真朱 再び黒い森へ
真朱は、烏羽たちにひきつられて王宮に戻った。
これからどうすればいいのか、わからないでいた。黒い森へ入れば、サビが消えるか、発病するかのどちらかだと思っていたからだ。しかし、このままではいけないことはわかっていた。
オリーブは、真朱が黙って抜け出したことにショックを受けていた。そのことに対して一言も言わなかったが、真朱にはその心がわかっていた。
オリーブにはすべて打ち明けようと思った。オリーブの手助けが必要だった。一人では限度がある。
誰も巻き込みたくはなかったが、もし、再び真朱がいなくなったとしたら、今度こそオリーブは真朱を見つけるまでずっと捜し歩くだろう。それか自らの命を絶つかもしれなかった。そのくらい思いつめていた。
オリーブにサビのこと、そしてここへ戻らない覚悟までしていたことを打ち明けると、心が楽になった。オリーブは、ずっと泣いていた。真朱が王にも言えなかったことを打ち明けてくれたことに感激し、その真朱の運命を狂わせたサビにも泣いた。すぐそこに見えていた輝かしい未来が突然、終わりを告げることになった。そんな運命に涙していた。
真朱はさっきまで同じような気持ちでいたが、目の前で泣かれると返って平静を保てる。
「そんなに泣くでない。わらわの心は落ち着いている。今までの人生、もう十分幸せだったのだ。これからのことを考えようと思う」
「そのようなことを申されましては・・・・このオリーブ、この身に変えてもなにか解決する糸口を探してまいります」
「よい。もう覚悟はできているのじゃ」
オリーブは食い下がった。
「王にご相談なされたらいかがでしょうか」
「いや、王には言えぬ。我らはエンパス。赤の国の女王が、王婿に嫉妬した。それがきっかけで発病した。シアン様の感情が、もし乱れたら、すぐさまわらわにも伝わる。そして・・・・。もし、シアン様までサビにやられたら、この国は誰も治すものがいなくなるのだ」
オリーブは絶句していた。
病気が蔓延した国で、王も感染し、死亡したら、その国はもう復興できないだろう。それは真朱だけの問題ではなかった。国全体の問題に繋がっている。そして、その流行病は他の国にも飛び火するに違いない。
「よいな、今はこのサビをどうするかだ。このまま死んでも魂がサビを覚えている。次の王妃がまたそれを抱えることになる。だから、黒い森の診療所で隔離してもらい、そこで一生を過ごす」
オリーブは、淡々と他人事のように言う真朱の言葉に、再び涙していた。
朝になれば、シアンが来るかもしれないと思っていた。
夜が明ける前に、再び王宮を出る準備をしていた。ここを抜け出ればそれでいい。黒い森はすぐ近くにあるから。
オリーブが下女の洋服を手に入れてきた。足首が見えるかわいらしいスカート丈、ブーツを履く。スカーフで顔を覆えば、真朱とはわからない。
夜も明けない早朝、皆が忙しそうに働いている厨房に入り、誰にも顔を見られないようにオリーブ共々、外へでた。
オリーブは顔見知りの御者に頼み、馬車を出してもらっていた。それに乗り込むとようやく緊張がほぐれる。オリーブも同じなのだろう。深い息を吐いた。
「真朱さま、この御者が耳寄りな情報を知っておりました。その近くまで行ってくれるそうです」
真朱は眉をひそめる。
チラリと見た御者はかなり年寄りだ。いつも王宮の侍女たち、下官などの送迎をしている男だった。
オリーブがこの御者から聞いた情報によると、昔、黒い森にはどんな難病でも治せる守り役がいたらしい。サビの流行病も治したそうだ。しかし、その守り役は、法度とされる報酬を得ていた。この国では守り役は、人の病気、怪我を治すことにお金を取ってはならないと決められていた。人を癒すことに、金などの目的があったらその癒しに《欲》という邪なものが伝わるからだ。その代り、守り役はその経験により、それに見合った待遇を受けているはずだった。
この守り役は金ばかりか、町の有力者たちと手を組んで、甘い汁を吸い、その名を広めていたという。
「その者のすごいところは、金さえ積めば、絶対にその依頼人の命を救ったそうです」
オリーブはそう言って、ゴクリと喉を鳴らした。
「例え、他の者が犠牲になったとしても・・・・・・」
その言葉の意味を考えて、全身に悪寒が走った。
「それはどういうことか」
「以前、幼い子供の命と引き換えに、自分の命を投げ売った母親がいるそうです。子供は頭にひどい怪我をしていて、ほとんど虫の息だったらしいのです。しかし、翌朝、子供は生き返り、母親が亡くなりました」
真朱は耳を疑った。そんなことがあり得るのか。許されるのか。
「それからは闇の守り役と呼ばれ、次々と瀕死の者が生き返ったそうです。でも、まだ身内が身代わりになるうちはよかったのですが、貧乏人の子供が売られ、無理やりその命と交換する金持ちまで現れ、当時はかなりの問題となったそうです」
「それでは・・・・王が黙ってはいないだろう」
そう、確かに聞いたことがあった。昔の文献には詳しいことは書かれてはいない。しかし、王宮から追放された守り役がいるということを読んだことがある。その者は王に反発し、危うく戦争になりかけた。そしてその者はどこかに封印されたとも。
「もし、その者を探し出せれば、真朱さまのことも治せるかと存じます」
真朱は目を剥いた。その言葉の意味には恐ろしいものが隠されている。
一つは王が封じた封印を解く、そして自分が助かりたいがために、誰かの命を盗るということだ。
「たわけたことを申すなっ。このわらわが人の命と引き換えにすると思うかっ。見損なうでないぞっ」
声を荒げていた。
しかし、オリーブは落ち着いていて、さらりと言った。
「いえ、真朱さまは救うのでございます」
「なにっ、救う? どういうことだ」
「このオリーブは、もし真朱さまになにかございましたら、生きてはいられません。それならば、この命、真朱さまに捧げたいと存じます」
真朱はオリーブを見た。
その顔は今までに見たことがないくらい、誇りに満ちた表情だった。
「真朱さま、オリーブの心は変えられません。もし、真朱さまがここへ行くことを拒否するなら、わたくしはこの場で命を絶ちます」
そう言って、懐からナイフをちらつかせた。
「バカなっ」
「何と言われようとかまいませぬ。この私のやりたいようにさせていただきます」
狂気が見えていた。
「封印された者など、見つかるはずがない」
「それでもいいのです。真朱さまのためにやるだけのことをやりたいのです」
真朱には何も言えなかった。生まれた時から真朱についてきたオリーブ。人生を捧げてくれているのも同然だった。忠誠を誓う騎士のようだった。
正常心を失うのは無理ないかもしれない。真朱の輝かしい未来は、オリーブにとって、自分自身だったのだろう。
とりあえず、オリーブのやりたいようにさせてみようと思った。それがせめてもの恩返しになるのであれば、そして適当な時に守り役のところへ駈け込めばいい。
二人は馬車を降り、黒い森に入った。最も磁場の高い場所に闇の守り役は封じ込められているということだった。
二日間歩いた。そしてついに、あの封印された洞穴を見つけるのである。




