41、シングルベッド
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朝が早い彼女の事を思って(酔いが回らない事を諦めてでは断じてない)早々にかたずけてベッドを勧めた。こう見えて実は結構酔ってると言う事はないだろうか? いや、ベッドに入るなり豹変する彼女を期待しているわけではなく、可能性の、あくまで可能性の話。そうなった時、やんわりと断れるように……。
『ダメだよサトちゃん。朝が早いんだから、もう寝ないと』
『でも、だって……体が火照って……眠れない……」
そう言って彼女はパジャマの前をくつろげる。
『触って……だ・い・す・け・く……』
「大輔くん?」
ハッと我に返ると彼女がキョトンとこちらを見ていた。
「な、何?」
だらしない顔を見られただろうか?
「これ大吾の枕、使ってね」
いつの間にか大吾の寝室から拝借して来たらしい枕を渡され、彼女の後について寝室に入る。
ここがサトちゃんの……
ゴクリと喉が鳴る。
「やっぱり狭いかも……」
狭い。今はそれが、なんだか素敵な言葉に聞こえるから不思議だ。
「そう?」
シングルらしいベッドは、枕を二つ並べてみると殆ど余裕が無い。
サトちゃんが肩に掛けていたパーカーを脱いで、紺のボーダーのパジャマ姿になる。
「そんなに狭くないんじゃないかなあ……」
言いながらベッドに先に入り、足を延ばして寝そべる。ああ、ドキドキする。いつもここで彼女が寝ているのか……。
「わ……ギリギリだね。足が出そう。大吾のベッドならセミダブルなんだけど……」
「でも、本人が居ない間にベッドを拝借するのは気が引けるなあ」
「……そうか……」
壁側に詰めて「ちょっと寝てみて」と手招きすると「絶対窮屈だよ」と言いながらベッドによじ登ってくる。
「えと……」
俺が彼女側に広げた腕をチラリと見て一瞬ためらってから、静かに枕に頭を乗せた。伏し目がちの彼女の頬が紅を刷いたように染まる。たまらなくて抱き寄せると一瞬体を硬くしたが、ベッドから落ちない様にか俺の方に体を寄せてくる。うわっ……
「……大丈夫? 寝づらい?」
「……ううん。大輔くんは? 腕、痛くない?」
最高。
「全然」
「なら良いけど……」
きっと彼女は、寝づらいはずだ。いつもここに一人でゆったりと寝ているのだろうから。でも狭いベッドの上、彼女を腕の中に閉じ込めていると、番の動物になった様な気がした。巣穴で身を寄せ合い、互いの体温で互いを温める。
「ふふ、でも狭いね」
「眠れそうにない?」
「ううん。狭いけど……何か安心」
『安心』と言われてしまうと、いよいよ今夜は手を出せないなと思った。
修行僧だ。俺は修行僧。煩悩は捨てよ!
「あ、灯り……」
彼女が枕元のリモコンを操作して、部屋の灯りを消す。
「真っ暗の方が良い?」
常夜灯のオレンジ色が柔らかく彼女の頬を包む。
「サトちゃんは? いつもは?」
「いつもはこの金柑電球のまま」
「きんかんでんきゅう?」
「あ、そか……えとなんて言うんだっけ? 普通は……」
「ナツメ球とか……常夜灯かなあ……」
「ふふ……大吾がね。小さい時に金柑みたいって、ほらあのお節料理のお重とかにも入ってる……」
「ああ……」
「小さい時は真っ暗だと怖がってね。『金柑ちゅけて』って……」
「可愛いな」
「可愛いでしょ?」
『金柑ちゅけて』と言う君自身が可愛い。
リモコンを枕元に置いてコチラを向くと、今度は躊躇することなくするりと俺の腕の中に戻って来た。
煩悩が増す。
でも俺は修行僧。
愛しい人の心臓の音や息遣いを感じながら、切ない夜を過ごすのも贅沢だ。
毎晩この温もりと一緒に眠りたい。それが今や、実現可能な夢となった。何も焦ることは無い。
「そうだ。大吾たちと食事がしたいなあ。月曜日の夜、どうだろう?」
「どっかレストランで?」
「いや、俺の家で。明日、その準備を二人でしたいから、来てよ」
そうすれば明日も明後日も会える。
で、そのまま泊って欲しい。何なら月曜日の夜も……彼女は火曜日は休みだし。
「その時に言うの? 私たちの事とか、父親だってこととか……」
「そうだな。……大吾、許してくれるかな……」
神崎大輔としてなら応援してくれる気があったとしても、不甲斐ない実の父としてならどうだろう? 母親を苦労させた張本人なのだ。
程なく、彼女は静かに寝息を立て始めた。俺が狼に変わるかもしれないとは微塵も疑っていないような、預け切った顔で……。
今日も朝から頑張って働いてきたのだ。疲れているのに酒まで付き合わされて……。
ぎゅっと抱きしめると、顔を俺の胸に擦り付けて「う……ん……」と身じろぎした。
……っ!
危ない危ない。邪な妄想が一瞬頭をよぎった。
深呼吸をして、愛しい寝顔を覗き込んでから額に口づけて、彼女の匂いと柔らかな重みを堪能した。
至福。
今俺は、彼女と同じベッドに寝ている。
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「寝ててね」
明け方、彼女がベッドを出て身支度を始めた。まだ、外は陽が登り切っていない。
寝ぼけ眼で、彼女の横顔を眺める。
ああ、良いなこういうの。朝、ベッドの中に彼女の温もりが残っていて、俺が起きようとすると『寝ててね』とかすれた声で彼女が言う。
そのままベッドの中で、彼女の立てる生活の音を聞く。衣擦れの音。今トイレから出てきた。洗面所かな? 顔を洗っている。寝室に戻って来た。カバンを取りに来たのか。
彼女を捕まえて、ベッドに引きずり込みたい衝動を押さえつけ、自分もベッドを出てキッチンに向かう。
「起きちゃったの?」
「朝ごはんは?」
「いつも向こうで取るの。何か食べる?」
「いや、鍵はどうしよう?」
「あ、そうか、合鍵ないから出る時はこれで締めて」
彼女がカバンから出したキーホルダーを受け取る。
「分かった。夜に店まで迎えに行く」
「ダメ」
「どうして?」
「そんなに頻繁に来たら千奈美に冷やかされるから。仕事が終わったら直接行きます」
「はいはい。じゃ買い物とか済まして待ってます」
玄関に向かう彼女を追いかけキスをねだろうと思ったのに「行ってきます」と振り返った笑顔の可愛さに射抜かれている内に彼女は行ってしまった。
「行ってらっしゃい……」
ゆっくりと締まっていくドアを呆けた顔で眺めながら、壁にもたれて暫く噛み締める。
人って、幸せ過ぎて死んだりはしないだろうか?
さて、働き者の恋人には悪いけれど、もう一寝入りしよう。もったいなくて、夜中に何度も起きてしまった。それにまだ、彼女の温もりを楽しみたい。
嬉々として彼女のベッドに入り、預かった合鍵を枕元に置く。
勝手に合鍵を作ったらそれは犯罪だろうか?
ふと、鍵にぶら下がっているキーホルダーに、見覚えのあるカタチを見つけて再度手に取る。
「これ……」
二羽の小鳥が四葉のクローバーをついばんでいる。
確か俺があげたペンダントについていた……。
胸が一杯になった。
自分が思っているよりも、もしかしたら彼女は俺の事を思っていてくれたのかも知れない。
露店で買った安いアクセサリーは、尻尾の所が少し欠けていた。どこかに仕舞うのではなく、肌身離さず持っていてくれた証拠だ。
ああ、好きだなあ。彼女の事が、どうしようもなく好きだ。
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