レジェンド
そんな幸せな生活の中、時は止ることなく無情にもその一刻、一刻を刻んでいく。
シアン王がキャンベルリバーのシトリン宮殿で過ごす時は真朱も同行している。新月から満月までを過ごすので、瑠璃もその間、家から宮殿へ通うことができる。紫黒もできるだけ帰るようにしていた。
そのうちに真朱も、瑠璃たちの家を訪れるようになった。なにしろ、隣の家は実家なのだ。もちろん、その時は護衛がつく。
真朱は地元育ちだけあって馬も乗りこなし、牛から乳を搾取し、クリームにわけてバターを作ることも当然のことのようにやる。瑠璃が昨年一年間、一生懸命に教えてもらったことを全部知っていた。紅桔梗のようにパンを上手に焼くのだった。幼い頃から、オリーブの目を盗んで手伝ってきた成果だという。
瑠璃の目の前にいる真朱は、今まで銀朱に飼われていたあの頃とは別人のように生き生きしていた。料理以外にも刺繍をたしなみ、パワーストーンを使ったアクセサリーを作って楽しむ積極的なティーンエイジャーだった。
そんな平和な日々が半年続いた。
その日は夕方から客を招待し、瑠璃と真朱で夕食会を開く予定でいた。瑠璃たちは朝から菜園の葉を取り、掃除もして忙しくしていた。
招待客は言わずと知れた面々だった。シアン王、紫黒、烏羽、その妻、白藍だ。
瑠璃と真朱の合作料理だから、瑠璃がパスタを作り、真朱がハーブをふんだんに入れたフォッカチア(ハーブやオリーブなどを練りこんで焼いた平たいパン)を焼く。
もうすぐ半年がたとうとしていた。だから、瑠璃は心落ち着かない日々を過ごしていた。真朱のことが心配なのだ。しかし、見る限りでは健康上も変わりなく、元気に過ごしていた。こんなふうに明るく笑っている真朱が突然いなくなるということが考えられないのだ。
「瑠璃、何をぼうっとしている。あと少しで皆が来る。来たらすぐに出せるようにしておかないと、ハラ減ったとうるさいぞ」
真朱の口から、腹減ったという言葉が出たからおかしくなり、くすっと笑う。
「真朱さまったら、腹減っただなんて」
真朱は平気な顔で、野菜を刻む手をとめない。
「そなたの口の悪い夫の真似をしたまでのこと。あの者が一番味にうるさいし、大騒ぎをする」
「あ、紫黒くん。すみません。いつも文句が多くて」
前回は、真朱の作ったピザに文句をつけていた紫黒だった。ピザソースをもっと工夫した方がいい、いろいろな種類のチーズを使えと言ってきた。
「でも真朱さまも負けておられませんでした。言い返してましたよね」
「ん、わらわもあれは腹が立った。けれど後で反省したのだ。紫黒殿は本当のことを指摘してくれた。わらわも後で食べて、言われた通りだと実感したのだ。紫黒殿の言う通りにすればもっとおいしくなるであろうな」
瑠璃が安心した表情になった。
「それならよかった。そう紫黒くんに伝えておきます」
「いや、言うな。それを言ったら、わらわが負けたような気になる。次回はその忠告を参考にその上をいくものを作って驚かせてやる」
頼もしい真朱だった。
瑠璃が大鍋で湯を沸かしていた。皆が到着したらパスタを入れるつもりだ。ソースはもう準備ができていた。真朱も石のオーブンからいい匂いのするフォッカチアを取り出していた。
瑠璃は流しへいき、サラダ菜の水が切れているかどうか確かめて一振りし、ボウルに移す。
そんな時、瑠璃の背で真朱がぽつりと言った。
「瑠璃、ありがとう。そなたには感謝している。王のために料理ができる日が来るとは夢にも思わなかった。お側にいられるだけでもうれしいのに。今ほど女人に生まれてきたことを幸せに思ったことはない」
いきなりそう言われて手が止まる。
「いえ、そんなこと」
「瑠璃、王を頼むぞ。紫黒殿と一緒に守ってほしい」
その言葉になぜか憂いを含んでいると感じた。それはまるでお別れの言葉のようだったから。
真朱を振り返ると、ちょうど切り分けたフォッカチアをダイニングルームのテーブルに持って行く後姿だった。その表情までは読み取れなかった。
しかし、すぐに真朱が台所に顔を出した。
「きた。準備を」
真朱が目を輝かせて言った。腹を空かせた客たちが到着したのだ。我に返った瑠璃はすぐに沸き立っている鍋にパスタを入れる。
ふと目を上げると、もうそこにはシアンが立っていた。王は距離を跳ぶことができるから、玄関から入ってこなかったと見える。
「招待、どうもありがとう。皆で飲もうと思ってワインを持ってきた」
シアンがワインの瓶を瑠璃に差し出した。
「あ、シアン様。お早いお着きでございます」
真朱もシアンを見て、顔がほころぶ。
「ん、よい匂いだ」
真朱が玄関先でドアを開ける。シアンはその後ろに立って、馬車で駆けつけてきた紫黒達を出迎えた。
紫黒は家に入ってくるなり叫んだ。
「ああ、腹減った。メシ」
その途端、真朱と瑠璃が吹きだした。
「紫黒殿はいつも第一声がそれじゃ。もう挨拶としか受け取れぬ」
「あ、いえ。失礼いたしました。王妃さま、本日は誠にご機嫌、麗しくないようで、わたくしとしては遺憾にございます。来ていきなり、やりこめられたわたくしとしては・・・・・・」
紫黒が急に改まって、皮肉な挨拶をしていた。
「わかった、もうよい。さあ、中に、と言ってもここは紫黒たちの家。わらわが言うのもおかしいのう」
烏羽、白藍も台所にいる瑠璃に顔を見せてくれた。二人とも変わりない様子。
瑠璃はパスタを茹でながら、いつもよりはしゃいでいる真朱の声を聞いていた。
パスタが茹で上がり、既に作ってあるソースに絡める。肉が苦手なシアン王のために、シーフードがふんだんに入ったトマトソースベースだった。料理の盛り付けは高さだということなので、中央が盛り上がるように工夫した。白藍がそれを運んでくれる。
夕食が始まった。皆がワインを片手にしゃべり、それぞれ口々に料理を褒めた。辛辣な料理評論家の紫黒も特に言うことはないらしい。お変わりはあるのかとそっと聞いてきた。真朱の焼いたフォッカチアもおいしかった。オリーブオイルとバルサミコ酢につけて食べる。
楽しいひと時だった。
紫黒が卓上のオリーブに手を出し、その拍子にワインを少しこぼしたから、瑠璃はフキンでそれをぬぐっていた。
真朱が立ち上がり、中央に置かれたワインボトルを手にした。紫黒のグラスにこぼした分だけを注ぎ足そうと思ったのだろう。
その時、真朱がめまいを起こしたかのようによろめいた。
「あ」
すぐさま、隣に座っていたシアンが抱き留める。
「大丈夫か。全然飲んでいない真朱が酔ったか」
真朱が、そんなシアンの戯れごとに微笑んでボトルを置いた。
「はい、そのようです。なんだか、少し眠くなりました」
そう真朱が言った。そしてはにかんだ笑みを見せた。
瑠璃はその、真朱の笑顔を見た。そして再びテーブルに視線を戻した。紫黒のこぼしたワインの痕を拭き終わる。
「真朱っ」
シアンが叫んだ。
その声に、瑠璃は顔を上げた。そう、そこには真朱が立っているはずだった。しかし、シアンの腕の中にはその姿はなかった。
真朱は、シアンが支えたその手の中で消えていた。真っ青になった。
消えた? 真朱が消えた・・・・。
床にはさっきまで真朱が見につけていた衣類が落ちていた。その真朱だけが消えたのだ。
「そんな・・・・・・あまりにも突然すぎる」
瑠璃はへなへなと力が抜けて、床に座り込んでいた。そして、床の真朱の衣類に触れた。まだ肌の温かみが残っていた。
そう、さっきまでここにいたのだ。これを着て、シアンの隣に座り、笑顔を向けていたのだ。それが突然、消えてしまった。
「私・・・・さようならって言ってないよ。まだ、お別れを言ってない」
ボロボロと涙があふれてくる。
「ちゃんとお礼も言ってなかったんだよ。なんでこんなに急にいなくなっちゃうの。真朱ちゃん」
涙がどっと溢れ、何も言えなくなっている。しゃくり上げ、肩が震えた。紫黒がそんな瑠璃を抱きしめてくれた。烏羽たちも突然の真朱の死に、戸惑い、悲しみに暮れていた。
この日がくることはわかっていた。それもそう遠くないことを。しかし、こんな状態で突然、消えてしまうとは思ってもみなかったのだ。
「瑠璃、そう悲しむな。王妃の水晶玉の力が尽きたのだ。そんなに泣くと真朱が瑠璃のことを心配してここを離れられなくなる」
シアンがやさしい声で言う。
「でも、シアン様」
「真朱は瑠璃のおかげで最期に王妃として過ごすことができた。毎日が楽しいと言っていた」
涙が飛び散るほどに瑠璃は首を振る。
「私の方こそ、真朱さまには助けてもらったんです。本当に私の方がもっともっとお礼をいわなきゃいけなかったのに」
「真朱はわかっている。充分伝わっていたよ」
シアンはそう慰めてくれた。
真朱がこの世を去った。シアンの予告通り半年間生きた。その最期は王妃の水晶玉の光が尽きるかのように消えていった。国葬として弔われた。お棺の中には最期まで来ていた衣服と手掛けていた刺繍の布が入れられた。
真朱は、精一杯生きた。
瑠璃はそう、自分に言い聞かせている。しかし、昨日まで居室に座り、笑顔を見せていた真朱はもういないと思うと瑠璃はまた涙していた。真朱という女性はもういない。
真朱がいなくなり、瑠璃は後宮にいる必要がなくなっていた。キャンベルリバーの家に戻ることになった。紫黒は王についているから毎日帰っては来ないが、なるべく戻ってくるようにしてくれた。
瑠璃は大体一人で家の掃除をして、家畜の世話、菜園の手入れをして過ごした。
何かしていないと真朱のことを考えてしまうからだ。今まで振り向けばそこにいた人がいなくなった空虚感は何ともいえない。いつかはそれを乗り越えなくてはいけないとわかっていてもその胸は痛かった。
瑠璃はシアンのことも考える。シアンもそう長くはないと自らそう告げている。真朱を失った悲しみを再び味わうのかと思うとそれも恐ろしくてたまらなかった。
そんな時、真朱の母、紅桔梗が言った。
「瑠璃さん、私達はまだこの世に生きている。前を向いて歩きましょう。真朱様のことを振り返るのはいつでもできるのです。だから、とりあえず前に進みましょうよ。真朱様もそう望んでおられると思います」
紅桔梗のその言葉は、瑠璃の心に終止符を打ち、前向きに考えられるようになった。やっと空を仰ぐことができた。
それから数か月が過ぎた。
シアンが起きられなくなっていた。長時間起きていると胸が苦しくなるという。政も横になって行っていた。三人の守り役が常に側にいた。
「孫のようなシアン王まで看取ることになるとは、長生きをしていいのか悪いのか」
「まったくじゃ。こんな老いぼれにこのような大役を強いるとは」
「しかし、先に逝っても心配で、後ろ髪引かれる思いになろう」
三人は代わる代わるそんなことを口にしていた。
ある夜、紫黒と瑠璃がシアンの寝室に呼ばれた。最期の別れだった。
二人が入室すると、三人の守り役が遠慮して、部屋から出ようとしていた。しかし、シアン王はそれをとめる。
「よい、三人にもここにいてもらいたい。それと烏羽も呼んでほしい」
烏羽はすぐ外の廊下にいた。神妙な面持ちで入ってくる。
「皆の者。よく聞いてほしい。わたしは今から転生することを宣言する」
守り役たちが膝まづく。烏羽と紫黒も同じ体制をとった。瑠璃も慌てて床に膝をついた。
シアンがもうすぐこの世を去る。王は自分の転生するところ、生まれ変わった自分を産む両親をを知っている。それを今から発表し、産まれたらその子と両親を王宮内に保護することになるのだ。
「紫黒、瑠璃、おめでとう。瑠璃の中に新たなる命が授かっている」
「ええっ」
紫黒が大声を上げた。
「え、まさか」
瑠璃は、昨日あたりからもしかすると妊娠しているかもしれないと気づいていた。来るべきものが遅れているし、胸のあたりがちくちくしたり、眠かったりするのだ。まだ、診療所へ行って確認していないから誰にも言わないでいた。
「そうなのか」
紫黒が瑠璃に聞いた。
「うん、まだ確かじゃないけどね。たぶん、そうだと思う」
紫黒が破顔した。
「まじでっ。シアン、それは男か女か、シアンにはわかるんだろっ」
紫黒はまるでシアンが占い師のような口調で尋ねた。
シアンはにっこり笑う。
「もちろん、男の子だ。それもものすごくかわいい利発な子になる」
それを聞いた紫黒はヒャッホ~と小躍りしそうなテンションだった。
瑠璃はもう少し冷静だった。なぜ王は、このタイミングでそんなことを言うのだろうか。もしかしてもしかするかもしれないと、考えていた。
「わたしはもうすぐこの世を去るが、瑠璃のお腹の中にいる子供として転生する」
シアンがそう言った。そのとたん、紫黒の動作が凍結していた。
「今、なんてった? おい、まさかだろっ。シアン、冗談だよな。オレの子供に転生しようっていうのか」
シアンは紫黒の反応がおかしいのだろう。くすくす笑って肯定した。
「そう、紫黒の息子に生まれ変わる。よろしく、お父上さま」
紫黒は絶句していた。
瑠璃も驚いていたが、すぐにそれを受け止める。お腹の子供に王の魂が入るのだ。こんなに光栄なことはないと思った。
「いいじゃない。紫黒くん、またシアン様と喧嘩ができるよ」
「そうじゃねえだろっ。息子だぞ、息子がシアンか。威張れねえじゃねえか」
紫黒が瑠璃に食ってかかる。
「紫黒くん、子供に威張るつもりだったの?」
瑠璃が呆れて言った。
「あたりまえだ。息子にしか威張れないからな」
「今だって充分、威張っているだろうが」
と守り役の一人が毒づいた。
「紫黒と瑠璃の元に生まれてきたいのだ」
そうシアンがいうと紫黒の顔が引き締まった。
「我らの子供として生まれてきていただけること、光栄に思います」
そう紫黒はいい、頭を下げる。瑠璃も一緒に頭を下げた。
「皆の者。この二人がわたしの転生の両親となる。どうぞ、よろしく頼む」
三人の守り役たちと烏羽が頭を下げた。
去りゆく命と新しい命、この世はそれを繰り返している。そして新たなる未来とレジェンドが作られていく。
完
魂は両親を選んで生まれてくるそうです。そしてその魂がいつ、胎児の中に入るかは決まっていないそうです。早い段階でもう入り込む場合もあれば、産まれる寸前まで待つ魂もあるそうです。
これで蒼きレジェンド・パラドックスは完結しました。ここまで読んでいただけてうれしく思います。どうもありがとうございました。