聖女 4
「ご決断いただきありがとうございます、ユーリ様。真実を知るものは最低限とし、貴方の秘密は我々が必ず秘匿致します」
「うん、色々迷惑もかけると思うけど、これから数ヶ月よろしく頼むよ。で、聖女様をするとして、俺はこれからどうしたらいいんだ?」
「色々あってお疲れでしょうから、部屋をすぐ用意させますので、今日はこのままお休みください。詳しいことはまた、明日お伝えを致します。秘密を知る者は少ない方がよいため、このままメグとアリーをユーリ様の侍女として付けます。本職の侍女ではありませんが、二人とも身の回りのお世話は十分にできるかと思います。これから必要なことは、何なりと彼女たちにお申し付けください」
ロバートさんの言葉を受けて、メグとアリーが俺に向かって頭を下げた。侍女って使用人みたいなものだろうし参ったなとは思ったが、ここでは俺は右も左も分からないし、何より女性のふりをし続けるには女性のサポートは必須だろう。
ここは素直にお世話になるべきかと思い、彼女たちに「二人にも迷惑かけるけど、よろしく」と伝えた。
ロバートさんが部屋を出ていった後、しばらくそこで過ごしていると、俺の部屋の準備ができたとの連絡が来た。俺はウィッグを付け直し、アリーが持ってきてくれた裾の長いローブを上から羽織り、その部屋まで移動した。
いきなり女装姿で人に会うのではとかなり緊張しながら移動をしたが、ロバートさんが配慮してくれたようで長い廊下で他の人とすれ違うことはなかった。
そうして案内されたのは何人座れるんだみたいな大きなソファセットの置かれた、高級なホテルのいい部屋みたいな豪華な部屋だった。貧乏学生の俺が実物を見たことがあるはずないので、その例えが合っているかは分からなかった。しかし、とりあえずそんな感じの広い、豪華な部屋だった。
豪華すぎる部屋に圧倒され、俺が大きなソファの端に縮こまりながら座っていると、メグが紅茶を準備してくれて、アリーが着替えを持ってきてくれた。
二人の気遣いに感謝しながら、部屋の奥にあった寝室(こちらも信じられないぐらい広くて豪華だった)で、俺はまずアリーが持ってきてくれた部屋着のようなものに着替えた。慣れない服から解放され、温かい紅茶を飲むと、やっと人心地つくことができた。
万が一のためにウィッグは被ったままであったが、あの無駄にひらひらした膝上ワンピースから着替えることができただけでも随分と楽になれた。アリーが気を利かせてくれたのか、裾の長いゆったりとした服の下に隠れて履けるズボンまで準備してくれていたのも本当にありがたかった。
その後、夕食と風呂を部屋で済ませてから、その日は就寝した。
広い風呂まで付いた豪華なホテルみたいな部屋で、カーテンみたいなものが付いたお姫様が使うような大きなベッドに寝かされた。寝室のドアの向こうでメグとアリーの気配が感じられるような状況で果たして寝られるだろうかと思ったのは、最初の五分ぐらいだけだった。俺は元の世界に戻れるのかとか、考えなければならないことはいくつもあったはずなのに、気づかぬうちにコトンと落ちるように俺は眠りについた。
あまり自覚はしていなかったが、急激な環境の変化に疲れは確実にたまっていたようだった。
そうして俺の異世界での一日目は終了した。
「……様、ユーリ様」
優しい声と朝日に起こされ俺が緩く目を開けると、そこには朝日を受けて輝く金髪の美人がいた。
昨日までの俺なら確実に夢だなと思うファンタジーな光景であったが、悲しいかな異世界に来たというファンタジーはどうやら俺の現実となっているようだった。完全に目覚めても俺の目に映るのは、あの安いアパートのワンルームの部屋ではなく、お姫様みたいな豪華な部屋とメグの姿だった。
「……おはよう、メグ」
もしかして、寝て起きたらいつもの日常に戻るんじゃないかと、少しばかり期待をしていた。もしそうなら昨日バイトのシフトに穴を開けてしまったことを謝って、急いで書きかけのレポートを仕上げて、借りパクみたいになったウィッグとワンピースを友人に返さなければと思っていた。しかし、そんな一縷の望みは儚くも砕け散った。
ロバートさんたちは女神様とやらが俺をここに連れてきたと言っていた。彼らは異世界から呼ばれた人の話はしてくれたが、帰っていった人の話はしなかった。あまり直視しないようにしていたが、恐らく、そういうことなのだろう。
変わらなかった世界に密かに落胆する心を見せないようにしながら、俺はメグに挨拶を返したのだった。
朝食を終えると、アリーが俺に白いゆったりした長いシャツのような服を持ってきた。
「それ、もしかして『聖女』の服?」
「そうです。こちらの白の祭服を中に着ていただき、その上からをフードの付いた上着を羽織る形にしたいと考えています」
「ゆったりしてて助かるよ。あ、またズボンも用意してくれたのか!」
「はい、スカートは慣れないご様子でしたので」
「ありがとう、アリー。これがあるだけで安心感が大違いだよ」
「着用されてみて、何か他にもご希望があれば教えて下さい。聖女様の服装に決まりはありませんので、大概のことにはお応えできると思います」
「分かった。とりあえず着てみるよ」
着替えまで手伝おうと付いてこようとしたメグとアリーを制し、俺は服をもって一人で寝室に入った。アリーの用意してくれた服はメグたちの着るワンピースのような物よりも、ロバートさんが着ていた服に近いようなデザインだった。あれよりは細身で、ウエストを絞るベルトもあったけれど、昨日のワンピースよりは楽だった。
着替えて出ていくと、アリーが細かな点をチェックしてから、俺に化粧を施した。昨日ほど盛られはしなかったが、口紅を塗られるときには何とも言えない心境になった。しかしそんな俺の気持ちとは裏腹に、アリーは実に楽しそうに俺に色を足していっていた。
最後に仕上げとばかりに、昨日預けた後に綺麗に整えてくれていたらしいウィッグを頭に乗せられた。その調整も終わると、確認のために全身が見える姿見の前に立たされた。
鏡に映る自分は昨日よりはかなりナチュラルな雰囲気で、教会の人が着るような白い服のお陰かそこそこ聖女っぽく見えるような気がした。アリーも満足げに頷いていたので、恐らく出来映えは悪くないのだろう。
「ユーリ様、最後にこれを」
そう言ってメグが差し出してきたのは緑の石が付いたネックレスだった。アクセサリーも要るのかと俺が思っていると、その疑問を読んだかのようにメグがこう説明してくれた。
「これは昨日ロバート様がおっしゃっていた、声を変えるための魔道具です。風属性と相性の良い結晶に私の魔力で動く術式を組み込んでいます。一度着けて話してみてもらってもいいですか?」
「あ、言ってたやつか。分かった、試してみる」
そう言って受け取ってみたが、ネックレスなんて着けたことがないので、チェーンを留めているやつを外すだけでも時間がかかってしまった。ウィッグの髪をかき分けもたもたとしていると、見かねたメグが「お手伝いしてもよろしいですか?」と聞いてくれた。
素直にその言葉に甘えるため、俺はお願いするよとメグにネックレスを渡した。
すると彼女は俺の後ろに回り、「失礼します」と言った。てっきりネックレスを着けるために前に手が回ってくるのだと思っていたが、彼女の手が触れたのは俺の首の後ろだった。
そっ、という音が似合うような柔らかな動きで、メグの細い指が俺の作り物の髪を横に避けるように流した。ついさっき自分もネックレスを留めるには髪が邪魔だなと思ったくせに、そんなことを忘れてその接触に一瞬ドキッとしてしまった。
メグの小さな手が俺の首の辺りを、ときおり軽くかすめた。彼女がネックレスを扱う微かな金属音を聞いている間、俺は姿見に映る少し顔を赤らめた自分を無言でずっと見つめ続けていた。
実際には一分とかかっていなかったはずだが、やたら長く感じた時間を終え、俺の首には声を変える魔道具とやらが着けられた。胸元で揺れるペンダントを改めて見てみたが、そんな大層な道具には見えず、パッと見た感じはただの緑の石にしか見えなかった。
「……ただの石にしか見えないけどな」
そのため思わずそう呟いたのだが、その瞬間に自分の喉から発せられたはずの声に俺は驚いてしまった。
俺の耳に届いたのは、慣れ親しんだ自分の声ではなく、確かに女性の声になっていた。
「えっ!?マジか」
声に驚いて出た声も、また女性の声だった。
「道具の作動に問題はなさそうですね。私が近くにいる場合はもちろんですが、結晶には多少魔力が溜められますので、少しだけなら私が側を離れても効力が発揮されます。ただ、長時間離れると声が変わらなくなりますので、お気をつけください」
「分かった。外にいるときはなるべくメグの側にいるよ」
そうして身支度を終え、紅茶を出してもらってしばらく寛いでいると、ロバートさんが白いローブを携えてやって来た。
「ユーリ様、おはようございます。メグ、アリー、ユーリ様の身支度は無事終わったようですね」
「はい、つつがなく。魔道具もうまく作動しております」
「ユーリ様は元がいいからお化粧張り切っちゃいました!」
アリーのその言葉を受けて、ロバートさんが改めて俺の方を確認するように見てきた。バカ騒ぎのミスコンでもないこの落ち着いた空間で女装姿をまじまじと見られることに耐えられず、俺はふいと視線を逸らした。すると、ロバートさんは気をつかったのか、フォローにもならないこんな言葉を俺に投げ掛けてきた。
「大丈夫ですよ、ユーリ様。今のユーリ様はフードがなくても、充分聖女様のように見えますよ」