Episode.8 カタリナの謎
「ん……はあ……」
〝立入禁止〟の札を提げた室内に、自分のものとは思えぬ艶めかしい声が響いていた。実際はガチムチ男の鼻息荒い声のはずが、どうも淫猥な感じに変換されて腰を上下に動かしている間も筋トレに集中できない。
時折、廊下を歩いている奴らが扉の前で立ち止まる気配がするが、一切無視して汗水を流している。姿見には、汗水流してスクワットに励む美少女が写り込んでいた。
トレーニングウェアの替わりに、引きずるほどの長さのシュミーズドレスを腰丈に切り揃えてタンクトップ風に改造してみた。下は膝丈のドロワーズで、どちらも赤色で統一されている。ドレスだけならまだしも、下着まで揃えているとは並々ならぬ赤への執着を感じさせる。
後頭部に両手を回して、ゆっくり腰を下ろすと太腿がプルプル震えて止まらない。顎から滴り落ちる汗がシミを作っていた。他にも全身の部位を鍛えていたが、あまりにも貧弱過ぎて準備運動程度の負荷に耐えられずに限界を迎えて仰向けに倒れた。
昔のワシと比べるのは流石に酷とはいえ、ここまで生っちょろいとは少し計算外だった。もともとレディアナには、頭がキレる割に病弱という設定があったこと思い出す。屋敷の外にも用がない限りは滅多にでないので、少し体を動かすだけで息があがっていた。
つくづく運動に向いていない身体だなと、四肢を投げ出して休息を取っていると昨晩リナから言われた言葉が脳裏をよぎる。
「殺されたくなかったら、相手を思いやる行動を心掛けろ――か。バカ言うな」
ワシの言動がNPCにどう受け取られるか、それは状況次第で千差万別に反応が分かれると聞いた時は、袋小路にはまった気分に陥った。同じシチュエーションでもある時は好感度が上がって、逆に好感度が下がることもあるというのだから唯我独尊を地で行くワシには難解極まる鬼畜仕様としか思えない。
これまでのワシは、相手の気持など微塵も気にかけたことがなかった。だからなのか、普通のプレイヤーであれば大抵回避できる地雷とやらを、毎回盛大に踏み抜いては派手に殺されるという負のスパイラルに陥っていた。
「あの、さっきから私はなにを見せられてるんでしょうか?」
立ち入り禁止の部屋にワシ以外の声が響く。部屋に入ってきたリナの目は暗く澱んでいた。
「見てわからんのか。筋トレだ」
「そのくらいバカでもわかりますよ。そうではなくて、話があるというから仕事の合間にやってきたのに、なんで勝手に筋トレを始めてるんですかって聞いてるんですよ」
「ああ? こんな華奢な身体じゃ、いざって時に自分の命も守れねえだろ。相棒の首切り丸を自在に使いこなせる程度には、鍛えなおしておこうと思っただけだ。男なら当然だろ」
「今の剛田さんはどこからどう見ても立派な女でしょうが! 刀なんて握らなくていいので優雅に洋扇でも煽っててくださいよ。どこのゲームに日本刀が基本装備の悪役令嬢がいるというのですか」
ピーチクパーチクとあまりにも口煩い。体重を支えるのがやっとな脚で立ち上がると、セルフサービスの果物の中からレモンを選んで手に取る。「クエン酸は肉体疲労に効果的だからな」そう言いながらリナに近寄ると、掴んでいたレモンを蓋代わりに口に口に突っ込んでやった。
「むーむー!」
「それで少しは静かになるだろ」
訴える声を無視して、流れる汗をタオルで拭きとる。プロテインの代用としては心許ないが、用意しておいた牛乳を一気に飲み干して盛大にゲップをかました。屋敷の外まで下品な音が響く音に、小鳥たちが驚いて一斉に羽ばたいていく音が聴こえた。
筋トレ直後で筋肥大してるはずの腕の細さときたら、小鳥が一休みする止まり木の枝よりなお細い。モストマスキュラーポーズを取るも、貧弱さが際立つだけで肩を落とした。いくら女性の体とはいえ、やるせない気持ちが押し寄せる。
昔のワシなら、百キロ超えの人間を背中に乗せて、かるがると腕立て伏せが出来たんだがなぁ……。もう戻らない身体と筋肉に想いを馳せるのは、なんだか元カノに未練たらたらの男みたいで女々しさを感じてしまう。
「ぶはあっ! いきなりレモン突っ込まれて窒息死するかと思いましたよ! 私は剛田さんと違って死んだら生き返れるかわかんないんですからね!」
リナは歯型のついたレモンを投げ捨てると、怒りで顔を真っ赤に染めていた。確かに窒息死は苦しいもんだ。ワシも首を絞められて殺されたことがあるから辛さはわかる。
「あと、いつまでもそんなはしたない格好してないで、ちゃんと着替えてくださいね」
「言われなくてもわかってる。今着替えようと思ってたところだ」
「どうせ一人で着れないでしょう。子供の言い訳みたいで男らしくないですよ。あ、今は女でしたね、スミマセン」
「お前は一言余計に付け足さなきゃ喋れねえのか」
ブツブツ文句を言いながらも、リナの言う通りドレスの着付けは自分で一人では難しい。なので手伝ってもらわなくては満足に着替えることもできない。
コルセットを装着するか問われて、それだけは勘弁と首を横に振った。一度強引に勧められて仕方なく嵌めたが、あの肋骨を圧迫する苦しさと肺から空気が漏れ出る不快感は、二度も経験したくはない。
そもそもレディアナのくびれの細さは、スタイルをよく見せる補正具など必要がないほど引き締まっている。ワシが求める肉体美とは真逆にあるので、本当なら今すぐにも太く逞しい体幹に鍛え上げたいものではあるが、それこそコルセットが必要になるので痛し痒しな問題である。
「そういや、イザベルはどうしたんだ? ワシの着替えを担当していたのはアイツだろう」
椅子に座るよう促され、大股で腰掛ける。普段からレディアナの着替えを任されていた侍女長の不在に遅れて気がついた。
「イザベル様なら今朝から買い出しに出かけてますよ」
「買い出しを言い訳に男としっぽりやってたりしてねえのか。あれでも一応は女だし」
「オタクだった私がいうのもなんですが、イザベル様って女っ気ゼロじゃないですか。 そんな事ありえますかね」
自分で口にしておきながら、あの鉄面皮のシリアルキラーが男と睦み合う姿は、まるで想像できない。結婚もしてないようだし浮いた話も聞かない。外でデートと洒落込んでる可能性は限りなくゼロに近いが、ワシが知りたいことは色恋沙汰ではなくて他にある。
「そんな事より、どうしてイザベルは執拗にワシの命を狙うってくるんだ? 昨日の話し合いのなかでも〝できる限り近づくな〟としか言わなかったよな」
「あ〜やっぱり気になりますよね。ぶっちゃけ彼女のことは勝たれるほど私もよくわからないんです」
「わからないって、お前さんざんこのゲームで遊んだことがあるって自慢げに語ってたじゃねえか」
「ありますよ。そりゃあもう朝も夜も忘れるくらいには。だけどイザベルというキャラは謎が多すぎるんです。他のキャラはプロフィールとか攻略に繋がる情報がある程度隠されてるのに、彼女は名前と年齢くらいしか明かされてませんし、攻略の糸口も用意されてないんですよ。なぜレディアナを殺そうとするのか、これまで大勢のプレイヤーや考察班があらゆる角度から謎を解き明かそうと試みましたが、結局謎は謎のまま〝サイコパスキャラ〟として定着したくらいです」
サイコパス……それだと対処のしようがないじゃねえか。相手を思いやる行動とやらも全く通用しない。なにを選択してもバッドエンドの未来しか待ち受けていないことになる。
唯一攻略法が見つかっていない。つまり、リナが指摘した通り極力近づかないことだけが攻略法として採用されているという。ゲームの話ならそれで構わないかもしれないが、あいにくここは現実となんら変わらない。
同じ屋敷にいて関わらないというのは無理がある話だ。廊下を歩いていれば普通に鉢合わせするし、部屋にいても向こうから勝手にやってくる。
イザベル攻略こそが平穏な生活を取り戻す第一歩だと思っていたのだが、どうすりゃいいのか頭を抱えているとリナがなにか思いついたように手のひらを合わせた。嫌な予感しかしないのだが……。
「馬鹿が頭働かせたところで、ろくなアイデアなんて浮かばねえぞ」
「聞く前から馬鹿呼ばわりしないでくださいよ。なにをしても殺されるのであれば、いっそ本人に直撃してどうしてそこまで嫌ってるのか聴いてみたらどうです?」
満を持しての提案に、思わずズッコケそうになった。
「あのな、殺したいほど憎んでる奴に、『なんでそんなに私のこと嫌いなの?』って直接聞くやつがいると思うか? そんなの真っ向から喧嘩売ってるようなもんだろ」
「でも、他に解決の糸口は見つかりませんし、昔から言うじゃないですか。『虎穴に入らずんば虎子を得ず』って」
他人事だとも思って軽々しく口にするリナに苛立ちを覚えたものの、確かに現状のままでは何時殺されてもおかしくない状態であることに変わりはない。それなら、いっそリナが言うようにリスクを取るほうが事態の好転が望めるかも知れない――。
赤いリボンで結ばれていた髪を左右に揺らす。我慢しないで好きにやってみればと励まされてるような気がした。確かに運命を待っているだけというのは、好戦的なワシらしくなかった。ここいらで少し、自分から運命とやらをたぐり寄せるとしようか