124回目 笛を吹く人
ガチャチャチャ、ガチャチャチャ。ゴトッ。 パカ
市役所の古い体育館では、毎週末になると地域リーグのバスケットボールの試合が行われています。
バッシュが床を擦る鋭い音が響く中、選手たちと共に絶えずコートを走り回る男がいました。審判の滝沢です。
どれほど試合が白熱しようとも、彼の表情が変わることはありません。流れる汗を拭いながら、誰よりも冷静に状況を見つめ、的確な位置へと身を運びます。
そして、良いジャッジを重ねれば重ねるほど、彼の存在は選手にも観客にも意識されなくなります。それが審判という仕事の宿命だと、滝沢はよく知っていました。
以前、試合後に血気盛んな若い選手から文句を言われたことがありました。
「滝沢さん、今日の判定、ちょっと厳しすぎじゃないですか?」
滝沢は軽く笑って、こう答えました。
「厳しいかどうかではありません。ルールに対して正しいかどうかです」
選手は不満げに肩をすくめて去っていきました。そんなやり取りは珍しくありません。どれだけ正確に裁いても今日のジャッジよかったな、と褒められることはなく、たった一度の見落としがあれば怒号が飛ぶ。正確さは忘れられ、ミスだけが記憶されるのが審判の世界です。
その日の試合は激しいものでした。終盤、ゴール下での激しいリバウンド争いから選手同士がもつれて倒れ込み、一触即発の空気が流れます。
滝沢は瞬時に鋭い笛を吹き、胸ぐらを掴みかかろうとした両者の間にすっと入り込みました。荒れた呼吸のまま睨み合う選手たちに、短く、しかし揺るぎない声で告げます。
「ここは戦う場所であって、争う場所ではありません」
その静かで重みのある一言に、選手たちはハッと息をのみ、張り詰めた空気は嘘のように落ち着いたのでした。けれども、その瞬間の滝沢の判断をファインプレーと呼ぶ者はいません。
試合はその後、最後まで大きな混乱なく終わりました。ただ試合が無事に終わっただけ、滝沢はそれで十分だと思っていました。
体育館を出ようとしたとき、背後から控えめな声が届きました。
「滝沢さん。今日……助かりました」
振り返ると、以前、判定が厳しいと文句を言ってきた、あの若い選手が立っていました。今日、ゴール下で相手を睨みつけていた選手です。
「あのままだと、たぶん自分、完全にキレてました。ちゃんと試合に戻れたのは、滝沢さんのおかげです」
滝沢は少し驚き、そして静かに笑いました。
「気づいてくれる人がいるなら、それで十分ですよ」
選手は照れくさそうに深く頭を下げ、街灯が照らす道を走り去っていきました。
滝沢は夜風の中、ポケットの中の笛を力強く握りしめながら歩き出します。
誰にも気づかれない仕事でも、その一瞬が、誰かの未来を守ることがある。その確かな誇りを胸に、彼はまた次の週末のコートへ向かうのです。
おわり
※タイトルだけみるとフルートみたいでしょう?




