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この世界のどこかに  作者: 碇 カマス


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39/56

39、彼女の彼氏

+-+-+-+-+


「サトちゃん、大変だ」

「え?」

「式場が空いてない」

「は?」


それは土曜日の仕事終わりの事だった。


 清算業務を終え、千奈美と二人明日の業務確認をしながらお茶を飲んでいた。


「ねえ、聡美」

「何?」

「サイネリアの花言葉って知ってる?」

「サイネリア? 確か……純愛」


 教えてあげると何故か千奈美が口に含んだばかりのお茶を噴き出した。


「ごめ……ごほっ! ごほっ!」」

「もう、どうしたの?」

「いや、別に……」


 慌ててティッシュで辺りを拭いていると、半分閉じたシャッターの下から窮屈そうに彼が入って来て、慌てたように言ったのだ。


「式場が空いてない」

「は?」


「神崎さん今晩は」

「あ、いきなりすいません千奈美さん。今晩は」

「式場って何の?」

「結婚式場に決まってるでしょ。何言ってんのよ聡美ったら。ねえ、神崎さん?」

「あ、はい」


 千奈美の言葉に彼が頬を緩める。


「念のため、あちこち当たってみたんだけど、3カ月先まで埋まってる」

「……ええと……大吾からはまだ連絡ないんだけど……」


 金曜日の夜、大吾から来たメールの内容を彼に伝えた。心配した彼がその後何度かメールをくれたが、今のところ連絡はない。


 一晩帰ってこなかったので、


>上手く行ったか、はたまた振られて世を儚んで遁走したかのどちらかだと思う。


 と朝、出勤前にメールしたのだが……。


「遁走するなら、流石に一報を入れるんじゃないか? メールとか電話とかしてみた?」

「してない」

「何で?」

「……もし、もしだけど……上手く行ってたら……激しくお邪魔じゃない?」

「へえ、聡美でもそういうこと考えるんだ。以外」


 私だって心配だけど、大吾も良い年した大人だし、友田先生に子離れできない母親だとか思われたくない。


「いや、揉めてる最中だとしても、母親から電話とかちょっとゲンナリするでしょ?」

「……するかもね」

「でも、大吾が友田くんと上手く行ってたとしたら、早々に準備しなくちゃと思って……」

「半年先でも全く問題ないと思うけど……」

「ええ!? 上手く行ったら、すぐにでも許可をもらって結婚したい!」

「……だ、大輔くん……」


 ああああ、千奈美が笑いをかみ殺すのに必死だ。私たちのことを千奈美に話したと言ってからこっち、彼は千奈美の前でも平気でこういう話をする。 


 視線が痛い。


「神崎さん、お茶どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

「ここ、座って下さいね」

「すいません。じゃあお言葉に甘えて」


 千奈美がにやにや笑いながらわざと私のすぐ隣に椅子を置く。


 近い。小さな丸椅子に座る彼の大きな体はサーカスの熊を連想させる。


 大きな手が、膝の上にあった私の手を捉えた。


「!」


 そのまま指を絡められて握られる。カウンターの向こう側にいる千奈美からは見えないと思うが困る。心臓がうるさい。


「お茶菓子でも買って来ればよかったですね」

「いえいえお気遣いなく」


 私の手の甲をすりすりと親指で撫でながら、彼は平気な顔で千奈美と話している。


 彼の横顔をそろりと見上げるとウィンクされた。


「……」


 てかアイドルか!


 手を引っ込めようとしたらぎゅっと握られ耳元で小さく「めっ!」と囁かれた。


 途端に千奈美が口元を手で覆って目を反らした。そうよね。見てられないわよね。


 ああ、穴があったら入りたい。


「ん? 何か鳴ってない?」


 メールの着信音だ。ジーンズのポケットから取り出すと大吾からのメールだった。


「お」


>今日も理恵ん家に泊まる。


「大吾?」

「うん……」


 携帯の画面を見せると、彼と千奈美が「おおー」と声を合わせる。


 今日も、って昨日も泊ったわけね。連絡しなさいよバカ息子。


「上手く行ったってことよね」

「そうかな? 強引に居座ってるってことはないかな?」

「じゃあ、上手く行ったのかって聞いてみなさいよ」

「うん」


>仲直りしたの?


 と送信するとすぐ返信があった。


>(*´ω`*)


 恥ずかしい奴。


「良かったな。サトちゃん」

「う、うん」

「良かったですね。神崎さん」

「ありがとう!!」


 なんだその堅い握手は。


「ああーっ、いつ言おう。いつが良い?」

「え?何が?」

「大吾に俺たちの事、それから……」


 あ、そうか父親だってこと。なんかそれを考えると緊張する。


「聡美、もう上がって良いわよ。帰って二人でゆーっくり相談したら? 今夜も大吾君は帰ってこないんだし、ね」


 そして何だ、その意味深な目は。


「明日も早いんだからそんなゆっくり相談してる時間なんてないわよ」

「明日は神崎邸からご出勤かな?」

「千奈美!」

「早く帰んなさいよ、ラブラブカップル。暑苦しいのよ」

「……っく。ち、千奈美の方こそ今日、私が配達から戻った時二人で何してたのよ!」

「え?」

「店に入って行ったら、慌てて離れたでしょ?」


 達郎さんがあんなに素早く動くのを初めて見た。千奈美が慌てて胸元をかき合わせたような気もする。すぐに常連のお客様が来て、世間話に花を咲かせている間に失念していた。


 何してたの!?


「え? あ、あれは、目……目にゴミが入ったって言うから……」


 目にゴミ? また古典的なとぼけ方を……。


「ふーん。草食系の見本みたいな人だと思ってたのに……達郎さんて……神聖な職場をなんだと思ってるのかしら」

「か、帰りなさいよ。私もそろそろゆうを迎えに行かなきゃだしっ!」

「言われなくても帰るわよ。お疲れ様!」

「お疲れ様!」


 お互い羞恥に耐えかねて、ぞんざいな挨拶でその場をごまかした。


「良いなあ」


 店を出たところで、後ろからそんな声が漏れ聞こえた。


「え?」

「職場が隣って羨ましい。そんな風に隙あらばイチャイチャできるのも……」

「て言うかダメでしょ? いつお客様が来るかもわからないのに……どんな店なんだ、ってなるじゃない」


 私が最初に帰って来たから良いものの、ホントにタッチの差だった。


「でも羨ましい」

「それと、大輔くん。千奈美のいるところでああいう事言うのはやめて」

「ああいうことって?」


 言いながらきゅっと背中から抱きしめられた。


「だだだだ大輔くんっ!」

「何?」

「こういう事も!」


 どうして伝わんないの!?


「こんな往来で、こういうの良くないよ。ほら、向かいの喫茶店からも、洋品店からもまる見えだし……木下書店さんもまだ営業中だし……あそこの花屋は客と何をやってんだって思われる!」

「成程……」

「それに、千奈美の前でも臆面もなく結婚したいとか手を握ったりとか……」


 いたたまれない。


「じゃあ、人のいないところでならイチャイチャしてくれる?」

「あの……それは……また……あの……」


 言い淀んでいるとまた抱きしめられた。


「大輔くんてば!」

「意地悪だなあ、サトちゃんは」

「え?」

「ここで叫ぼうか?」

「はい?」

「俺と彼女は恋人同士なんです、って。只の客とお店の人じゃないんですって」

「やめて……」


 ホントにやめて。


「やっぱ俺ばっか好きなのかなあ……」

「そんなことは……」

「そんなことは?」

「あ、もう遅いから帰らなきゃ! 洗濯ものためちゃってるし!」

「分かった分かった。送ってく」


 ジタバタしていると手首を掴まれて駐車場まで連行された。


 助手席側に回ろうとすると彼が振り返って、いたずらっ子の様に笑った。


「ココなら人目がないから、良いね?」

「え?」


 一応辺りを確認してから彼は子供の様に両手を振り上げて叫んだ。


「やったー!」


 ええええ!? 近所迷惑!


「ど、どうし……」

「サトちゃん! 大吾と友田くんが上手く行ったんだぞ!」

「え? あ、うん……」

 

 彼が目で訴えるのでおずおずとハイタッチすると、その手を下ろす間もなく頬を彼の両手に挟まれ、音をたてて顔中にキスされた。


「わわ……だい……ま……ちょ……」


 眼を白黒させていると急に静かになり、私の唇に彼の吐息を感じて慌てて目をつぶった……ところに車のエンジン音が聞こえてきて、コントみたいに彼を突き飛ばしてしまった。


 どんっ!


 ああ、ごめんなさい……。


「だだ、大丈夫? 痛かった?」

「……サトちゃん、もしかして俺の事キライ?」


 背中を自分の車に打ち付けた彼が、態勢を立て直しながら言う。


「違う。違う違う! 今、駐車場に車が……」

「それは分かってるけど……」


 唇を尖らして彼が助手席側のドアを開けた。


「外だとやっぱりこういうことになるでしょ……」


 車に乗り込みながら、不可抗力だとアピールする。


「……でも明日も早いから、俺は家に上げてもらえないんだろ?」


 運転席に座るとすねたようにそう言い、私の方のシートベルトを慣れた手つきで引き出す。


 てか、ドキドキする。そんな間近でジッと見詰めないで欲しい。早くカチャってして離れてよ。そのシートベルトの装着部分っ。


「む……息子が帰ってこないからって、早速彼氏を家に上げるとか……母親としてどう?」


 大輔くんの家でご飯を一緒に作っている時もドキドキしっぱなしなのに、何の用事もなく二人で家でイチャイチャとか、心臓がどうにかなりそうだ。やっと大輔くんが人の夫じゃないことに慣れてきたところだ。もう少し、二人が付き合っていると言う事に免疫を付けてからにして欲しい。どうして彼はこんなに平気そうなのだろう? 離れていた時間が無かったように、距離を詰めてくる。


「母親としてどうか分からないけど……彼氏って言ってもらって嬉しいから許す」


 そう言って微笑まれるときゅーんと胸が鳴った。ああ、もうこの人は不用意にそんな顔をして……。


 カチャ。


 ああ、やっと離れてくれた。


「晩御飯は? 買い物して帰る?」

「昨日作ったカレーがあるから大丈夫」

「……それ、俺の分はないのかなあ?」


 そりゃああるけど……。何しろ昨日は息子が帰ってこなかったワケだから。


「市販のカレールーで作った、普通のカレーだよ? ごく普通の」

「食べたいなあ。大江家のごく普通のカレー」


 車を発進させつつ、チラリとこちらを見る。


「……」

「俺の事、危険人物か何かだと思ってない?」

「え?」

「俺の家に来た時もやたらと距離を取ろうとするよね?」


 それはアナタがさっきみたいにイキナリ抱きしめてきたりするからでしょ。


「サトちゃんはもしかして、俺と義務で結婚しようとしてる?」

「え?」

「大吾の父親だから……仕方なく」

「そんなワケ無いでしょ」

「じゃあ、なんで結婚するの? 」


 何でって……。


「結婚しようって言ってくれたから……」

「……その答えだと、誰でも良いみたい」

「え?」

「求婚されたら誰とでも結婚するのか?」

「しませんよ。…なたとじゃなきゃ……」

「え? 何て言った? 聞こえなかった。こっち見てちゃんと言って」

「……カレー……食べてく?」


 そう言って目を反らすと「サトちゃんはズルいなあ」と言って頬をつねられた。



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