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番外編 キャサリンの凋落

あの日からずっと悪い夢が続いている。キャサリンはそう思っていた。しかし、彼女の悪夢は醒めることはなかった。



メグの裁判の日から二十日ほど過ぎたある日、キャサリンは彼女のもとを訪れた役人のような男から、信じられない言葉を告げられた。


「モングスト侯爵がキャサリン、貴女を侯爵家から除籍しました。貴女を養女として迎え入れる貴族の家はありませんでしたので、本日をもって貴女は平民へとその身分を変えることとなります。これがその通知書です」


差し出された薄っぺらい紙を見下ろしながら、キャサリンは男の言葉を鼻で笑った。


「貴族相手に嘘を言うなんて、いい度胸ね。お前、名前を言いなさい。ここから出たら真っ先にお前を首にしてやるわ」


キャサリンはいつものように高圧的に言い放った。そうすれば侯爵令嬢たる彼女の言葉に、例えその内容が気まぐれによるものでも、不機嫌からくる理不尽でも、周囲は平伏してそれに従った。今回も男は慌てて床に額を付けて謝罪をするだろうとキャサリンは思っていたが、彼はそれどころか不快感を隠さずこう返してきた。


「噂通りの性格の女だな。まぁでも、お前もすぐに現実を知ることになるさ。いつまでお貴族様気分でいられるか見物だな」


「な、なんて口をきくの、この無礼者!覚えてらっしゃい!私がここを出る日を怯えて待つことね」


キャサリンの恫喝を、男は皮肉げに笑った。


「お前、まだ釈放されるなんて思ってるのか?ああでも、『ここ』から出るだけならすぐに叶うな。貴族でなくなり、元父親が金を出さなくなった今、貴族用の収監室にお前が留まれる理由は何もないからな」


「何を言うの!そんなことある訳……」


「はいはい、好きに喚くといい。じきに現実が知れるさ、キャサリンお嬢様」


男は小馬鹿にするようにそう言い捨てると、仕事は終わったとばかりにキャサリンのもとから帰っていった。


そこまで言われても、通知書という物証があっても、キャサリンは男の言葉を信じていなかった。彼女が現実を無視し、苛立ちのままに備え付けの安いクッションに八つ当たりをしていると、三人の兵士が部屋にやってきた。


「我々に付いて来るように」


一人の兵士が簡潔にそう告げると、キャサリンをずっと閉じ込めていた重い扉がスッと開かれた。それを見てキャサリンは、やっぱりあの男はホラ吹きだったわだの、お父様は迎えに来るのが遅すぎただの、勝手に都合のいい解釈をした。そうしてキャサリンは悪くない表情で連れられるままに階段を下りて行ったが、しばらく進むと、彼女は段々とその空気が淀んできたことに気がついた。


「私をどこへ連れて行く気なの?」


キャサリンはそう聞いたが、兵士が答えることはなかった。何も知らされないままキャサリンは地下に連れられ、最終的にひどく粗末な部屋に押し込められた。石造りの部屋には、簡素なベッドと造り付けの机とチェストがあるだけだった。

そこは侯爵令嬢であったキャサリンからすると犬小屋にも劣るひどい場所だった。人間の過ごす場所とは思えず言葉を失ったキャサリンに、兵士は無機質に現実を告げた。


「裁判は五日後だ。それまでここで大人しく過ごすように」


「わ、私に、ここで過ごせと言うの?」


「平民用の牢はここだからな」


兵士はそれだけ答えると、キャサリンに背を向けて帰っていった。


メグが大人しく過ごした平民用の牢で、キャサリンはあらん限りの文句を言い続けた。目に映るもの全てが、侯爵令嬢であった彼女には信じられないものばかりであった。


「侍女が一人もいないの?私に全て自分でやれと言うの?」


「この薄い水のようなものがスープなの?前菜もなく一つの皿にまとめて乗せるなんて、あり得ないわ」


「お風呂の時間がないの?この水で、自分で体を拭くの?犬を洗うのですらお湯を使うわよ!」


キャサリンは待遇に文句を言うばかりでなく、看守にも悪態をつき続けた。ついには食事を持ってきた看守と口論になり、彼女はいつも扇子を投げつけていたように、トレーに乗っていた木のフォークを看守に投げつけた。そのため、地下牢に入って三日後、キャサリンは懲罰の意味を込めて更に下の階、凶悪犯などが収監された牢の側に移された。


すえた匂いのする牢に、更にキャサリンがキャンキャンと吠えていると、周囲から卑下た笑い声が投げつけられた。


「おいおいおい、若い姉ちゃんの声がするぞ」


「マジかよ!おい、姉ちゃん!美人か?なぁ、いい声聞かせてくれや」


「この際女なら、俺はもう何でもいいぜ。顔見せてくれよ」


ギャハハと楽しげに話す凶悪犯たちに、キャサリンは強気に言い返した。


「無礼者!私を誰だと思っているの!口を慎みなさい!」


しかし、それらも男たちを盛り上げるばかりだった。


「ヒュー!いいね!この威勢がいつまでもつかな」


「ワタクシ?ははっ、どこかのご令嬢気取りかよ」


「貴族の娘を無理やり手籠めにするなんて、想像するだけで涎が出るな」


「あ?お前、あれだけ犯行を重ねて捕まったのに、まだ懲りてないのか?」


「捕まって懲りる程度ならここに入れられてねぇよ」


「違いねぇ」


キャサリンは今までに感じたことのない嫌悪感に顔を歪ませた。こんな下劣な人間と同じ環境に自分を閉じ込めた看守に文句をつけた。


「お前、この私をこんな奴らの近くに連れてくるなんて何を考えているの!処分してやるわ!」


そんなキャサリンに、看守はもはやあきれた顔を向けた。


「まだそんなことを言っているのか。ただの平民の小娘に過ぎないお前にそんな力ある訳がないだろう。全く、いい加減現実を受け入れろ。これ以上キャンキャン騒ぐなら、次はヤツらと同じ牢に放り込むぞ」


看守の言葉は、キャサリンにとって到底受け入れられるものではなかった。あの下劣た男たちと一緒にされるなんて、想像するだけでもおぞましかった。

「看守公認で仲良くやろうぜ」と煽ってくる男たちの言葉に苛立ちを覚えながらも、そこからキャサリンは受け入れがたい屈辱にギリギリと奥歯を噛み締めながらも何とか耐えた。



そうして己の置かれた状況を受け入れないまま、キャサリンは裁判の日を迎えた。

裁判所には、メグの裁判のときより多くの傍聴人が集まった。稀代の悪女の顔を見てやろう、没落した令嬢を笑ってやろうと、たくさんの人が思い思いの感情でキャサリンを見下ろした。


キャサリンは自分のしたことを微塵も悪いとは思っていなかったが、貴族らしい二枚舌でしおらしく反省の弁を述べた。何なら可憐に泣いてさえ見せた。それなのに聴衆が自分に同情的にならなかったことを、彼女は内心腹立たしく思った。

キャサリンが唯一反省をしたのは、実行犯の少年に今回の犯行をもちかけた男が真実をベラベラとしゃべったときだけだった。こいつをさっさと殺しておくべきだったわと、キャサリンは己の運のなさを恨んだ。


そうして裁判は進み、裁判官は最後にキャサリンに判決を言い渡した。


「真の聖女様を陥れようとしたことはもちろんだが、貴族の権力で人の人生を狂わせようとした罪は重い。死をもって罪を償うように」


反省など全くしていなかったキャサリンも、裁判長の言葉と周囲から注がれる重い空気に、ついに死の雰囲気を感じ始めた。


死ぬ?私が?この国でも有数の権力を有するモングスト侯爵家の唯一の姫たる私が?あの平民の紛い物の娘のせいで?


一度感じた不安は、キャサリンの心を一気に占めていった。キャサリンが指の震えを自覚したその瞬間、暗かった裁判所にスッと光が差し込んだ。


眩しい光に振り返ると、その光の中を一人の男がキャサリンに向かって歩いてきた。彼が纏う美しいブルーのマントを、キャサリンはこれまで幾度も胸を焦がすような気持ちで見つめたことがあった。彼は彼女がこの世で唯一、惜しみない愛を注ぐ男だった。


「……アレックス様!」


アレックスのその姿を見たとき、キャサリンはあの日の裁判のことを思い出した。忌々しい女の手を、聖女のふりをしていた男が取ったあのときのことを。


その瞬間、キャサリンの胸の中はバラ色に染まった。彼女は勝手にも、あのときのメグに今の自分を重ね合わせていた。

愛して止まない男が私を救いに来てくれた。彼は間違いなく私をこの理不尽から解放してくれる。彼女は、自身がこれから大逆転でハッピーエンドを迎えるヒロインのような気持ちになった。


潤んだ瞳で最愛のアレックスを見つめていると、彼も視線があったときに少しだけ口角を上げてくれた。もうキャサリンは有頂天となった。


さぁ私を救って!私を愛していると言って!そう願いを込めてじっとアレックスに視線を注ぐと、彼はそれに応えるように裁判長に声をかけた。


「裁判長、今回の判決について私からお願いをしたいことがございます。述べてもよろしいでしょうか?」


現国王の甥である公爵令息の言葉を無視できなかったのか、裁判長はアレックスに発言の許可を出した。


「ありがとうございます、裁判長。私は今回の判決について、減刑をお願いしに参りました」


その言葉を耳にした瞬間、キャサリンは人目も憚らず満面の笑みを浮かべた。彼女が予想した未来が、すぐそこまで来ていると確信をした。

そうよ、正統な侯爵令嬢である私が不当に拘束されていたこれまでの日々が間違っていたのよ。マーガレットが聖女だなんて話も正しいはずがない。この国一番の美貌の貴公子に愛されて、彼とともに全てをあるべき姿に戻すのよ。

キャサリンがうっとりと根拠のない夢に思いを馳せていると、アレックスは彼女を見つめ、甘い笑みを浮かべてこう続けた。



「なぜなら、聖女マーガレット様が人命が失われることをお望みでないからです」



「は?」


甘美な夢とな異なる現実の言葉に、キャサリンは思わずそう言葉を漏らした。そこから彼女の夢見た身勝手な未来は、音を立てて崩れ始めた。


マーガレットの望み?その言葉の意味を理解することを拒もうとしたキャサリンを嘲笑うかのように、アレックスは現実を突きつけた。


「聖女様はとても慈悲深きお方、例えそれが己を陥れようとした大罪人であっても、死をお望みではありません。被告人には生きて、罪を償うことを望みます。被告人は豊富な魔力を持っているため、生涯戒律の厳しい修道院にて結晶の加工などの作業に従事させるのがよいかと思われます」


まるで予め決まっていたかのように、裁判長はあっさりとアレックスの案を受け入れた。


「分かりました。他ならぬ聖女様のお望みとあらば、我々はそのお言葉に従います。被告人には生涯、修道院での作業に従事するよう命じます。聖女様のご慈悲に感謝し、己を反省しながら生きるように」


裁判長がそう言い終わるや否や、キャサリンは牢獄生活で艶を失った髪を振り乱し、狂人のような顔で叫んだ。


「マーガレットの慈悲ですって?ふざけないで!そんな屈辱、許されるものですか!何故私が、この私が、あの卑しい娘に情けをかけられないといけないの!やっぱりあんな女、あのときさっさと首をはねておくべきだったのよ!」


先ほどしおらしく反省の言葉を述べたことも、裁判長や聴衆が聞いていることも、目の前に憧れのアレックスがいることも、あまりの怒りに、屈辱にそれら全てがキャサリンの脳から吹き飛んでいた。肩で息をして叫ぶキャサリンを一瞥して、アレックスは最後にこう言った。


「このように被告人は反省などしておりません。そして聖女様のご慈悲で生きながらえることこそが、この者への一番の罰となるでしょう」


「どうやらそのようですな」


フーフーと荒い息を吐くキャサリンを見て、裁判長はそう同意した。



そうして新たな判決も下ったため、役目を終えたとばかりにその場を去ろうとしたアレックスに、キャサリンは非難の声をあげた。


「アレックス様、どうして私を裏切りましたの?私は聖女と結ばれることを義務付けられた貴方を幾度もなく救おうとしましたし、こんなにもお慕いしておりますのに!」


そんなキャサリンの言葉に足を止めたアレックスは、上着の内側から手紙を取り出して、彼女にそれを押し付けた。


「これから全てを失うものにせめてもの慈悲と思い手元に留めておいたが、お前にはそのような気づかいすら不要だったようだ。この手紙は返させてもらう」


その手紙は、キャサリンが獄中からアレックスに宛てた手紙だった。封も切られていないそれを返されるということは、これ以上ない明確な拒否の表れだった。


「それに私を救おうとしたと言うが、お前は勝手に私の境遇を解釈して、自分の好意を押し付けてきただけだろう。私は自分の意思で公爵家に入ったのだ。お前にそのように言われる筋合いは何もない」


「そんな……アレックス様……」


「これ以上の意味のない問答は不要だ。お前は心優しき聖女マーガレット様に感謝をしながら、一生を過ごすのだな」


そう言い捨てると、アレックスはキャサリンに完全に背を向け、去っていった。



遠ざかるその青いマントを見ながら、キャサリンは狂ったように叫んだ。


「きゃははは!もういいわ!全部どうでもいいわ!終わりにしてよ!私の首をはねて殺してよ!早く殺してよ!」


大声で叫ぶキャサリンを騎士が押さえ込むと、裁判長は最後に彼女に淡々とこう告げた。


「やはり生きることこそ、貴女への一番の罰となるようですね。修道院では毎日のようにこの世界を加護した聖女への感謝を聞くことができるでしょう。己の罪と向き合いながら、その言葉を受け入れるのです」


「毎日、マーガレットに感謝?いや、いやよ!殺して、殺してよ!!そんなことになるぐらいなら、いっそ一思いに死なせて!」


キャサリンの絶叫が、静かな裁判所に響き渡った。しかし、彼女の身勝手な願いは、最後まで叶うことはなかった。



そこからキャサリンは自死も許されず、厳重に監視をされながら修道院へと移送されていった。修道院では聖女を熱心に信奉する教徒たちが、完全なる善意からキャサリンの更正を手助けすべく一日中彼女の挙動に目を配り、彼女の最も望まない言葉を浴びせ続けた。


「マーガレット様は世界だけでなく、貴女も救われたのです。さぁ、聖女様への感謝の祈りを捧げましょう」


「聖女様の素晴らしさをまだ理解できないのですか?大丈夫ですよ、我々がどれだけ時間がかかっても、貴女を導いて差し上げますよ」


「死を選ぼうとするなど、聖女マーガレット様への冒涜ですわ。貴女の命は聖女様に救われた大切なものなのですよ?ほら、パンが食べれないならパン粥にしましょうか。ご安心なさい、私たちが流し込んででも食べさせてあげますよ」


キャサリンは毎日義務として倒れる寸前まで魔力を絞られた上で、生活のあらゆる面で聖女への感謝を耳元で囁かれ続けた。


死ぬことも、正気を失うことも許されず、キャサリンは優しい地獄の中を生かされ続けるのだった。

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