#27 テンセイ
気づくと、ドクドクと、あちしは生きていた。
遠い昔の、どこともわからぬ水の星。あちしは海洋植物だ。感覚も何もかも、ほとんどが無。
とにかく赤い太陽に照らされながら、微生物があちこちといる場所。
理由もわからずあちしはそのうちの微生物の一匹だった。
ふわふわと、分裂しては死に、分裂しては死に。
数字では表せない程の回数の、生死を繰りかえした。
でも確かなのは、生きているという実感だけはあった。
何億年たっただろうか。その惑星にはいつしか地表が出来ていた。
植物が芽生え、あちしは無数の兄弟の中の1匹の昆虫に生まれ変わった。
そこでも数字で表せない程の回数の、生死を繰り返し繰り返し、繰り返した。何も考えていない。
豊かな植物を喰らい、時には同胞を喰らい、同胞に喰らわれ続けた。でも、辛くはなかった。
だって、何も感情など無かったんだもの。
巨大昆虫に生まれ変わった。小さいものを食える時に食えるだけ食える奴を食いに食った。
無数の子宝に恵まれ、やがて多くの巨大昆虫が生息するようになり、5,6回だろうか、同じ種として生まれ変わった。
しかし、次第にエサが無くなくなってきた。ここで大きく変わったのは、知性が芽生えたことだ。
その種の最後、もう生きる気力もなくなってきた頃、「まだ生きたい」と言わんばかりにもがく同胞に、虫生にももう、飽き飽きして、空腹もどうでも良くなったので巣の土の中に蓄えていた数少ない小さな昆虫を全てそいつにやって、息絶えた。
しかしその星の地表は生きることが厳しい状況に陥っていたが、海洋はまだ潤っており、あちしは海洋の甲殻類として生まれ変わった。ここでも子宝に恵まれた。ここでも、前世を覚えているかのように、無数の子供たちや同胞へのエサの収穫に励んでいた。
同胞たちもその時は知性が芽生え、巣の形状などのこだわりも芽生え、器用に触覚を動かして、同胞たちが理解できる記号のような矢印のような文字が発明され、そんな支えあいの文化が芽生えていた。
しかしその惑星は、赤色矮星を回る低温の惑星だったが、それの超新星爆発により水は蒸発して、その惑星の生物は全て蒸発し、残念ながら絶滅した。この文明でのこの種の一生は一度きりだった。
爆発により蒸発した水だけで構成されていた星の一部は、あんなに熱かったのに、暗闇の中で一気に絶対零度近くまで冷やされ、宇宙空間を物凄いスピードで移動しながらも、ゆっくりとゆっくりとくっついて、やがて本当に僅かなタンパク質を含む氷隕石となり、悠久の時を経て、ついに、月がまだできたての頃の地球にたどり着く。水がなかった溶岩と岩でしかなかった地球に、衝撃と共に絶対零度に近かった氷隕石が奇跡的に降り立ったのだ。
それが、この令和の時代からおよそ、46億年前のこと。
これが、地球でいうところの冥王代(Hadean Eon)と呼ばれる時代。
それから2億年後、火山活動が活発だった地球は氷によって地表が冷えに冷やされ、岩を形成するようになる。その中で、一部の火山活動により冷え固まった氷は蒸発し、それが雲となり、やがて大雨になり、地表の低い場所に水が溜まって、海が形成された。
それから34億年後、トニアン紀と呼ばれる時代、海に生物が芽生える。
あちしは奇妙な単細胞生物や多細胞生物、つまり生命へと返り咲いた。
感覚的にはほとんど(何も考える事すらできなかったから)一瞬だったけど、心地よい感覚だけはあった気がする。この時も、数えきれないほどの分裂と生と死を繰り返した。でも苦しくはなかったと思う。
だってそんな感情など、抱くほどの器官がなかったもの。
それから3億年後くらい。クライオジェニアン紀と呼ばれる。地球は再び凍結した。
スノーボールアースってやつだ。
氷が太陽光を反射して、熱が地表に届かず、、、とかなんとか、っていう理屈はもういいか。
同胞たちを含め、その時芽生えていたあらゆる生物は再び絶滅に追い込まれそうになった。
でも、気の遠くなる昔にあちしがいた星の気温に似ていた時期もあって、心地よかったようなこともあったようななかったような。そんな気がする。過酷でも種は生き残っていた。
スノーボール状態になったり、火山活動でまた海になったり、またスノーボール状態になったり、水になったりを何万回も繰り返し、CO2が大気に供給され続けた。温室効果ガスってやつだ。
じわじわと、気温や水温は安定するようになった。
そんな過酷な時間を一億数千年、多細胞生物として生き死にを繰り返し、やっとこさ、エディアカラ紀と呼ばれる時代に到達。
あちしは、ディキンソニア(Dickinsonia)に生まれ変わった。微生物の「マット」ばかり食べて過ごした。何度生まれ変わっても、全然飽きなかった。
1度だけ、キンベレラ(Kimberella、動物っぽい姿)に生まれ変わったけど、結局のところ、ディキンソニアの時と同じく微生物ばっか削り取って食べていただけの生活だったため、またディキンソニアにばかり生まれ変わりまくった。キンベレラの時はなんせ大量に食べないといけないので生きるのがしんどかった気がする。
そんなこんなを、わけもわからず、何兆回生まれ変わり繰り返したろう?
さらに1億数千年ちょっと経って、あちしはミミズのような生き物になったり、セミみたいなセミじゃないような、節足動物みたいな?実に様々な変な生物に、1億5千万年くらいの間、何億回だったろうか、次々と生まれ変わった。どの生物の時も基本は食事がメイン。ただ本能の赴くままに喰らうのみ。今まで令和までを通して、最も多種多様な種類の生物を食った気がする。
自分が何になったのか、そして何を食ったかさえも覚えていないくらい、多種多様な生物が蔓延った時代。これが、かの有名なカンブリア紀に過ごした思い出だ。
わりと今のセミと同じような昆虫に生まれた時は、地中で一生のほとんどを過ごし、夏には精一杯鳴いて、交配をしては、果てるだけ。何も考えず、工夫もすることなく、最高だったことだけは覚えてる。
次に生まれてくるときも、セミになりたいと思っていたんじゃないかってくらい、何万回もセミにばかり生まれ変わった。気づくともう、世の中は人間が存在する世界だった。
セミ時代の最後、そうしているうちに、日本の昭和時代にあちしは居た。
そろそろ鳴いたり交配したりを夢見て地中を過ごすなか、むむっこれは最後かな?と思った。
そして最後の最後にはこれまで以上に精一杯、バカでかい音で鳴いた。
その時のあちしは、うるささだけは世界一だったかもしれない。
それで、何故か次はクモだった。あれっ?元気よく鳴けない。鳴けないが、兎に角、昆虫が美味しいことを知った。何千回もクモに生まれ変わった。
クモの最後の記憶は、てくてくと歩いていると、ちょうど薄暗くて虫が多い居心地のよさそうなおんぼろ屋に行きついて、そこに、何千回と培ってきた前世たちの記憶をたどり、クッソでかいクモの巣を、角度や形にこだわりにこだわりを重ね、張ってみた。
するとある時、そのボロ家に人間が住み着きだした。
「なんて綺麗なクモの巣だこりゃ。がんばって作ったなー。」と、その変わり者の人間はあちしを見つけても、殺しにかかったりはしなかった。
蛾やらなんやら、光に集まるカゲロウ共のうち、酔ってドジってクモの巣に引っ掛ってはそれを喰らい、ウハウハな気持ちで生きた。そんな中、そこに住む人間がある時あちしにこう言った。
「いつもありがとうね。」と。
でもその人間の発するその声について、その時はどういう意味かもよくわからかったのだけど、別に悪い気はしなかった気がする。これがクモだった時の最後。
次にあちしは魚に生まれ変わった。美食家だったあちしは、釣り人に釣られる名人だった。
だって、人間の垂らすエサって異常なまでにいい匂いがするんだもの。ずるいよね。何百回人間に食べられたことか。
子宝にも恵まれた。卵を産みに産みまくっては、オスに生まれ変わろうもんなら、アレを卵にかけにかけまくって、最後は釣り人に釣られにつられまくった。
人間は「美味しい美味しい」って言ってたと思う。だって生まれ変わるたびに美食家だったあちしはきっと、ぷくぷく太って、そりゃあもう、脂がのっていたに違いない。
魚時代の最後のあちしは、あちしと同じように何も考えず回遊するサメに食われ、魚生を終えた。
次はワニ。この時は、じっと沼で佇んで、仔馬を食す機会を伺うのが生き甲斐だった。なんせ、クッソ美味い。
親馬には悪いけど、恐ろしく、なんじゃこりゃあ?!ってほど、悪魔的に美味かった。9度、ワニとして生まれ変わり、そんなことを繰り返した気がする。で、10度目くらいでまた人間に囚われた。
肉体の皮は、今でも残る最高級品のバッグ。今もどこかで、一生の宝物として、どこかの人間に大事にされている。
次は馬になる。サキエルという兵士の元に、仔馬として誕生した。仔馬の時は可愛い可愛いと、母馬とサキエルに、とにかく愛された。
2年くらい経つと、反抗期になった。背に乗ろうとするサキエルを暴れて落とすのが楽しかった。たずなを掴んだらぐいっ!と前に引いて、困らせたりもしたっけ。
3歳になったとき、軍の中では大人の馬にも一切負けない、一番の早馬になっていた。
サキエルを乗せて一緒に風のように走る時は、乾いた風を浴びながら、それはそれは心地よく、幸せを感じた。
これでもか!ってくらい愛情を受けた分、それを返すかのように、サキエルという人間を愛し、戦いのときは攻撃を受けさせまいと飛び跳ねてサキエルと共に矢を避け、夜はサキエルの昔話を聞きながら、共に寝落ち。その生涯をサキエルと過ごし、そして生涯を捧げた。
これまで、何のために生まれてきたのか、なんぞ考えたこともなかったけど、この出会いの為だったのかなと、あちしはこれまでにない幸福のなか、ただ一度の馬生を終えた。
しかし、この時はいつの時代だったのだろう?んー、考えるのが面倒だからやめよう。
そして、気づけばまた日本。令和の三毛猫にだった。
そんな夢なのか現実の事なのか、ほんのひと時の約30分、ヨカゼのおなかに顔をうずめながら、曖昧な情景を見たタマなのでした。
何か最近創作意欲が湧く。いい傾向だ。




