表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/42

その26.帰り道(6)

 中学へは徒歩で通っていた。三年のある日、小池がふと振り向いたとき、少し離れた後ろに男性がひとり歩いていた。小池が振り向いたからといって彼は別に足を止めるでもなく、彼女もなぜ自分が振り向いたのかわからないまま、また前を向いて歩き出した。

 家に帰ってから気づく。あの男を見たことがある気がする。自分がどうして振り向いたのかも。気配を感じ続けていたからだ。今日に限らず、ずっと。

 おりしも、世間ではストーカーによる事件が取りざたされており、小池はすぐにそれを思い出して恐怖を覚えた。なにげなさを装って母に言ってみると、まさか、気のせいだよと笑われた。笑ってくれてほっとしたような、なんだかがっかりした気持ちでいると、母は少し声を落ちつけて付け加えた。でも、本当におかしいって思ったら、すぐに隣の梶山さんとこに行きな。お願いしとくから。梶山さんがいなかったら、交差点に交番あるだろ、あそこに行くんだよ。

 小池は、でも、あの交番いっつも誰もいないじゃん、と言ってみた。母にはバレていたようで、困ったように笑って頭をたたかれた。しょうがないね、そのときはあたしんとこ来な。小池は、いつもは仕事場に近づく事を絶対に許さない母の言葉がうれしくて、このときはストーカーに感謝した。どうせ自分の気のせいで、あの男の人は近所に住んでいたりするんだろうから。

 翌日からも気配は消えなかった。どんな時間に帰ろうと、小池の帰り道にはいつも自分とちがう足音がついてくる。けれど小池は明るい性格だったし、家のことも高校受験も忙しくがんばっているうちに、そのうち足音を気にしなくなった。

 センター試験も間近に迫った冬の日、家路を急ぎつつ信号を待っていると、背中に気配を感じた。振り返ると、すぐ真後ろにその男がいた。悲鳴を上げかけ、こわばらせた肘が男の薄い胸を打つ。男が痛がったので、反射的にごめんなさいと謝ったが、返事はなかった。信号は赤のままだったけれど、ふるえる足で駆け出した。どうせもともと車も通らない。信号無視がきらいで、待っていただけだった。

 うちに駆け込んで鍵を閉め、異常にはねあがっていた息を必死でおさえながら耳をすます。ついてくる気配はなかった。


「んじゃ、小池、あたしら先に帰るねー」

「うん、まったねえ」

 坂口達を見送り、どんどんひとの減っていく教室を見回す。こういうときひとりで残っていると、不安になって、でもどこかでわくわくする。放課後の持つ魔力。学校が好きだ。家がきらいなわけじゃないけれど、家における自分の立場は、小池を甘えるだけの子供にしておいてはくれない。少しだけ逃げたいときが、少しだけ忘れて遊びたいときがあって、だから友達と大騒ぎのできる学校は小池にとって大切な場所。

 あの一件から数日。外江、伊草、渡良辺本当に小池を家まで送っていた。いつのまにか阿久津も加わって、家までの帰り道はとかくにぎやかだ。渡良辺のつっこみが小池や阿久津の抜けた発言に容赦なく繰り出され、口をはさんだ伊草に毛並を逆立ててかみついては外江に怒られる。むうとふくれたところを苦笑しながらなだめてやると、渡良辺は照れたようにはにかんだ。ああもあからさまに小池だけにしっぽを振られるとたまらない。おそらく長女体質も加わって、小池は渡良辺がかわいかった。

 でも、ずっとこのままってわけには、いかないもんねー。

 テストが終われば、阿久津は部活、伊草はおそらく修学旅行関連に忙しくなるだろう。伊草は委員などに属していなくても、学年行事のなんにでも関わっていて、小池もたびたびお世話になっている。外江と渡良辺は忙しくないのかもしれないが、まさかあのふたりと一緒に三人で帰るわけにはいかない。なにより、本来小池は坂口達と一緒に帰るべきだった。今はテスト期間中ということで、坂口達も早々に帰宅する。小池は、家の事情と濁して、彼女達と時間をずらして外江達と帰っていた。

 坂口達に、ついてくる足音については話せなかった。心配して、もしかしたら伊草達のように家まで送ってくれるなんて言い出すかもしれないが、おそらくこれからクラス替えまでつるむ友達にそんな負担をかけたくはない。もとい、かけることが恐ろしい。それに、気のせいだ、意識過剰だと言われてしまうかもしれない。やさしい意見もあればきびしいもあっておかしくないと、意識せずとも知っていた。

 ひとの気配がなくなったところで、小池は席を立った。多目的ホール前で落ち合うことになっている。みんなで帰るのは楽しかった。不安でしかたなかった帰り道が楽しみになるほどに。

 ホール入り口前には、誰もいなかった。早く来すぎたかな。いつもなら渡良辺が誰より最初にいるのに、彼女もいない。C組は基本的にE組よりも早くHRが終わるかららしいが、ここしばらく一緒に過ごした限り、渡良辺は時間に厳しくせっかちだ。

 くーちゃんは今日、先帰るって言ってたし。いぐっちゃんはきっと、とのっちと一緒だよね。渡良辺ちゃんはどうしたのかなあ。

 しばらく待ってみたものの、誰も来ない。メールもない。でもまだ、HRが終わってそれほども経っていないし、メールなんか送ったらまた伊草に「おまえはちょっとも待てねえのか」と怒られる気がする。それに送ってもらっている身でずうずうしい。

 小池はせっかちではないが、ひとりでなにかを待つことはとても苦手だった。すぐに不安になってしまう。ちょっと校内見てこようかな、誰かに会うかもしれないしとひとりでうなずき歩き出す。

 C組をのぞき、E組まで戻るが、誰も見かけない。時間は少し経ったし、ホール前に戻ってみれば誰かいるかもとちがうルートを通りながら戻ってみる。生物実験室前にさしかかったとき、渡り廊下への出口に伊草を見つけた。

 一緒にいるの、委員長?

 伊草と東条は話し込んでいるようだった。伊草は笑っておらず、淡々とした表情。それが、小池には衝撃だった。

 それ、とのっちといるときの顔じゃん。いぐっちゃんの、一番フツーの顔だよね。なんでかな、委員長といるときのいぐっちゃんは、きっとにこにこ笑ってるような気がしてた。

 不意に伊草が表情を険しくしたと思ったら、次の東条の言葉にぱっと眉を上げた。おどろいたようなそれは無邪気で、次には、どこか困ったように、破顔した。その笑顔は小池が一度も見たことのない、やさしいものだった。

 えー。いぐっちゃん。なーんだそれ。

 東条が、右の手をこぶしにして腰ちかくに持ち上げた。伊草は左のこぶしをだし、ぶつけるように一度触れ合わせる。そこまで見たところで、小池は向きをかえ、元来た道を戻った。

 携帯を取り出し、メールを打つ。かちかちと爪の当たる音が響く。

『買い物あるからごめんして先帰るね!(>_<) いつもみんなありがと! 小池めいっぱいの愛を込めて☆』

 外江達に一斉送信。もちろん、伊草にも送った。


 今日の帰り道を、小池は恐れていなかった。それよりも先ほどの光景がこころを占める。思わずいつものスーパーで買ったセール品のトイレットペーパー4パックを両手に分けてもちながら、たらたらと家路を歩く。

 ここ数日はなしくずしで一緒にいたけれども、伊草を避けはじめて、だいぶ経つ。

――とのの近くにいてそのうえ便利な俺を使ってんだから

 他にも化粧がキモいだとか外江と合わないだとかひどいことを言われたが、小池のこころを一番裂いたのは、この言葉だった。

 伊草には結構なわがままも言ったし、関係ないことで当たったことも何度もある。もちろん、そんなことをすれば同じだけ声を大きくして反論してくる伊草相手だからこそ、できたこと。

 小池はそうやって伊草に甘えていた。ぎゃいのぎゃいのと遠慮のないケンカをして、あけすけな暴言を吐いて、それでも最後には必ず面倒を見てくれる伊草に甘える気持ちは、おそらく、父とか兄とかいうものに対する小池の憧れだった。

 伊草の言葉は、それをたたっ斬った。なんの手加減もなく。彼の苛立ちに、『便利』という認識に、小池は自分の勘違いをつきつけられた。伊草は父でも兄でもない。恥ずかしかった。向けられる顔なんて、なくなった。

 委員長、かわいかったなー。

 髪がほんのすこし流れるだけで、あんなに美人だと思わせるのは一体なんなのか。自分の髪をつまんでみる。しっかりと主張してくる、かたさとかわいげのないハネ。でも見た目だけじゃないよねー。委員長は、いぐっちゃんのこと怒らせない。いぐっちゃんを笑顔にできる。あたし、いぐっちゃんに笑われたことはいっぱいあるけど、笑わせたことってない。

 こうなったらあれだ。ちょー勉強するか。モテ期とか自分に来るような気がしないし。またガリ勉して、いい大学いい会社? 高校入るまではできたんだから、今からやればなんとかなるんじゃないか。

 落ち込むと自分の見た目や行動をガラッと変えたくなるのは、小池のクセだった。およそ事態の解決には関係のなさそうなことを考えて歩いていると、携帯が鳴った。このメロディはメールだ。

 とっさに伊草が思い浮かぶ。先ほど送ったメールに対して、外江と渡良辺からは了解ーと返信があったが、伊草からはなかった。トイレットペーパーに邪魔されながら携帯を開くと、見覚えのない相手。

『携帯見ちゃったw かわいい写メだね』

 よくわからず、少しの間考えた。それから、ぶる、と手が震える。あたりを見回す。誰もいない。思い切ってうしろを振り向いても、誰もいなかった。そのまま駆け出す。荷物がかさばって思うほど速度が出ない。電話。誰かに。伊草の番号を出す。外江や渡良辺や阿久津のほうが絶対やさしいけれど。送話ボタンを押して耳に押し当てて、でも雑音でコール音がうまく聞こえないから、離して画面を見た。発信中。03秒。04秒。出たら、通話中と表示が変わる。それを祈った。でも、伊草は出ない。

 最後の横断歩道、赤信号を無視して渡る。父親が亡くなったのは交通事故だったから、信号無視はしないようにしようと、そんなささやかな自分の決まり事を守る余裕がなくなっていた。でも、ここを渡ればもう、家が見える。アパートの階段をやかましく駆け上がり、トイレットペーパーを放り出して鍵を出す。どうしていつもすぐにできることが、こういう時にもたつくのか。ともかく鍵を開けて、中に飛び込んで鍵をかけた。

 息をととのえる。もう大丈夫。チェーンもかけた。靴を脱いで、ニ間の奥の、背の低いテーブルにつっぷした。警察の二文字が頭をかすめる。でも、小池は別に憂鬱になった。実は中三のときも、一度行った。母やお隣さんにばかり頼らないで、ちゃんとなんとかしよう、してもらおうと思って。だって小池は悪いことなどなにもしていない。

 警察の応対は親切だった、と思う。でも小池が話せる事はとても少なかった。帰り道、誰かがついてくる。誰かは知らない。顔もよく見ていない。一度だけ、すぐうしろに立っていたことがある。警察官はいいひとだった。ごめんね、それだけじゃ事件にはできないんだ。誰か近くの友達と一緒に帰れる? お母さんは忙しいのか。じゃあ、学校の先生に相談して、一緒におうちまで送ってもらえるよう、頼んでみようか。

 小池は夢中で首を振った。そんなことしないで。スカートをぎゅっとつかんで、ごめんなさい、帰りますと告げた。警察官はそれでも心配してくれて、これ、自分の携帯だから、と警察署の番号の入ったリーフに電話番号を書きつけて渡してくれた。警察でも携帯でもいいから、なにかあったら電話してね。ほんとは、なにかあってからじゃ遅いんだけど。

 彼が困った顔で小池を傷つけまいと笑ったことが、笑わせてしまったことがものすごく恥ずかしかった。こんなことで他人に迷惑をかけている自分はなんて。お礼を言って、走って帰った。電話は絶対にしない、と誓った。今思うと、あんな風に自分の携帯番号を渡すなんて、彼にとってよくないことだったんじゃないだろうか。

 でもさ、ないよね。なにこのメール。

 どこでアドレスを知ったのか。いつ、携帯をいじったのか。いつかネットで調べてみたとき、ストーカーはほとんどが顔見知りの犯行だとか出てきた。じゃあ学校のひと? 自分が携帯を手放す機会と、そのときに携帯を盗み見るために必要な段取りを考えると、おそろしくて気持ちが悪くなった。

 なんであたしなのかな。全然かわいくないのに。ギャルなのにもてないのに。委員長や渡良辺ちゃんのほうが全然かわいいじゃん。ああでも、あのふたりがストーカーに遭ったらかわいそうだ。

 携帯が鳴る。着信音。番号を見ると、知らない番号だった。

「やだ」

 涙が浮かんだ。携帯を投げ出して、クッションを抱きしめて部屋の角に行く。座り込んだところで、あわてて立って、窓の戸締りをする。でも、本気で入ろうとすれば、こんなの。そんな視点で見ると、この家は悲しいほど安っぽく、頼りなかった。

 コールは5回で切れた。ほっとする。でも、少し置いてもう一度鳴り始めた。番号を確かめる気になれず、他のクッションの下におさえこんだ。また、5回程度でコールは切れた。

 クッションに顔をうずめて、小池は少し泣いた。かん、かん、と耳になじんだ階段を上がる音で顔を上げる。そうだ。幹。幹、今日塾だ。テレビの上に置いてあるデジタル時計を見るが、まだ塾の終わる時間より前だった。あの足音は幹じゃない。がっかりした瞬間、チャイムが鳴った。誰。

 妹の幹は鍵を持っているし、チャイムなんて鳴らさず入ってくるはずだ。

「小池?」

 こわばっていた力が全部抜けた。息をすうっと入ってくる。遠慮がちに呼びかける、伊草の声。とたんに頭が働き出す。顔をごしごしとこすりながら、はーい、と元気な声で返事をした。チェーンと鍵を外し、ドアを開ける。

「なんだ、いるじゃねーか」

「いるよ! いぐっちゃん、どうしてここに?」

「どうして、じゃねえよ」

 むっとした顔をしたかと思うと、頭をはたかれた。

「なんで!? っていうかなんで女の子に暴力ふるうかなあ!」

「なに突然ひとりで帰ってんの? そんでなんで電話してきたの? そのうえなんで電話返したのにでないわけ?」

「えっ?」

「さっき電話したろ。なんで出ないんだよ」

 急いで部屋に戻り、携帯の履歴を見る。知らない番号のあとは、伊草からだった。

「あ、いやー……」

 超びびってたからです、なんて言えない。

「トイレットペーパー買いすぎたから、いぐっちゃんに持ってもらおっかなー、とか……」

「つまんねえ……」

「つまんねえ!?」

「で。ほんとはなにがあったの」

 だから、なんでいちいちそうこわい顔。話すまで許してくれないんだろうなあ。渡良辺ちゃんがいたら、怒るだろうな。そういえば、いっつも、これでいぐっちゃんに悩み事聞き出されたんだよねえ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ