40、何もしない
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しまった。面と向かって自分の気持ちを吐露するのが恥ずかしくて、つい『カレー食べてく?』とか言ってしまったけれど。大丈夫? 私ったら大丈夫なの!?
いや、カレーならすぐ食べ終わる。温め直して、簡単にサラダを作って……何しろカレーは飲み物だと言う人もいる位だから。
ところが……
彼を家に上げて、カレーを食べている最中に「やっぱり祝杯を上げたいなあ」と言い出した。
「え?」
「お酒、買ってくる」
「あの……ビール位ならあるけど……い、飲酒運転になっちゃわない?」
「明日は俺休みだし。泊まってく」
「は?」
「心配しなくても何もしない。ケジメの無い事は嫌なんだろ?」
「……、………………、…………」
ケジメの無い事は……と言う断り文句を先に使われて言葉が出てこない。
「一生懸命断る理由を考えてるとこ悪いけど、台所借りるよ。簡単につまみでも作る」
口をパクパクさせている内に彼が立ち上がって冷蔵庫内を物色しだした。
と、と、泊まるって……泊まるって……。
「この辺のハムとか野菜とか使って良い?」
「え? あ、は、……」
「何もしないけど、一緒のベッドで眠りたい」
「え!!」
「ボウルどこ?」
もう! 頭がくらくらする! ハムと野菜とボウルの間に挟んだ言葉の違和感と言ったら……。
それは、何もしない内に入りますか? 二人きり家にいて、同じベッドで眠っておいて、何もしてないって言われても誰も信じないでしょう? いや、誰もそんなの尋ねないかも知れないけど……。
「ボウルは……ここに……」
シンクの上の戸棚を開けて取り出す。
「ありがと。ザルもお願い」
「はい」
「前科があるから信用できないかも知れないけど、ホントに一緒に寝たいだけだから」
「はひ?」
「初めての時も……我慢するって言っといて……」
思い出して顔が燃えた。いま、いまその話をしなくても……
「え、あの……その……」
「あ、サトちゃんは朝が早いから先にお風呂に入っておいで」
「いや、あの……」
「ついでに大吾の下着とか借りて良い? 後で新品のを返すから」
「あの……」
「脱衣所に出しといて、それとも……一緒に入る?」
「お風呂……行ってきます!」
混乱したままダイニングを後にした。あれ? もう決定事項デスカ?
慌ててシャワーを浴びた。
『男なんてね聡美。皆、することしたら冷たいもんよ。する前とした後で人格が違うんだから』
『そうそう。一回したら、もう所有権は俺のもの、とか勘違いするしさ』
高校3年の時の友人たちは、未経験の私にそう説いて聞かせた。
『まあ、私みたいなお子様ランチ、そもそもその気にならないだろうから……』
『聡美ったら私よりも胸デカいくせにそれ、嫌味?』
『大きくない!』
『確かに頭の中はお子様ランチはだけどね』
『何よそれ』
『きゃはははは』
高校卒業間近に初めて行った旅行で、彼はとても優しく私を抱いてくれた。それでもその行為の最中はやっぱり恥ずかしくて仕方がなかった。けれどコトが終わって『大丈夫?』と労わる声と、変わらず大事なものを扱うようなその手に抱き寄せられた時、とても幸せな気持ちになった。真綿でくるまれたような、安心で豊かな気持ち。愛おしむような指で頬を撫でられ、友人たちの話はあくまで一経験談に過ぎないのだと思った。
彼と会えなくなってからも、夜布団に入る時、時折あの温かな寝床を思い出した。不安な夜もあの腕を思い出すと、いつの間にかすんなりと眠りにつくことができた。彼の匂い、温度、大きな手。そんな風に考えることは芙沙子さんに悪いと思い至り、すっかりやめてしまったけれど……。
彼は本当に一緒に眠るだけと言っているのだし、あの腕の中で眠れるのならやっぱり嬉しい。……いや腕に抱いてくれるかどうかは分からないよね。一緒のベッドで寝たいって言っただけだし……。
髪を乾かし、大吾の部屋から下着やパジャマを拝借して脱衣所に置いた。
「ごめんね。新品のないけど……」
「いや、何か嬉しい。大吾が嫌がらなきゃいいけど……。じゃ、俺もさっと浴びてこようかな」
「はい……」
テーブルの上には三品ほどのおつまみが綺麗に盛り付けられていた。
一緒にご飯を作った時も思ったが、女子力が高い!
私……彼と結婚して大丈夫だろうか?
さっきのカレー、彼は美味い美味いと食べてくれたが、本当に普通だった。妻としてのスキルを求められても大変お粗末なのでガッカリされる自信がある。なにしろ店をやり始めてからは家事の手を抜くことも格段に増えた。もしかして……彼は結婚と同時に私に仕事を辞めて欲しいと思っていないだろうか? 社長の妻として、良く分からないが忙しく家を切り盛りしたりとか、つまり内助の功……とか?
せめてもと、仕舞いこんでいたもらいもののグラスを出して洗った。ペーパータオルで拭きながら、現実的な部分をもっと良く考えるべきだと思った。
結婚となるとやはり、二人だけの問題では済まない。
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正直なところ、俺も男なので、何もしないと言っておきながら、彼女が隙を見せたらそこは美味しくいただくつもりだった。しかし残念ながら隙を見せてくれる気は無いようで、酒に酔ってしどけなく弛んだ彼女を期待していた俺はほんの少しだががっかりした。(本当にほんの少しだ)
数杯グラスを干したが、酔った気配も見せない。埒が明かないので……いや、ちょっと酔った彼女を見てみたかったので、アルコール度数を上げる為焼酎に切り替えてみたが、常温のストレートでくぴくぴと美味そうにやる。
「氷とかは入れないの?」
「うん、いも焼酎は常温が好きなの。その方が香りが立つし……」
これは……飲みなれている。
「サトちゃん、お酒強いんだな」
「そう?」
「うん。飲んでもあんまり変わんない感じ……」
いや残念ながら、全く変わらない。
「旅館の先輩に鍛えられたからな……」
「そうなんだ」
「酔って男に手籠めにされるような、だっちもねえ女にはなるな、って」
「だっちもねえ?」
「あ、向こうの方言でどうしようもない、とか下らないとか言う意味」
「へえ……」
先輩……。
それは暗にあれだろうか? 若くして母となってしまった彼女を慮って、これ以上碌でも無い男に食いものにされないようと?
なんかあわよくばと思っていた自分が途端に極悪人に思えてきた。
「あの……本当に一緒に寝るんだよね?」
「……」
伺うように見つめられると、下心がバレそうで目を反らした。
諦めるか?
「狭いと思うんだけど大丈夫かなあ……」
「じゃあ、狭いかどうか後で試してみよう」
「え?」
そうだ、試すだけ。
「何もしないから安心して」
言えば言うほど嘘っぽくなってきているような気がするが。
「うん。それは……大丈夫」
「そうか、俺前科持ちだったな……」
「前科だなんて……そもそも、もうこの年だしね。そんな気にならないでしょ?」
「そうだよ。こんな年だし、ただ添い寝がしたいだけなんだから」
どんな年だ?
「そか、分かった」
すごくホッとした顔で彼女は嬉しそうに笑った。
困った。これで手を出したら、只の嘘吐きになってしまう。
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