最終話 契約の外
後日、苗床で蔵にあった布を開いた。
枝はまだ生きている。ナイフで切り口を斜めに削り、台木の割れ目へ差し込む。形が合えば指に伝わる。合わなければ、何度でもやり直す。
よし、合った。
麻ひもで巻き、上から蝋を塗った。
「十四本目かな」
ネッダが横で数えていた。
「今日は速いね」
「ま、手が覚えているからね」
「セルヴァニ家の木だからじゃないの?」
「うちのじゃないよ」
「木のほうは、そう思ってないかもよ」
ネッダは笑うと、それきり札書きに戻った。
◇
門のところで馬が止まった。
降りたダリオさんはクロークの裾を絞っている。サンペラから苗床まで、今日は道が悪い。
「ヴィオラさん。少しお時間を」
「手は止めません。どうぞ、話してください」
「では、そのままで」
彼は木箱に腰を下ろした。
「ダリオさん。周辺の木はどうでしたか」
「今のところは何も出ていないようです」
「まだ分かりません。二の月の雨を、もう一度見ないと」
「調査を怠らないようにします」
そう言った後、クロークの内から折った紙を一枚出して、こちらに向けて開いた。
「先に、条件に関わることをお伝えします」
会計の控えだ。数の並びの下に、彼の名前がある。
「越えた分の評価額は、家の会計では私個人の借りになっています。管理は今も続けていますが、家はいつでも見直せます」
「見直されたら?」
「園の管理は別の者に移ります。私はサンペラを離れるかもしれません」
「なぜ先に、それを言うんです?」
「これから専属の仕事をお願いするからです。私が管理を外れれば、次も同じ条件で契約できるとは約束できません。先にお伝えしておくべきでしょう」
台木の割れ目に、接ぎ穂の角が引っかかったので削り直す。
「話してください」
「ベラーニ家のブドウ園の、専属の管理をお願いしたい。年ごとの契約で賃金は月ごと。住むところも用意します。木のことはあなたが決め、費用はこちらが持ちます」
「悪くないですね」
「悪くないですか」
破格の条件、だけれども……
「ええ。だから断ります」
ダリオさんは黙った。すぐには言葉を探さない人だ。
「理由を伺っても?」
私は前掛けの下から、折った紙を出した。手が汚れていたので、端を持って渡す。
「もう用意してました」
「これは――」
「読んでください」
ダリオさんは読んだ。
『園ごとに契約し、どこの専属にもならない』
『病んだ木を見分け、切る場所は私の名で決める』
『決めた結果に損が出たら、その責めは私が受ける』
『ベラーニ家のブドウ園は、最初に結ぶ相手にする』
「あなたに不利な行があります。そこは消されたほうが」
「消しません」
「消さないなら、値が上がります」
「もちろん上げます。専属より高いでしょうね」
私は返事を待たず続けた。
「ただ、園が増えれば、そちらの分は安くなります。増やすのは私の仕事です」
ダリオさんは、あらためて上から読み直してる。
「最後の行。これは、こちらへの気遣いでしょうか?」
「違います。いちばん木を知っている園ですから」
「では、このまま結びます」
その場で名前を書いた。値を下げてくれとも、専属をもう一度とも言われなかった。
紙を二つに折り、クロークの内へしまう。
「これで仕事の話は終わりです」
ダリオさんは空いた両手を膝に置くと、下を向いて動かなかった。
しばらくして顔を上げた。
「一つ。仕事ではないことを、伺ってもよろしいですか?」
「なんでしょうか」
「断られても、いま結んだものには響きません。先に言っておきます」
「言わなくても分かります」
「言わないと私には分かりません」
そこで初めて、この人は言葉を探してるのに気付いた。
もう紙を出さない。こちらへ向けもしない。いつもと同じ顔だけど、いつもとは違う。
待つ形だけが同じ。
「――次の灯の日に、市が立ちます」
「ヴィオラさん。仕事の話をせずに、一緒に歩いてもらえませんか」
風が苗床を抜けた。突如、ネッダの札が鳴った。聞こえていないふりが下手だ。
なぜか深くは考えなかった。「行きたい」と思った。なら、そのまま言えばいい。
「ええ。ご一緒しましょう」
「はい」
「一つ。条件があります」
ダリオさんの顔が止まった。この人でも止まるのだ。
「灯の日は市が早いです。早い時間に来るようにお願いします」
「では、早い時間に伺います」
それだけ言うと、ダリオさんは馬のほうへ歩いていった。門で一度振り返り、会釈をして出ていった。
接ぎ木の続きをした。
十五本目。
削って、差して、巻いて、蝋を塗る。
この枝がつくかどうかは、二の月の終わりまで分からない。古い木は戻らない。あの園の実も、今年はほとんどない。
それでも、これはあの列の枝だ。
「ネッダ。台木がもう少し要る。次の束はいつなの」
「三日後だよ」
「じゃあ、その日にまた来るね」
頼まれなくても動く。
今度は、そういう仕事だ。
ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたならば幸いです。




