-1-
少女は恋をした。
相手は美しく、尊い王子様。
しかし、身分の差が愛を伝えることさえ許さなかった。
少女は醜く、卑しい平民だった。
王子に近づいた少女は、不敬を働いたとして火炙りの刑に処された。
少女の悲しみは呪いに変わり、王子に愛を伝えられぬ苦しみを味わわせた。
──悲恋の魔女──
「着せ替え人形にはお似合いね」
マルグリットが微笑を浮かべる。それを女神のようだと思うのは、彼女の婚約者であるロイックだけだろう。
ニコルは床に散らばった薬草をかき集める。緑と茶の草束を持って立ち上がると、マルグリットの冷ややかな目が正面にあった。さながら手に止まった羽虫に息を吹きかける時のような目だ。
マルグリットの手には色鮮やかな花束がある。
ニコルの視線が花束に移ると、奪おうとしていると思ったのだろう。マルグリットは花束を両手で抱えて隠し、ロイックはマルグリットの肩を抱いた。
歓声が上がる。この二人は学園で一番有名で、憧れられているカップルだ。ロイックに愛されるマルグリットに、多くの女子生徒が羨望の眼差しを向けている。
対するニコルは一人で、色の無い草束を握りしめている。
──探したよ、ニコル。一緒にお茶を飲む約束だっただろう?
心細い思いをしているニコルの傍に現れて、優しい声をかけてくれる。
骨ばった大きな手が差し出される。その手を取ると、翼が生えたように体が軽くなり、校舎を二つも越えなければならない、池の見える庭園までも一瞬で辿り着くことができる。
二人は花畑の中をくるくると舞って、池のほとりにあるガゼボの下に座る。夕日に輝く水面を見ながら、他愛もない話をするのだ。
ああ、その人の顔は眩しくて見えない。まるで太陽そのものかのように光っていて、輪郭すらつかめない──
「何か言いたいことがあるなら言ったらどうなの?」
マルグリットの不機嫌な声で現実に連れ戻される。ニコルを庭園に連れ出してくれる婚約者は現実にいない。
ニコルはやはり一人、学園一理想的なカップルに対峙している。
「薬草を届けなければいけないので」
ニコルは逃げるようにしてその場を立ち去った。けれど、決して下を向かなかった。胸を張り、行く先を真っすぐ見つめる。
途中、女子生徒に囲まれたリオネル王子の横を通り過ぎる。柱にもたれて立ち、取り巻きの女子と触れそうなほど近くにいながら、視線はニコルを追っていた。
「パンドラよ」
「私ならあんなふうに堂々と歩けなーい」
「誰があんな子好きになるんだか」
女子生徒の嘲笑の中、リオネルは怒ったような顔で黙っていた。
ニコルは歩く速度をあげた。螺旋階段を上る時には、つんのめりそうになった。
パンドラは着せ替え人形を意味する。陰でパンドラと呼ばれていることも、そう呼ばれる理由もわかっている。
笑わず、泣かない、人形のような冷たい人間。ファッションを伝えるために作られ、国外に送り出される人形のように、いつか国を追い出されるのだ、と。
ニコルは薬草を抱えて薬学の教室の隣、薬品と薬草の保管庫に駆け込む。入って来た扉を閉めると、その場にへたりこんだ。
大きく息を吸って吐くと、涙が出て来た。ニコルは人形ではなく人間で、辛さに耐えかねて泣いてしまう弱い女の子なのだ。ただ人前では感情を殺しているだけ。
愛の国デスティー王国では、婚約者の有無が社会的地位に関わる。十六にもなって決まった相手がいないのは、恥ずべきことである。しかし、ニコルには婚約者がいない。正確には、いないことになっている。
『お相手の意向で、十八歳まで婚約を公表しないことになった。くれぐれも、ラ・ディラン家の人間らしからぬ行動はするなよ』
今から十年前、父がニコルに言った言葉だ。ニコルには六歳の頃から婚約者がいる。でも、それを明かせない。
魔法使い同士の婚約だから、制約があることも珍しくない。例えば、結婚の時まで言葉を交わしてはならないというような。
父の言葉に頷いた当時は、事の重大さを理解していなかった。
理由があろうと、世間から見ればニコルは行き遅れた令嬢。それを馬鹿にされることは避けられない。真実を明かすことは許されず、ニコルは耐えるしかない。
顔も知らぬ婚約者のため、家のため、弱いところは隠さなければならない。だからこうして、一人でひっそりと泣くのだ。
その時、カタンと物音が鳴った。ニコルは慌てて涙を魔法で消した。雫が宙に浮き、シャボン玉のようにはじけて空気に溶ける。
立ち上がり、抱きしめていた薬草を机に置く。改めて周囲を見渡すと、ある一族の特徴的な白銀の頭が視界に映る。
ロール・ランベールは、後ろ手を組んで部屋の角から歩み寄って来た。傍に寄ると、鎖骨まで伸びた髪を垂らして体を傾けた。ニコルの顔を下から覗くように、顔を横にする。
眉毛の上で切り揃えられた前髪の下から、薄紫色の瞳がニコルを凝視している。大きな目と短い前髪が幼い印象を与えるが、ニコルと一つしか違わない。背丈も、ロールの方が指二本分低い程度の差しかない。
彼女の血族の多くが白銀の髪を持つが、ロール固有の特徴はわずかに紫色が入っていることだろう。暗いところで見ると──例えば、耳元や首元といった陰になっている部分は藤色がかっている。髪の内側だけ染めているように見えるので、生まれ持ったものであるが、デザイン性の高さに密かに人気がある。
ニコルは目の前の美少女をただ見つめていた。同性すらも惹きつける魅力が彼女にはある。行動全てに魅せられる。
ややウェーブがかった柔らかな髪が一房、肩から落ちる。次いで発せられたのは天使の音色だった。
「足を引っかけられていましたよね。お怪我はありませんか?」
ロールは知っている。ニコルがマルグリットの魔法で転ばされたことを。
マルグリットの魔法は悪質で、多くの人にはニコルが勝手に転んだかのように見えるように巧妙に隠されていた。それを見抜くことができたロールは相当な実力者、かつ、ニコルに偏見を持っていないといえる。
ニコルは一歩下がってロールから距離をとった。表情を固くして、「不注意でつまずいてしまっただけです。問題はありません」とぶっきらぼうに答える。
心配してくれた人に対して不適切な対応だったが、ロールは気分を害した素振りを見せなかった。事もなげに「怪我がないなら良かったです」と言う。
「お話しするのは初めてですよね、ニコル・ラ・ディランさん。ロール・ランベールです。よろしくお願いいたします」
ロールが右手だけを前に運んで、ニコルに差し出す。ニコルはそれを握った。
「ランベール様、存じ上げております。ご挨拶できて光栄です」
「私は王族ではありません。どうかロールとお呼びください」
「承知しました。私のことも気安くお呼びくださいませ」
「堅苦しいのはやめにしましょう、ニコル先輩」
ロールが満点の笑顔を見せる。
「学園では私が後輩で、立場が下です。他の方になさるように、私のことも年下の友として扱ってくださると嬉しいです」
入学前から注目の的だった新入生は、飾らない、親しみやすい女の子だった。ニコルはロールの友達になれることを嬉しいと思った。
しかしながら、素直に喜べぬのも事実だ。
「私と友達だなんて、外聞が悪いでしょう。残り物と関わると、ご家族やご友人が心配されますよ」
暗に誰かの指金ではないかと尋ねると、ロールはすぐに察した。そして、それを否定しなかった。
「正直に言うと、今日はとある人のお使いで来ました」
ロールはちらりと部屋の奥にある窓を見る。つられてニコルも窓を見る。
窓は、薬草と薬の保管のために日の光が入らないよう魔法で暗くされている。何か黒い影がひゅっと動いて見えたが、少なくとも人ではないだろう。人が中を覗ける物ではない。
窓の外に誰もいないのを確認すると、二人は視線を交わした。
「ちなみにぃ、そのとある人というのは、私の家族とふか~い関りのある人です。心配無用というわけです。それに、ニコルさんとお友達になりたいのは私の本心ですから」
疑り深い、面倒な性格だというのに、ロールはニコルのことを本気で友達にしようと考えてくれている。これほど嬉しいことはない。孤独な学園生活を送って来たニコルに救いの手が現れたのだ。
ニコルは涙をこらえて微笑む。
「あなたの笑顔を見れば、とある人も喜びます」
笑顔を見て、ロールは満足げに頷いた。




