。ゴミ盗んだかもとか。携帯見たとか。もしかして学校の誰かかもとか。委員長きれいでかっこよくて。いぐっちゃんは委員長と付き合ってて。いぐっちゃん委員長が好きだってことで。彼女作らないとか言ったくせに。委員長に超やさしく笑って。あたしにはサルなのにばかなのに。

「ふぇええん」

「うあ……、もう、悪かった。ごめん。泣きやめよ、……頼むから」

 おろおろとした声。こんな声、はじめて聞いた。驚いて目を開ける。

「なにで泣いてんの? おまえに言わないで委員長に話したことなら、悪かったよ。でも、俺だけじゃ、俺や外江達だけじゃなんも知らなすぎるから。家に送るくらいいくらでもやるけど、ほんとになんかあったら困るじゃん」

 ひく。少し落ちついたものの、しゃっくりがはじまっていた。

「でもこれくらいじゃ警察動いてくれないらしいし、おまえもおおげさにしたくないって言うし。委員長んとこ、官僚一家なんだけど、兄さんは警察官でさ。それに委員長自身、子供の頃から変なのにつきまとわれてきてて、色々詳しいの。護身術とか柔道とかも習わされてたんだって」

 官僚一家。官僚って、政治家とかだっけ? そういえば単語は知ってるけど、よく知らない。

「それとも、こわかったの、今きたとか? 待ち合わせのとこ、早く行かなくて悪かったよ。職員室寄って、あと委員長と話してたんだ。おまえも早く帰らなきゃいけないときあるよな、先確認しとけばよかった。ひとりで帰らせてごめん」

 ひく、また肩を揺れる。ぽろりと居残っていた涙が落ちると、伊草はひるんだように首を少し、ちぢこめた。

「電話も、出られなくてごめんな。ちょうど電車だったんだ。一応おまえが家帰ったの確認しとこうと思って、メールのあとすぐ追ってて」

 うつむいて首を横に振る。顔が熱い。ちがう涙がこみあげた。なんだかすごくやさしくされている気がして、慣れていなくて、どうしていいかわからない。また、伊草のあわてる気配。

「ごめんって、俺全然外れてる? ごめん、なんで泣いてんの? 俺どうしたらいい? 小池ってば」

 いぐっちゃんが困ってる。やさしいんだよね。ひっどいこと言うくせに、絶対ひとのこと、放り出さないよね。胸が痛い。好きみたい。大好きみたい。でもいいんちょうの、かれし。

「……もしかして外江がらみ? ほんとは、渡良辺とかと帰るのいやだった?」

「え?」

「……おまえ、外江、好きじゃん」

「そりゃ好き、だけど」

 とのっちなんてそりゃ好きだ、あんなひと。でも、そういうのじゃない。それに外江は一度も思わせぶりなことをしなかった。渡良辺だけが、外江の特別。見てわかる。

「それ、ほんとに全然関係、ない……渡良辺ちゃん超好きだし」

「あれ、そうなん」

 胸がもやっとする。ばか、と言いたくなってしまった。

「ちがうの。じゃあなに。おまえ言わないんだもん。言わせるしかないじゃん」

 なんでそうなるんだろう。

「俺関係ない? 別のことまだなんか抱え込んでんの? 家のことまたなんかあった?」

 また心配してる。ちがうか。ずっと心配してたんだ。そう思ったとたん、すっと気持ちが落ち着いた。いぐっちゃんはヒドイヤツ。心配性で鈍いヤツ。そういうことにしよう。しょうがないから。ごしごし、また目をこする。もう化粧をしてないから、遠慮なくこすった。

「……家のこと、ないよ。だいじょぶ。幹また成績あがったし。ママ超喜んでるし。ママも今年、冬休み多めにとれるんだって。3人で夢の国泊まっちゃうんだ」

「ねずみ耳とかやめろよなー恥ずかしい」

「い、いいじゃん別に! いぐっちゃんには関係ないじゃん!」

 に、と伊草が笑う。ほっとしたように。

「じゃ、なんで泣いたん?」

「いぐっちゃん、もー、絶対そういうのしつこいよね……女の子には色々とあるんですよ」

「んでなんで?」

「いや、えーと、ほらあれです。小池、委員長に憧れてるんですよ。ほんとに。なのにさ、さっきひどいこと言っちゃってさ。自分超ヤなヤツだなあって、全然敵わないなあって」

「は? おまえが委員長に敵うわけないじゃん」

「……そりゃそうですけどぉ」

「化粧も下手だし」

「またそういうこと言うっ……」

「ちょっと顔見してみ」

 ぱっと、伊草が小池のフードを取り払った。かと思うと、あごをつかむ。なにしてますと? 頭の中が真っ白になって、からだがかたまる。

 伊草がじっと見つめてくる。ぶつかった目線が恥ずかしくて目を閉じたくて、でも目を閉じたらなんだかなんだかなことになっちゃうんじゃないかと思って、できない。

「これ、すっぴん?」

「さっき、やらしてくれなかったからじゃん!」

「なに怒ってんの。なにを好んで化け物メイクをしたがるのかまったくわかんねえ」

「化け物じゃないから、アイメイクだから! 普通みんなしてるじゃん、……目ぇ、おっきいほうがいいもん」

「くちは?」

「え?」

「これもなんもついてないの? 赤いけど。口紅とかグロスとか?」

「ついてないよ。泣いたから、かも」

「ふーん」

 伊草の視線がくちびるに注がれている。落ち着かなくて、なにか言おうとしたとき、伊草の人差し指が下唇に触れた。

 なにしてんの。尋ねたくても、口を動かしちゃいけない気がして、小池は動きをとめる。指先が、くちびるをなぞるように触れていく。ゆっくり。鼓動がはねあがる。上唇を少し押されたとき、小池はたまらず目をきつく閉じた。ぱっと、手が離れる。

 目を開ける。伊草は妙な顔をしていた。驚いたような。

「帰る」

 ぱっと背を向けて、伊草が歩き出す。なにいまの。

「……チャリのことだけど」

「は、はい?」

 足を止め、振り向かないまま伊草が言う。

「貝ちゃんに話したから。んで、家から最寄の駅までは、チャリの許可もらったから。正式なのじゃないけど、とりあえず日の長くなるまでの間、貝ちゃんのとこで話収めてくれるって。俺、送るけど、時間合わないときはチャリ使えよ」

「あ……」

「そんじゃ、また明日。とっとと家入れな」

 言うだけ言うと、伊草は小走りで帰って行った。


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