第8話 「破れし過去、強いられし隷属」
ベイオネットは、その言葉に眉を寄せる。そして、何の皮肉だと内心毒づいた。
(こいつのことを何も知らない今は、ツヴァイの考えは間違っちゃいねえ……が)
あの惨劇が青年の意思によるものではないということは、あくまでベイオネットの推測にすぎない。確かなことは、彼が多くの人間の命を奪ってしまったという事実のみ。人間かそうではないか……それすらも今はまだ分からないのだ。
しかし、人の不幸を最大の食い物にする男に反論する術も、度胸も今のベイオネットには無く、無言で頷き、その決定を受け入れた。寄せた眉はそのままにしてあくまでも本意ではないということだけは伝えてはいたが、ツヴァイヘンダーはそんなベイオネットを臆病者と嘲笑う。
「だから、貴様は何1つ掴めないのだ。どうせ、すでに死んだようなもの、俺様の気分次第でいくらでも“送れる”ものを守ろうとして、ついに歯向かうための牙すら失ったか、ベイオネットよ」
そう言って、男はくつくつと喉を鳴らし、前が見えているのか不安を覚えるほどに、その細い目をさらに細めた。そして、地鳴りのように低く響く声で、止めの一撃をベイオネットに振り下ろす。
「貴様が隷属しようが、全部俺様に捧げようが関係無い。送りたい時に送る。奴らはただの、供物だ」
その一撃は、ベイオネットに深い傷を負わせる。蘇る情景に、ベイオネットは首を振った。
――貴様の負けだ。貴様達の。貴様達は政府に“捨てられた”塵だ。せいぜい、俺様を愉しませる玩具になってもらおうか。
貴様が、俺様に異を唱える度に、1人ずつ送る。そして、その断末魔を、最期の恨み声を、貴様はただ、聞くことしか出来ない。
貴様は、何1つ守れやしない。貴様は、“奴ら”に、死を強いた。そしてこれからは、その手ずから命を刈り取っていく。
……これからが愉しみだな、“ ”。惨めに、無様に、堕ちていくがいい。
蘇ったのは、苦い敗戦の記憶。
「それでも、俺は……諦めたくねえ。救えるものを救おうとして、何が悪い。どんだけ馬鹿にされても、これだけはゆずらねえ……」
思わず、青年を支える手に力がこもる。だが、ここで怒鳴り散らせば、相手の思う壺である。努めて冷静に、ベイオネットは絞り出すような声で、反論する。息遣いに掻き消されてしまうほど微かな声であったが、決して気弱なものではない。ツヴァイヘンダーに向けられた翠玉は強い光を放ち、対象を焼き焦がさんばかりである。そんなベイオネットネットを見て、ツヴァイヘンダーは、口許を歪め、至極満足げに目を細めた。
「そうだ、貴様はそうでなくてはな。その愚直なまでの諦めの悪さが無ければ、そこらに転がる塵と同じだ。ここまで“遊ばせた”意味が無い」
「お前が遊び足りないんだろ? ったく……」
やれやれと、肩を竦め、ベイオネットはツヴァイヘンダーから視線を逸らす。その口許にこそ笑みを浮かべていたが、その目付きは険しく、通り過ぎていく荒野を睨み据えている。
「言いたいことがあるならはっきりと口にするが良い。まあ……貴様の“宝物”がどうなるかは分からないがな」
くくくと、いつもの含みを持たせた嫌みな笑い声を漏らすツヴァイヘンダー。1(アイン)、2(ツヴァイ)、3(ドライ)と呟いた後に、ベイオネットを横目に見る。なんだそのカウントはと、男に訊ねれば、貴様の反抗に対する仕置きだと口にして、弧を描く。ベイオネットは最早何度目か分からない溜め息を吐いて、諸手を挙げた。
「……お前って奴ぁ、ホントズルい奴だな。よくもまあ人を追い詰める方法を思い付くもんだ。ったく、教えてもらいてえくらいだぜ」
諸手を挙げつつも、皮肉たっぷりに言い返すベイオネット。疲労の色は濃かったが、まだまだ、冗談を言えるくらいには、気力が残っているらしい。その目に込められていた殺意にも似た強すぎる正義感は、笑みに隠れ、消えた。
「そりゃあ、任務上仕方無い時は割り切るが、それ以外んときにそうしろって言われてもさっぱりだしよ。まあ、任務中も精神的に追い詰めてアレコレやんのは性にあわねえけど」
「それは貴様が単純だからだ。人が絶望に堕ちて逝く甘美なる瞬間が理解出来ないとは、実に可哀想なことよな。そして、貴様みたいな単細胞に狙撃される塵共が憐れでならない」
そんなツヴァイヘンダーの罵倒の言葉にも笑みを崩さず、おどけてこう返す。
「これでも、撃つときゃ色々と考えてんだぜ? 仲間と話す時くらい多目にみてくれよな」
次は、ツヴァイヘンダーの笑みが凍り付く番であった。人を見下した態度は変わらず、嘲笑が嫌悪に変わる。
「……仲間だと? まさか、俺様と貴様が?」
「ああそうだ。俺達“今は”目的を同じとする仲間だろ?」
ベイオネットの言葉を受け、死神は細い目をさらに細めて低い声で、一句一句刻み込むようにゆっくりと言い放った。
「貴様は俺様の暇潰しだ。自惚れるな」
、と。苛立たしげに指をハンドルに打ち付けて、八つ当たりとばかりに思いっきりアクセルを踏み込んだ。
慣性の法則に見捨てられた哀れな男は、眠り続ける青年を庇いながら思い切り、座席に叩きつけられる。
「ってて……八つ当たりなんて大人気ねえぞ、ツヴァイ」
変に捻ってしまった首を抑えて呻きつつも、その顔は笑っていた。
「俺は、お前が俺のことを屑以下にしか思ってねえとしても、お前のこと、仲間と思ってるぜ」
懲りずにそう言えば、返答の代わりに、エンジンを吹かす。再度座席に叩きつけられながらも、死神の大人げない振る舞いを笑い続けていた。
速度を増した軍用車は砂塵を巻き上げ、荒野を行く。けたたましいエンジン音に、疎らに立ち並ぶ掘っ建て小屋から、現れる人々の顔はしかめ面で、至極迷惑そうであった。
だが、そんなことはお構い無しに、ツヴァイヘンダーは、車を飛ばし続ける。一刻も早く、ベイオネットから離れたいらしい。相変わらず、人差し指は苛立たしげにハンドルを叩き、ベイオネットが声を掛けても帰ってくるのは舌打ちか衝撃のみ。
(こりゃあ不味ったな)
内心そう呟きながらもその顔に反省の色は無い。男は、常の人好きのする笑顔を浮かべながら、飛ぶように過ぎていく景色を見つめていた。赤茶けた地平線の向こうには、灰色の淀んだ空が広がっている。
――目的地まではもう少し。
相変わらず、青年は、苦しげな呼吸を繰り返し、喉笛を鳴らしている。咳き込む回数は増え、その激しさも時が経つにつれ増している。タイムリミットは着実に、刻一刻と近付いてきていた。
だが、男は冷静であった。スラムに着いてからのことを、1人考える。潜伏先をどうするか、拠点に戻るまでどうやって食い繋ぐかという己のこと、藪か藪ではないか、政府と繋がっているか否か、青年を救うに足る技量を有するかという青年を延命させる存在のこと――そして“間に合わなかった”時のこと。人好きのする笑顔の裏で、男は最適解を求め、思考の海に沈んでいった。