聖女 3
俺が水晶から手を離すと、光は一瞬にして消え、部屋は元の明るさに戻った。
光が消えた魔力計を俺が呆然と眺めていると、目の前にいた三人が急に膝をおり、俺に向かって深く頭を下げた。
「えっ、ちょっとロバートさん?一体どうしたんですか?」
慌てて尋ねると、ロバートさんは顔を上げないまま畏まった声でこう答えた。
「ユーリ様、我らグロリアの女神より遣わされし聖なる存在。こうして拝謁できること、幸甚に存じます」
急に恭しい態度になってしまったロバートさんに俺は慌ててこう返した。
「止めてくださいよ、そういうの俺、困ります。その聖女様ってのがロバートさんたちにとってすごく大切なんだとは思いますが、お願いします、さっきまでみたいに普通に接してください」
「しかし、そのような訳には……」
「じゃあ俺からのお願いってことで。頼みますよ。ここに来て初めてできた知り合いにそんなに距離を取られたら、俺、不安で仕方がなくなります。他の人の目のないところだけでも、お願いします」
ロバートさんはしばらく考え込んだ後、小さく息を吐いてからすっと立ち上がった。
「分かりました。他ならぬユーリ様のお願いとならば、我々は応えぬ訳には参りません。ご要望通りに致します」
「うーん、まだちょっと固いけどさっきよりは大分楽です。ありがとうございます。メグさんとアリーさんも同じくお願いしてもいいですか?俺、堅苦しいのダメなんで」
そういうと二人は立ち上がり、少し戸惑った様子はあったが、しっかりと頷いてくれた。
「ユーリ様のご要望は、私たちも理解致しました。善処致します」
「私も同じです。それから私たちのことはそれぞれアリーとメグとお呼びください」
「分かりました。初対面だし呼び捨てとか悪い気がするけど、二人にとってそっちの方がいいならそうさせてもらいます」
「敬語もなくしていただけると助かります」
「分かりまし……分かった。慣れるよう努力するよ」
そう答えるとメグは出会ったあのときのようにふんわりと優しく微笑んでくれた。ずっとあの黄緑の瞳を曇らせてしまったことを気にしていた俺は、密かに心の中で安堵の息を吐いた。
メグ、アリーとの会話が終わると、ロバートさんが俺に向かって、真剣な顔でこう話をした。
「ユーリ様が此度の聖女様であることが判明したため、これからのことを少しお話させていただきたいと思います。ただ、その前に一点だけユーリ様に決めていただきたいことがあります」
「俺に?」
この世界のことも、聖女のことも、まだまだ知らないことだらけの俺に決められることってなんだろうか。そう思いながら聞き返すと、ロバートさんは難しい顔をして、こう切り出した。
「ユーリ様、先ほど祭壇に降り立たれたときのことは覚えていらっしゃいますか?」
「ああ、覚えてるよ。何か鐘がゴーンと鳴って、大きなドアが開いて、人がいっぱいいたかな」
「そう、人がいたのです」
そこで言葉を切ったロバートさんは、真剣な表情を崩さぬままこう続けた。
「あそこにいたのはこの国に住む、我々と同じく聖グロリア教を信仰する教徒たちです。今日は祭壇を拝礼できる日であったので、多くの教徒があの場に集まっておりました。彼らは皆、メグと同じくあの祭壇の意味も、神託の鐘が鳴る意味も知っています。あそこに降り立つのは『聖女様』であると理解しています。そんな彼らが、ユーリ様、貴方のその、何といいますか、ここに来られたときの格好を見てしまっているのです」
言葉を慎重に選びながらロバートさんは言ってくれたが、その言葉が指す意味は明白だった。俺は泣きそうな気持ちになりながら、ロバートさんにこう確認をした。
「つまり、俺はウィッグも被ったフル女装の格好を既に多くの人に見られていて、その人たちに『聖女』だと思われている?」
「はい、そうです。あれからさほど時間は経っておりませんが、聖女様の降臨は大きなニュースです。こんな事態だとは思ってもいなかったため、特に箝口令も敷いておりません。そのため、今ごろは……」
「町中の人がちゃんとした女性の『聖女様』が降臨したと思ってる?」
「その通りです、ユーリ様」
ロバートさんの言葉に、俺は今度こそ本物の涙が目に浮かびそうになった。言われるまでは特に気に留めていなかったが、確かにあのとき、扉の向こうには沢山の人がいた。
あのときは何がなんだか分かっていなかったので気にしていなかったが、確かに俺はたくさんの人に聖女様と呼ばれてしまっていた。あんまり直視したくない現実であったが、目を逸らしたところで現実はミリも変わらなかった。
俺は悲壮な覚悟をもって、ロバートさんの言葉の続きを待った。
「こうなってしまった以上、我々に取れる選択肢は二つです。一つ目は、あのときは理由があってユーリ様は女性の格好をしていたと事実を公表することです。ただしこの世界にはその、男性が女性の格好をするという文化がないため、周囲の反応は複雑なものになる可能性が考えられます。そして二つ目の選択肢は、ユーリ様、貴方に『聖女様』として皆の前に立っていただくことです」
「『聖女様』として?」
「はい、今回メグがすぐ気づけなかったように、変装をされたユーリ様のお姿は十分『聖女様』として見えるものです。そのため、聖女様として活動をされる期間、今の格好をしていただくことで、真実を伏せることができると思われます」
ロバートさんの言葉を聞いて、俺は思わず肺の中身を吐き出しきるほどのため息をついてしまった。
ロバートさんの言葉を要約すると、女装野郎と公言するか、女装をし続けるか、二つに一つと言うことだった。
学食チケットという欲に目が眩んでいた結果とは言え、本当にひどい二択だった。どちらを選んでもそれなりの精神ダメージは避けられそうになかった。
俺をここに呼んだ女神様とやらを恨み言の一つでも言いたい気持ちであった。俺がどちらとも決めきれずウンウンと唸っていると、ロバートさんがさらにこう言ってきた。
「もし、ユーリ様にとってどちらの選択肢も同じぐらい迷うものなのであれば、これは我々の都合で大変申し訳ないのですが、できれば聖女様として振る舞っていただければと考えております」
「その、そっちの都合ってのは?」
俺が尋ねると、ロバートさんはこう答えてくれた。
「先ほども申しましたとおり、この国に歴代遣わされていた聖なる力の使い手は皆女性でした。そのため『聖女』という言葉が教徒に広く浸透しております。男性と公表するよりも、ユーリ様のお立場は複雑なものにならないと思われます。聖女様の役割は、この世界を守る守護結晶に聖女様の魔力を注ぐことです。先ほどの魔力計の反応を見る限り、ユーリ様は伝えられている歴代の聖女様より魔力が強いため、恐らく数ヶ月もあれば力を注ぎ終えることができると思います」
「数ヶ月か……」
「はい。世界に新たな守護がもたらされれば、聖女様はその役目から解放されます。その役目を担うのはほんの一握りの期間であるため、その後の人生を穏やかに過ごしたいと在任中はずっとベールで顔を隠されていた方も、何人かはいたと聞いております。そのように、ユーリ様のお顔がでることは最低限に致しますので、『聖女様』の振りをしていただければと考えております」
ずっと女装でいるとなるとバレるリスクもあるし、物理的にも精神面的にも中々難しいことだと思っていた。しかし話を聞くと、期間は限定されているようだし、ベールとかで顔も隠せるならそれもありかもしれないと俺は思い始めていた。
もちろん、そちらに傾いている理由の中には、先ほどメグたちにカミングアウトしたときのあの気まずさを、大勢分受け止める自信がないのもあった。ただでさえ女装男だと言うだけでもツラいのに、あの明らかな落胆を沢山受け止められる気は正直あまりしなかった。
かといって女装しつづけるにも気になる点はある。俺はとりあえず思い付くところをロバートさんに聞くことにした。
「仮にずっと女装するとして、聖女ってどんな格好すればいいんです?メグたちみたいな、体のラインがあんま出ない服だとありがたいんだけど」
「格好に規定はありませんが、メグたちのような服装であれば問題ないと思われます。長めのローブも用意させ、露出は最低限にするようにします」
「俺、女性らしい動きとかできないよ?まぁ最低限、足を閉じるとかは気を付けるけどさ」
「そこも然程気にされなくても大丈夫です。ユーリ様がいらっしゃった世界とは文化の異なる点も多いでしょう。そういう違いなのだと周囲には思わせます」
「あとさ、俺の地声はこんなのなんだよね。高い声とか出せないんだけど」
「メグの風属性の魔力で動く魔道具を用意します。メグが側に付く限り、風属性の力でユーリ様のお声の振動を変え、女性の声を出せるようにします」
それを聞いて俺はふと思ったことがあった。そのため、ロバートさんにこう聞いてみた。
「声が変えれるなら、顔は変えたりできないの?その方が変に女装するより良くないですか?」
「残念ながらそのような魔道具はありません」
「そっか……さすがにそれは魔法があっても難しいのか」
そこまで色々と教えてもらったが、俺は最後にもう一つだけ確認をすることにした。
「さっき、数ヶ月ほどでいいって言ってくれたけど、その聖女としての仕事を終えた後、俺はちゃんと男としてこの世界で生きていけるのかな?」
「それはもちろんです。聖女様であったことは伏せ、新たな身分を用意し、男性として生活ができるように致します。国と教会から生涯生活に困らないほどの報酬も出されますので、ユーリ様にご不便はさせません」
ロバートさんの言葉を反芻しながら、俺はこれからのことを真剣に考えた。悩んでいることは女装カミングアウトか数ヶ月耐久女装かの二択だったけど、真剣に考えた。
今は、この異世界とやらにいきなり呼ばれてまだ一時間経つかどうかというところだろう。ここのことはロバートさんやメグたちから聞いたことしか知らないから、もしかしたら都合のいい情報しか聞かされていない可能性もある。
けれど目の前にいる人たちが、まぁまだ一時間程度の付き合いだが、俺には悪い人には見えなかった。それに彼らがあんなにも敬意を払う『聖女様』とやらに、彼らが嘘をつくようにも思えなかった。
だから彼らの言葉を信じて、俺はこれからの数ヶ月の身の振りについて結論を出した。
「分かった。ロバートさん。俺、貴方たちの言う『聖女様』になるよ」




