第22話 それぞれの夏の日
―――― intermission-1 二つの世界を知る者 ――――
この世界には月が一つしかなかった。
自分の故郷とは違う。
それでもその月を見ていると、なぜだか温かい気持ちになってくる。
彼女は住んでいる高層マンションのルーフバルコニーに独り立ち、夏の夜風に吹かれながら空を見上げていた。
学校に植えられた世界樹の存在が、意識の中に伝わってくる。
ここまではいつも問題ない。
母親が遠く離れた世界樹と交信する様子は、何度も目にしたことがある。
目を閉じて、もちろん言葉を発することもせず、彼女は世界樹に語り掛けてみた。
世界樹の返事はなかった。
『うーん、もうちょっとな気がするんだけどな……』
この距離なら自分でもできそうなものなのだが、やはりまだ力が足りていないのだろう。
とはいえ自らの種族の寿命を考えると、高みに近付くまでは長い年月がかかる。
それではもう間に合わないかもしれない。
彼女のいた世界は、奴らに奪われつつある。
屋上から、昇る月下の夜景を見下ろしながら彼女は考える。
助けてくれてるこの国の人たちは優しいけれど、それでは奴らには勝てない。
世界が完全に奪われる前に、自分には強い力が必要なのだ。それは例えば、都市を一つ滅ぼすほどの兵器とか……
ルーフバルコニーを歩くサンダルの音が、背後から聞こえてきた。
「萌萌、何してるの?」
「あ、おにいちゃん。ちょっと月を見てたの」
「そうか今日は満月か。きれいな月だね」
「うん」
彼女はこの世界の兄にそっと寄り添う。
いや、正確には兄でいいんだっけかな。あとで調べてみよう。
「おにいちゃん、私、世界樹に会いに行きたいな」
「行くか? これから」
そう答えた兄は妹の顔を見てニヤリとする。
心の中の寂しさが薄らいでいく。
「もう夜だけど大丈夫かな?」
「温室は外だからなんとかなるだろ。そうだ自転車で行ってみるか、萌萌は後ろに乗せてあげるから」
「えへっ。やった!」
―――― intermission-2 未来と過去とを知る者 ――――
熱帯夜の人混みを、東京湾から吹く風が通り抜けていく。
海の上に大輪の花火が幾つも開き、遅れてドンという響きが身体に伝わると、周りから歓声が上がる。
しかし彼女は空の花火ではなく、昇りつつある下弦の月を見つめていた。
トレードマークのような眼鏡は外していて、長い黒髪が夜風にたなびいている。
彼女は月の生まれだった。
もちろん彼女の世代は皆そうだった。地球上は既に奴らの支配下にあり、人類は月面ドームにひっそりと生き延びるのみ。
軌道上に幾重にも配備されたレーザー迎撃システムに守られてはいるものの、奴らが月に現れないという保証はどこにもない。
テロメアに細工してほぼ不老と呼べる身体を手にしていた人類だが、とはいえ不死とは程遠く、その滅亡は時間の問題だった。
だがついに求めていた理論が完成し、計画は実行に移される。
奴らに支配された荒涼とした地表に、軌道上から幾千の人々が片道で降下する。激戦の只中で組み上げられ、設置されたその装置は、慌ただしい点検の後、即座に起動のスイッチが押された。
集約された数百の核弾頭の爆発エネルギーが装置へと流れ込み、理論通りにプランク秒の間だけ時空に穴が開く。
北米と呼ばれていた場所に広がる巨大な火球の中で、彼女は過去へと送り出された。
ただの独りで。何も持たずに。
あの時、地球の上は満月の夜だった。
1950年代のアメリカですら、奴らは既にその侵略の萌芽を伸ばし始めていた。
最初の目標の暗殺には失敗し、そこから何度も奴らを食い止めようとして、最後に彼女は悟った。
歴史の大きな流れに介入することはできないのだと。
結局ソ連の崩壊すらも彼女は防ぐことができなかった。人々は未来への関心を失い幻想の世界に遊んでいる。奴らは人々の心の中に巣食うのだ。
それでも身近なところでの実験を繰り返した彼女は、やがて一つの仮説を手にした。
歴史には結節点のようなところがある。
自分が手を入れずとも、ほんの少しの後押しが大きな変化を生むかもしれない。結局、未来を選ぶのは、そこにいる人間の意志なのだ。
脳のシナプスに圧縮された未来の歴史をほぐして結節点を探り、彼女はこの場所を選んだ。人類の自由への希望を込めて彼女はその魂を伝えようと努力してきた。
今度の後輩はうまくやれるだろうか。
不器用で無愛想で人見知りで、昔の自分に似たところが気になる男の子だったけれど、最近妹ができてから変わってきた感じがする。
それとも、やはり歴史は変えられないのだろうか……
「部長、花火終わっちゃいましたよ」
「そうね」
眼鏡をつけて、彼女はそんな気持ちを心の奥へと仕舞い込んだ。
―――― intermission-3 世界の認識を変える者 ――――
学校の中にしては豪華な調度その部屋には、窓がなかった。
彼女にとって、それは必要も興味もないものだった。
「ステータス、オープン!」
そう唱える彼女の目前に幾つもの数値が並ぶ。
もちろんどんな言葉でもよく、そもそも言う必要すらないのだが、彼女は最近の小説にあるこの馬鹿馬鹿しいセリフが気に入っていた。
そう、言葉こそが力なのだから。
『なるほど、かなり強くなっているようだな……』
浮かぶ数値の上がり具合を見て彼女の口角が上がる。特にこの場所を掌握してからの上昇は著しいものだった。
小柄でスレンダーな身体、二つに束ねた長い髪。女子学生の見た目の彼女は、実はこの国の生まれではなかった。正確に言えばどの国の生まれですらない。
それでも近年のこの国の流行は、彼女の力の回復を大いに促してくれている。
認識があって初めてそこに世界が形作られる。
人々の意識を変えることができれば、世界の構造すら変わっていく。
二千年という年月をかけて彼女たちの存在を消し去ってきた神という存在は、現れた新たなる科学という神に滅ぼされようとしている。
その新たな存在も、また世の流れに消え去ろうとしている。
ここで人々の認識に強烈な傷跡を与えることができれば、世界の形は大きく変わり、それは不可逆の流れになるだろう。
地、水、風、それに火。
四つの力を統べる名の彼女は、世界を変える幻想の仕上げに思いを巡らしていた。
明日からは一日朝昼の2話投稿です。応援よろしくお願いします。




