29 カビの子 乙女心が蘇生する
「おおっと、こりゃ悪い。手が滑ったなァ」
いや、お前、絶対ワザとだろ!?
僕がこんがり焼かれたカビちゃんを確認し、ニヤニヤ笑う男を睨みつけた。
その時だった。
男は、おどけた様子で、僕の袋……残りのぺニシリウム・クリソゲノム種の宿ったお餅の入った袋を奪い取る。
「あっ!?」
「いやぁ、悲しいなぁ。俺様が苦労して取って来たモノが買い取って貰えないなんてなぁ……」
「か、返してくだサイっ!!」
思わず、右足一本で椅子の上に立ちあがり、僕のカビちゃんを取り戻そうとするが、僕の身長では、高く掲げられた男の手には、とてもではないが届かない。
ここ数日の間で、唯一と呼べる戦利品!!
それを焼かれる訳にはいかない。
「お願い! 返してっ!! それ、ぼくのデスっ!!」
「思わず、また、手が滑って焼いちまうかもしれないなぁ……」
「ヤメテっ!! わかりました、買い取りマス! 買い取りマスから、それを返してっ!!」
僕の叫び声を聞いて、ギルドのお姉さんが駆け寄って来てくれた。
どうやら、このやり取りが結構、周囲の好奇心を集めてしまったらしく、冒険者ギルドへ来ていた依頼人さん達らしき裕福そうな人たちが、遠巻きに僕たちを見つめている。
「サイドンさんっ! ギルド内で依頼主とのトラブルはご法度ですよっ!? 冒険者ランクの降格や、はく奪の可能性もありますからね!」
「ちっ……」
おっさんはわざとらしい笑みを浮かべると、お姉さんに向き直る。
「別に、揉めては居ないさ。単に俺様の持ってきたモノを買い取って貰おうとしていただけだ。この身欠けのチビが買い取ると言えば、何の問題も無いはずだぜ?」
「サイドンさん……その、身欠け……だなんて、依頼主に対して失礼ですよ」
お姉さんが気まずそうに声のトーンを落として非難するが、そんな事はどうでも良い。
「それより、その袋は僕のものデス! 返してくだサイ!」
「ふん、ほらよ」
おっさんは、高く掲げていた袋を僕に向かって投げ落とす。
「あっ!?」
がた、どてんっ! ごしゃっ!
一応、その袋をキャッチする事は出来たが、ここは椅子の上。
そして、今の僕は、左足のヒザから下が無い。
思わず両手でガシっと袋を抱き留めてしまったが、杖を手放してしまった事でバランスを崩し、豪快に椅子から転がり落ちてしまった。
したたか左半身を床に叩きつける。
……痛っぁぁぁぁ……
でも、何とか、お餅に宿ったぺニシリウム・クリソゲノムを取り戻すことが出来た。
ほっと一息ついた瞬間、
「【火炎玉】」
男の放った炎の玉が僕の抱えていた袋に直撃した。
えっ?
めろり、めろり、と袋を舐めるように広がる赤い炎
「だ、ダメェーーーッ!!」
ばばばばばばばっ!!!
ぎゃーっ!! 消えて、消えてっ!!!
僕は、思わず着ていた服の裾で袋を何度も叩く。
ダメだ、もっと、強く煽るように叩き消さないとッ!
僕は咄嗟に変身を使い、脱げ落ちた服を確保すると、元の姿に戻り必死にその服で酸素の遮断を試みる。
おっさんの笑い声や、がっちゃん、どったん、何かの衝撃音、お姉さんとか周りの人が叫んでいるような音は聞こえたが、こちらはそれどころではない。
あーッ!! ダメダメっ!! 炎に弱いカビちゃんがぁぁぁぁっ!!!
半ばパニック状態の僕に理性を取り戻す液体が浴びせかけられた。
ばしゃんっ!!! ……ぷしゅ~……
「……き、消えたぁぁ……」
どうやら、誰かが水をかけてくれたらしい。
だが、黒焦げになった袋と、焼けてちょっと香ばしいニオイを漂わせているお餅の姿に思わず涙が溢れた。
うぅ……僕のカビちゃん……
能力は本家様の3分の1とは言え、折角、見つけたのに……
一度、決壊してしまったダムはそう簡単に元に戻らない。
僕の涙腺の仕様もそれとかなり近い構造をしているらしい。
「うぅ……ぐしゅっ……ふえぇぇ……」
ふはり……。
その時、突如、柔らかい大きな布が頭の上から降って来た。
「これは、どういう事っスか?」
え? この声はリーリスさん?
浴びせかけられた水と涙でメガネがべちょべちょ。視界がぼやぼや。
僕は、降って来た布の端でメガネを拭き、響いて来た声の方へ向き直る。
足元に転がっているのは、カラッポの桶。
どうやら、この水をかけてくれたのはリーリスさんのようだ。
表情は見えないけれど、いつもの見慣れたミルクティー色が目に飛び込んできた。
その髪を後ろで束ねたエルフの青年の背中が僕の瞳に映る。
おっさんと僕の間に割り込み、僕をかばうように立ちふさがるその手には刃渡り50センチ程の意外と立派な剣が握られている。
あれ? リーリスさんって、剣は苦手って言ってたような……?
「俺、剣術はあんまり得意じゃないんスよ」
苦手、にしては一部の隙も無く、両手でその刀を構えているリーリスさん。
おお……案外、カッコイイ……
「何だとゴルァ! こっちは……」
びゅわッ!!
一閃。
おっさんの言葉を切り裂いたかのように、リーリスさんが刃を滑らせる。
と、あのスキンヘッドのおっさんが着用してた金属製っぽい鎧が、サクっとビックリするくらい奇麗に切り裂かれていた。
その向こうの布の服も破れ、皮膚から僅かに血が滲んでいる。
「……だから、こっちは加減が出来ないっス」
「ふぇッ!? い、いや、その……これは……」
え? も、もしかして、リーリスさんの「得意じゃない」って、高難易度大学とかの学会で、その道の大先生や博士が使う枕詞と同じだったの?
あの辺の知能指数を誇る皆様って学生の発表に対して「お前を今からフルボッコにする」と同義語で「勉強不足ですいませんが……」とか「知らない事が多くて申し訳ないのですが……」とかって言葉を最初に使って来るらしいじゃん?
それの亜種?
あまりの切れ味を目の当たりにしたスキンヘッドのおっさんが、床に尻もちをついて引き攣った笑いを浮かべる。
さっきまでの強気はどこへやら。
「お、俺様は、だた……商談を……」
「商談? 俺には子供をカツアゲして虐めていたようにしか見えなかったっス」
何か……声の調子が違う?
どちらかというと、ほわほわ弾んだ調子で話すリーリスさんとは思えないような、低く、暗く、鋭い音色。
エ……エシル姐さん直伝の威圧?
ほ、本当にリーリスさんだよな? 別のエルフさんじゃないよね?
おもわず、口をあんぐり開けてピンといきり立った長い耳の後ろ姿を見つめる。
「わ、悪かった、悪かったって!! ひぃぃぃっ!」
おっさんが、情けない悲鳴を残して、だばだばと走り去る。
それを目の当たりにして、ようやく、僕の感覚が帰って来た。
両手は、ピリピリと痛みを訴えていて、火脹れのような火傷が広がっている。
椅子の上から落下した時に打ち付けた半身は、打撲のような鬱血の影を感じられる。これは、後々立派な紫色のアザになりそうだ。
「ふぇくしっ……」
あー……ずぶ濡れだから、冷えて来た。
「レイニー! 大丈夫っスか?」
「リーリズざん……」
あ。良かった。やっぱりいつものリーリスさんだ。
僕を振り返って心配そうにしゃがみ込むリーリスさんの耳はへしょん、と降りていて、威嚇のいの字も感じられない。
そっか……今まで気にした事無かったけど、リーリスさんの手のひらって、こう、皮が硬くなっていて、戦う男の手……だったんだなぁ。
ゆっくりとやさしく僕を撫でてくれる手のひらに、思わず、乙女心がキュン、とした。
スゲェな! リーリスさん!!
友人からも、つぼみの段階でに枯れて腐ったと評判だった僕の乙女心さんが墓場からゾンビのように蘇って来て、心臓の早鐘をガンガンと鳴らしてますよ!
コレが吊り橋効果ってヤツなのかな?
「あー、もう、レイニー……一体、何が有ったんスか……」
「うぅ……」
問いかけられ、香ばしいにおいが鼻をくすぐる。
その瞬間、一気に頭が冷えて、同時に喉と目の奥がカッと熱くなる。
僕は、あのおっさんの外道な仕打ちを洗いざらいリーリスさんにぶちまけた。
「ぞれで……ひっく、ぼぐの、がびぢゃんがぁぁ……ぐしっ」
くぅぅ!
事情を説明していたら、また悔しさが液体になって顔中から溢れ出るじゃないか。
「うん。うん。それは災難だったっスね。まさか、アイツにまた会う事になるとは思わなかったス。質の悪い奴が来た時の対処法を伝え忘れてて、悪かったっス」
曰く、依頼達成でトラブルになりそうな気配が有ったらすぐにギルドの受付嬢か、ギルド役員に助けを求めるべきだったらしい。
そう言いながら、わふわふと、僕に投げかけられた大きなタオルのような布で、体を拭いて行くリーリスさん。
さらに、あの桶には、新しい冷水を汲んできてくれて、両手の火傷を冷やす。
「でも、最近、あの手の輩は、あんまりギルドには寄り付かなくなっていたんスよ?」
「……ぐすっ。ひぐっ」
僕は、下唇を噛みしめて小さく頷く。
くそっ、横隔膜の痙攣が収まらない。
「あー……あと、レイニーは、もう少し羞恥心を持った方が、良いっスね。その……せっかく可愛いんだから……」
ん? 羞恥心?
あ、そういえば、袋に着いた炎を消す為に、服を脱ぎ捨ててましたっけ。
そうそう、服を、ね。公衆の、面前で……
「……」
「……」
わーっ!! わーっ!! わあぁぁぁぁっ!!
やはり、乙女心さんは、とうの昔に腐り果てていたか。
……冷静、客観的になると、顔面に熱が集うのがわかる。
は、恥ずかしい! これも全部あのおっさんのせいだ!!
僕は必死だっただけなんだよ!! 信じて、リーリスさんっ!! 僕、別に露出狂じゃありませんからッ!!




