第1話 姫落下。オレ頭突き。
オレの名前は風間風磨。
冗談みたいだが、本当に親がつけた名前である。
風間 風磨。
なんで風が二回も吹いとんねん。そう突っ込んでやりたい両親は、もう墓の中だ。
オレはこの世でたった一人。家族も親戚もいない。友達もいないし、当然、彼女もいない。コンビニで夜勤のバイトをして、安アパートの一室で寝て起きるだけの生活。
世界を救う予定もない。 誰かに選ばれた覚えもない。特別な力なんて、もちろんない。その日もいつも通り、夜勤明けの身体を引きずりながら、アパートへ帰る道を歩いていた。朝焼けはまだ薄く、街は半分だけ眠っている。 新聞配達のバイクが遠くを走り、どこかの室外機が低く唸っていた。
その時だった。
「キャーーーー!」
上から、声がした。
「ん?」
見上げた。
空。
電線。
アパートのベランダ。
そして――女の子。
女の子が、落ちてきていた。
「は?」
いや、待て。なんで。どこから。そもそも、人ってこんな真っ直ぐ落ちてくるもんなのか。そんなことを考えるより早く、身体が動いた。
「ヤバい、助けねば!」
自分で叫んでから、少し驚いた。え?オレって、こんなヤツだっけ?両手を広げて、落ちてくる少女を受け止めようとした。
そして。
ゴツン!!
オレの頭と、彼女の頭が、見事にぶつかった。
「いっ……!」
視界が白く弾けた。膝から力が抜けて、その場に尻もちをついた。頭蓋骨の中で、鐘でも鳴らされたみたいだった。
その瞬間、頭の奥で、何かが鳴った。
『ピ。変異体を確認』
『ピ。当該個体を鑑定。既存記録に該当なし』
『ピ。因果照合、失敗』
『ピ。判断を保留』
『アレマスを確保せよ』
なんだ今の。声じゃない。音でもない。けれど確かに、頭の中に流れ込んできた。
「痛ぁい……」
目の前で、落ちてきた女の子が頭を抱えてうずくまっている。
銀色の髪。見たことのない服。涙を浮かべた顔。そして、オレより先に文句を言いそうな口元。
……え?
何このシチュエーション。普通、こういう時って、女の子を華麗に受け止めるもんじゃないのか。なんで初対面の異世界っぽい美少女と、頭突きしてんだオレは。
「うー…」
なんかすっごい睨んでくるんですけど…どうしよ。逃げようか?
(女の子が睨んでくる 逃げますか? YES / NO)
脳内でRPGのテロップが流れる。どうしよう。
「あなた、なんですの?」
え?えええ?「誰ですの?」でもこのシチュだとちょっと変なのに「なんですの?」ってなんですの?
「どうして生きているのです?あれだけの衝撃、普通なら死んでないとおかしいのです」
は?何を訳の分からないこと…ってそうだよね。高い所から落ちてきた女の子と頭突きし合うって、死んでもおかしくないよね。あれ?でもなんでこの子も無事なの?
「まあ無事なら良いじゃない。君は大丈夫?」
オレはできるだけ普通の声でそう言った。
いや、普通ではない。
女の子が空から落ちてきて、オレと頭突きして、しかもお互い無事で、そのうえ頭の中に変な声が流れ込んできた時点で、普通なんて概念は朝焼けの彼方へ飛んでいった。
だが、ここで慌てたら負けだ。何に負けるのかは知らないが。
「大丈夫なわけがないでしょう!」
少女は涙目で叫んだ。
「痛いですわ! ものすごく痛いですわ! このわたくしの頭に、頭でぶつかってくるなんて、どういう神経をしているのです!」
「いや、落ちてきたの君だからね?」
「受け止めるなら、もっと柔らかく受け止めなさい!」
「頭で?」
「頭で!」
「無茶言うな!」
なぜか朝っぱらから、見知らぬ美少女と頭突きの責任について揉めていた。
人生、何が起こるか分からない。
いや、さすがにこれは分からなさすぎる。
「そもそも君、どこから落ちてきたの?」
オレは上を見た。アパートの二階。ベランダ。物干し竿。誰かの干しっぱなしのタオル。特に、人が落ちてくるような高さでもない。というか、この子が落ちてきた軌道は、もっと上だった。
空から。
冗談抜きで、空から落ちてきたように見えた。
「どこから、ですって?」
少女は眉をひそめた。銀色の髪が朝日に透けて、妙に現実離れしている。服装も変だ。白と青を基調にした、ドレスとも制服とも鎧とも言えない格好。肩や袖には見たことのない紋様が入っている。胸元には、透明な石のようなものが埋め込まれていた。
コスプレ。
そう思いたい。そう思いたいが、コスプレイヤーが早朝に空から落ちてくる理由を、オレは知らない。
「わたくしは、アレマス王国第一王女、リュシア・エル・アレマスですわ」
「……はい?」
「ですから、アレマス王国第一王女、リュシア・エル・アレマスです」
「ごめん、もう一回」
「耳が悪いのですか?」
「いや、現実認識が悪い」
アレマス。
さっき頭の中に流れ込んできた言葉。
『アレマスを確保せよ』
それは国の名前だったのか。いや、待て。王国?第一王女?アレマス?朝の住宅街で聞く単語じゃない。
「それで、リュシアさん」
「姫です」
「え?」
「リュシア姫、と呼びなさい」
「いや、初対面で姫呼びはハードル高いな」
「では、リュシア様でも許します」
「許される方向が偉そうすぎる」
少女――リュシアは、当然のように胸を張った。その仕草だけは、たしかに姫っぽかった。だが額には赤くなったたんこぶができている。姫っぽさとたんこぶは、思ったより相性が悪い。
「で、その姫様が、どうして空から落ちてきたんだ?」
「召喚されたようですの」
「召喚?」
「ええ。勇者召喚ですわ」
「勇者召喚」
オレは言葉を繰り返した。
勇者召喚。なるほど。そういうやつか。異世界から勇者を呼び出して、魔王を倒してもらうやつ。最近のラノベとかゲームで見たことある。いや、ちゃんと読んだことはあまりないけど、コンビニの雑誌コーナーで表紙くらいは見たことがある。
「つまり、君があっちの世界に勇者を呼ぼうとしたら、何か失敗してこっちに落ちてきたってこと?」
「失敗ではありません!」
リュシアは即座に否定した。
「我が王国の召喚術式は完璧です。王宮魔導院の大魔導師たちが三十年かけて組み上げた、世界最高峰の術式ですもの」
「でも落ちてきたよね」
「……多少の乱気流はありました」
「召喚に乱気流ってあるんだ」
「あります!」
ないと思う。でも断言されると、そういうものなのかもしれない気もしてくる。
「で、その勇者は?」
オレが聞くと、リュシアは固まった。
「……」
「……」
「……」
「まさか」
「こちらには……見当たりませんわね」
「見当たらないね」
朝焼けの住宅街。
新聞配達のバイク。ゴミ捨て場に群がるカラス。電柱の影。安アパートの前に立つ、夜勤明けのフリーターと、たんこぶ姫。
どこをどう見ても、勇者らしき人物はいない。
いや。
いない、はずだ。リュシアの視線が、ゆっくりとこちらを向いた。
「……あなた」
「違う」
「まだ何も言っていません」
「でも違う」
「あなたが、勇者なのでは?」
「違う」
「早いですわね」
「オレはコンビニ夜勤明けの風間風磨。勇者要素ゼロ。レベルで言うなら、たぶん二。特技は廃棄弁当の見極め」
「廃棄……?」
「君の世界にはない概念かもしれない」
リュシアはじっとオレを見た。上から下まで、遠慮なく。ボロいパーカー。色あせたジーンズ。寝不足の顔。コンビニ袋。そして、さっきぶつけた頭。
彼女の表情が、見る見るうちに曇っていく。
「……違いますわ」
「だろ?」
「勇者様がこんなにくたびれているはずがありません」
「判断基準そこでいいの?」
「勇者様はもっと、こう……光り輝くようなオーラをまとっていて、清廉で、凛々しくて、剣を持っていて、目が強くて、民衆が見ただけで涙を流すような――」
「朝から傷つくなあ。でもこの世界にそんなヤツいないぞ?」
「え?いないのです?」
その瞬間。
また、頭の奥で音が鳴った。
『ピ。観測対象、接触継続』
『ピ。アレマス王女、死亡予定時刻を超過』
『ピ。予定因果からの逸脱を確認』
『ピ。特異点候補、再照合』
『ピ。該当なし』
背筋が冷たくなった。死亡予定時刻。今、そう言ったか?リュシアが死ぬ予定だった?つまり、この子は本当なら、落ちてきた時点で死んでいた?
でも、死んでいない。オレと頭突きして、たんこぶを作って、今こうして文句を言っている。
「どうしましたの?」
リュシアが首を傾げた。オレは彼女を見た。
銀色の髪。赤くなった額。偉そうな口調。泣きそうなくせに負けん気の強い目。
死亡予定。ふざけんな。勝手に予定すんな。
「いや」
オレは頭をかいた。
「なんでもない」
「変な人ですわね」
「空から落ちてきた姫に言われたくない」
「わたくしは姫ですから、落ちる時もあります」
「姫って落ちるんだ」
「たまには」
「たまにはで、落ちないでほしい」
その時、遠くで何かが光った。朝焼けとは違う。白く、冷たい光。空間に、細い亀裂のようなものが走った。
リュシアの表情が変わる。
「まずいですわ」
「何が?」
「追ってきました」
「誰が?」
リュシアは唇を噛んだ。そして、さっきまでの偉そうな声とは違う、少し震えた声で言った。
「世界修正機構です」
空間の亀裂が開く。
そこから、白い仮面をつけた人影が三体、音もなく現れた。人間ではない。いや、人間の形はしている。けれど、あれは違う。見た瞬間に分かった。あれは、誰かを助けるための存在じゃない。間違いを消すための存在だ。
『ピ。修正対象を確認』
『アレマス王女、予定外生存』
『未知個体、干渉』
『双方、回収または削除』
脳内に、また声が流れ込む。
削除。
いま、削除って言ったか。
「逃げますわよ!」
リュシアがオレの手をつかんだ。
「ちょ、待て待て待て! なんでオレまで!」
「あなたが助けたからです!」
「頭突きしただけだろ!」
「それが助けたことになってしまったのです!」
「そっちの世界、判定ガバくない!?」
白い仮面たちが、一歩踏み出す。その足元から、道路のアスファルトが音もなく白く変色していった。消しゴムで現実をこすっているみたいに。
ヤバい。
これはヤバいやつだ。ようやくオレにも分かった。朝の住宅街にいていい存在じゃない。コンビニ夜勤明けに対応していい案件じゃない。リュシアはオレの手を引っ張ったまま叫んだ。
「走りなさい、風間風磨!」
「なんで名前知ってんの!?」
「さっき、あなたが名乗ったでしょう!」
「そうだった!」
オレは走った。
夜勤明けの身体で。寝不足の頭で。コンビニ袋を片手に。異世界の姫に手を引かれて。背後では、白い仮面たちが無言でこちらへ向かってくる。ああ、アパートの階段まで消された。そして、頭の奥でまた、あの声が鳴った。
『ピ。特異点候補、逃走開始』
『ピ。因果分岐、増大』
『ピ。世界線安定率、低下』
『ピ。至急、確保せよ』
なんだよ、それ。特異点候補?世界線?安定率?
知らない。
オレはただ、空から落ちてきた女の子を助けようとしただけだ。
いや。正確には、頭突きしただけだ。それなのに。この日、オレの何もなかった人生は、盛大にバグり始めた。




