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学園でサミールに会ったらどう対応しよう。
なんて悩んだけれど、ベルナの取り巻き活動が忙しいサミールと学園で会うことなんてほとんどなかったことを思い出した私は普通に学園に行った。
「うわああああ」
滅多に学園で会わないはずのサミールと朝一で会ったと思っていたら、サミールは私を見ると顔を真っ赤にして逃げ出した。
それから何回か顔を合わす度にサミールは顔を真っ赤にして逃げていく。
そのくせ目の届く範囲にいてこっそりこっちを窺っているようなのだ。
「人の顔を見て逃げ出すなんて失礼な男だな」
エリーゼが不愉快そうに言っている。
「本当に何なのですの、あの男!」
グレースも私の代わりに怒ってくれているようだ。
私はというと、サミールの反応がツボにはまって笑いを堪えていた。
面白すぎるぞ、サミール。
サミールがベルナに一目惚れした時も思ったけれど、分かりやす過ぎて面白い。
恥ずかしくて逃げているらしいサミールの反応が面白すぎて私は笑いを堪えるので必死になっている。
サミールが恥ずかし逃げのようなことをしてくれたお陰で、私は冷静になれた。
サミールが先に逃げていなかったら逃げていたの私だったかもしれない。
「何が悪かったんだろう」
それにしてもこの男はどうするべきなのだろうか。
グレースとエリーゼと中庭で休憩していたら、ステファンが勝手に仲間に入ってきた。
ステファンは学園1位を取り続けている天才だ。
天才過ぎて精神的に未発達な自由人だ。
誘ってもいないのに私達のテーブルに勝手に座ってきた。
休憩したいなら他のテーブルだってあるのに、どうしてわざわざ私達のところに仲間入りしてくるのか。
「僕の計算は完璧なはずなのに」
ステファンは授業に出ないで専用の研究室で研究している。
ほとんど授業に出ないくせに学園1位を取り続けているのはそれほどステファンが天才なのか、学園の評価方法に問題があるのか。
「だが、最近マリエラの婚約者は歩く人災女と一緒ではないようだな」
エリーゼはステファンのことを無視する方針のようでサミールの話をしてきた。
確かに、あまり学園で会わないと思っていたサミールを最近よく見掛ける。サミールがベルナの取り巻きから離れたということだろうか。
「こんなに可愛らしいマリエラを見て逃げ出すような男にマリエラは任せられませんわ」
グレースに褒められた!美人のグレースに言われても鏡見てみろって言いたくなるけどね!
「僕が間違うはずないのに」
ステファンは無視されても気にしていないどころかテーブルの上のお菓子を勝手に摘み出した。
自由人だなー。
それに間違うはずないとか言っているけれど、ステファンは既に研究室が破壊されるレベルの爆発を3回は起こしている。
3回とも大事になって学園の先生達にしっかり怒られているはずだ。
「マリエラ、婚約解消するなら早目の方がいいんじゃないか?あの歩く人災女が何かしてきそうな気がする」
エリーゼが飲んでいたお茶をステファンに盗られた。エリーゼは眉をひそめながらも何も言わない。
「わたくしの可愛いマリエラに害をなす者はわたくしも許しませんわ!」
グレースが嬉しいことを言ってくれる。でもグレースの中の私のイメージが気になる。
「そうだ。マリエラさん、僕の助手しない?成績とかにも有利になるよ」
ステファンが私に話し掛けてきた。
背中に嫌な汗が伝う。
学園で一番の天才と言われるステファンの助手に誘われるなんて凄いことだ。
けれど、自分の非を認められないタイプのステファンは実験が失敗した時、助手のせいにすることがある。
以前も大きな爆発を起こした時、助手が自分の邪魔をするからだと全ての責任を押し付けて、助手だった人は学園を辞めていった。
国に関わる実験をしていると言われるステファンの実験の邪魔をしたとなれば国レベルの大事。
実際に助手のせいだったのかどうかは知らない。ステファンがそう言うならそうなのだろう、と他は納得するしかなかった。
その事を知っている私達は今すぐステファンから離れるべきだと警戒した。
「残念ながら私では力不足です。それと、意外と私も忙しいのでステファン様の助手をするような時間はありません」
時間がないのは本当。ステファンのような天才型と違って努力型の私は人より時間を費やすことでなんとか今の順位を保っているのだ。
それに、天才型には分からないだろう問題点が瞬時に頭の中を駆け巡る。
ステファンは努力型の気持ちなんて分からないだろうから助手だからと長時間拘束されて、勉強時間を奪われて成績が落ちる気しかしない。
天才のステファンには勉強なんてしなくてもテストの点ぐらい簡単に取れる、とか言われそうだし。
将来ステファンのような研究職を目指すならまだしも、私は将来婚約解消して、親からも自由になって楽する為の学園成績なので、ステファンの助手をする利点が何も見付からない。
「大丈夫、助手っていっても難しくないよ。前の僕の助手だって本当に大したことなかったし」
ステファンがわざわざ実験の失敗の責任を押し付けた前の助手の話をしてきた。
ステファンの前の助手君はステファンの助手だからと偉ぶって横柄で、皆から嫌われていた。
本人の成績も大したことなかったし、ステファンの助手という立場を利用する気満々だった。
普段から嫌われていたからか冤罪かもしれないと分かっていても、誰も疑問の声すら上げなかった。
「ステファン、それくらいにしておけ。あんまりしつこいと嫌われるぞ。それに君の助手は重たい物を運ぶことも多いから男性の方がいいだろう」
エリーゼがステファンを無視するという自分ルールを破って私の擁護をしてくれた。
「そっか。それは残念。気が変わったらいつでも言ってねマリエラさん」
ステファンはお菓子を食べて満足したのか私達の前から去っていった。
ていうかステファンと喋ったの初めてだったよ。マリエラさん、なんて馴れ馴れしいな。まあ私の家名を知らないからエリーゼとグレースが言っているの聞いて言ってきたんだろう。
それにしても変な汗かいた。
「ステファンは相変わらずだな」
エリーゼはステファンと子供の頃から知り合いらしい。
ステファンが研究室から出ているところを見るのすら珍しいので、話しているところを初めて見た。
やっぱりこの学園の成績上位者は変な人が多いな。
とりあえず頭がよくて性格もいい人なんていない。
「ところで、話変わりますけれど、マリエラのそのネックレスはプレゼントですの?」
グレースに首元のネックレスに気付かれた。
かなりチェーンが短いので、隠す為に首元が隠れる服を選んできたつもりなんだけれど、絶妙に見えるところについている。
「一応貰ったもの」
無理やり婚約者に着けられました。
「シンプルな形に真ん中の青色が可愛らしいですわね」
ネックレスの飾りは小さめでシンプルな花の形をしていた。
真ん中に小さい青い石がついているのがアクセントになっている。
小さいので頭に着けている大きな頭飾りともケンカしなさそうだ。
「留め具が変わった形をしているな」
メインの飾りより留め具に目がいくところがエリーゼらしい。
そう。この留め具は変わっている。というか外し方が分からない。家に帰ってからメイドのララと外そうと格闘してみたのだけれど、結局外せなかった。
だから外せずに学園にもそのまま着けてくるしかなかった。
そういえばサミールも外しにくいと言っていた気がする。
「確かに初めて見る留め具のような気がしますわ。特別製かしら?」
「確かマリエラの婚約者のサミールはサイモンと仲が良かったな。成る程」
サイモンとは学園3位の天才君だ。女のエリーゼに順位で負けているのを気にしている変人だ。
サイモンのこともあんまり知らないけれど、きっと変人に違いない。
エリーゼが1人で何か納得している。
「サイモンが考えた留め具ですの?そういえばガストンもサイモンに何か頼んでいると言っていた気がしますわ」
そういえばサイモンの研究は細かい細工とかだったような気がする。
もともと鍛治が盛んな領の出身だからそういう研究をしていると聞いたことがある。
どうでもいいけど、学園に入るまでほとんど人と会うことのなかった私と違って、他の人達は子供の頃から交流があることが多い。
特にエリーゼは侯爵家の娘として昔から親にあちこち連れ回されていたらしく、知り合いが多い。
知り合いが多いだけで友人は少ないらしい。
エリーゼの父親が娘を天才だとあちこちで自慢しているのは有名な話だった。
自分の親と違いすぎてエリーゼに近寄り難さを感じていたことを思い出した。今はもう昔の話だけど。
「外れないネックレスなんて呪いみたい」
ぼそりとつい本音が出てしまった。それはサミールのよく分からない執着心なのか独占欲のようなものなのか。
どうでもいいけど、ガストンはメンドクサイ執着心でグレースに外せない装飾品のプレゼントを計画しているのだろう。
グレースはその内何らかのプレゼントをガストンから貰うだろう。
そのプレゼントに込められた気持ちが羨ましい。
なんて柄にもないことを思ってしまった。
「サミールー!一緒にランチに行きましょう」
嫌なところに出会してしまった。
歩く人災女ことベルナがサミールの腕に馴れ馴れしく絡み付いている。
普段はあんまりこちらの建物には来ないのに、今日は受けたい授業があって来ていたのだ。
あくまでもサミールとは友人だと言っていたベルナは、恋人かと言いたくなるくらいの密接度でサミールにくっついている。これで友人だと言われても信じられない。
サミールは腕に絡み付くベルナに困惑しながらも強く断りきれずにいる。
最近、サミールのベルナ離れが始まったな、と思ったら次に始まったのはベルナのサミールの追っかけだ。
ターゲットを追いかけている時が如く、執拗に相手の目の前に現れては、偶然だと運命だと嘯きながら相手を自分に惚れさせようとするベルナのいつもの手だ。
始めは何とも思っていない相手でも、美少女に追いかけられたら気持ちが揺らいでいく少年達を何人も見てきた。
ベルナはサミールが自分の元から離れないようにしたいのだろう。
現実的な話、婚約者と上手くいっているとはいえない侯爵家の跡取りのサミールは、ベルナにとって大切なキープ君だ。
前はこんな光景を見ても何とも思わないどころか、サミールが好きな人に接してもらえてよかったな、と思っていたかもしれない。
サミールへの気持ちを自覚してしまった今、どうもこの光景が不愉快で仕方ない。
しかもベルナは私に見られていることを分かっていて愉悦に歪んだ口元を見せてくる。
以前はかわいらしい初な娘に見えていたのに、今は悪女にしか見えない。
私がベルナに文句を言えば、苛められたと被害者になれて、私がいつも通り無視すれば、ベルナはサミールにアピールしまくれる。
どっちに転んでもベルナの優位でしかない。
「あれを放っておいてもいいんですか、マリエラさん」
今日は学園順位7位のケンと授業を受けてきて、戻る途中だった。
早く戻ってグレースとランチを取るのだ。
ケンは私のことを気にしてくれているようだけれど、私に出来ることなんてない。
上位10位以内に入っている中で平民はケンしかいない。
そのケンが入学当初はベルナに惚れていたことを知っている。
ベルナに惚れて成績を落とす者は多かった。
ケンは途中から持ち直して成績7位にまで上り詰めてきた秀才だ。
でもベルナに惚れていた過去があるということは、私の味方とはいえない。
周辺にいる生徒達も味方とはいえないだろう。
身分の低い娘が婚約者を追い落として身分の高い恋人と結ばれる。
世間ではそういう物語が流行っているらしい。
貴族の中にはそういう遇俗的な話を嫌う人も多いけれど、身分の低い貴族や平民を中心に、下克上の物語は昔から人気がある。
周りの生徒達も男爵令嬢のベルナが侯爵家のサミールと結ばれる物語の方が面白いと思っているはずだ。
だからベルナの行動を応援している者も多い。
「相手にしてもムダだからもう行こう」
この演劇を盛り上げる為にはキレイな悪役が必要なのだろう。
だから私は相手にしないし、期待通りの反応をしてやらない。
周りが波乱を期待しているからこそ空気読むって大事。期待通りにならないのが大切。
それは前世で空気を読もうと必死になって疲弊してしまった記憶があるからだろう。
誰の為の空気読みだったのか。今では分からない。
「ベルナさん、私には婚約者がいるので離してもらえませんか」
サミールが今更な断りをベルナにしている。
ベルナの曲解をまだ理解していないのか。その言い方だと私のせいでベルナを受け入れられないと言っているようなものだ。
案の定、ベルナが鬼のような表情でこっちを見てきた。
ベルナはサミールの腕を離すと私の目の前に走ってきた。
あーあ。面倒なことに。
「あんたみたいな悪役に私は負けないんだから!正義は必ず勝つのよ!」
どこかの田舎でやっている村劇のセリフだろうか。
あまりの陳腐さに笑いが洩れそうになった。
「あんたみたいな悪者は必ず罰が下るんだから!正義は私にあるわ!」
自信満々なベルナがおかしくて仕方がない。
笑い出さない為に無表情を通すのに必死で言い返すことは出来なかった。
まるで正義のヒロインになったかのようなベルナは周りの空気を読むという才能が皆無らしい。
悪に立ち向かう立派な勇気のある人間。
だとでも自分のことを思っているのか。思っているんだろうな。
残念ながら、この国に『正義』なんて言葉はない。
平民の間では分かりやすい物語の1つとして許されているけれど、基本的に貴族の間では『正義』という言葉は使うことすら許されていない。
この国にあるのは『一方的な正義』という言葉だ。
正義なんてものは一方的でしかない。だからその言葉を使う時は『一方的な』という言葉を付け足すことがこの国のルールだ。
別に法律的な縛りはないし、貴族の間でのルールであって平民が知らないのも不思議ではない。ほとんど平民に近い身分の低い貴族の中にもその事を知らない者もいるというけれど、これはあまりにも酷かった。
一方的な正義という言葉を使うことは王命だ。
その言葉を使いたい場合はそれだけの覚悟を持て、という意味を込めて、通常の貴族は軽々しく口にすることすら憚る。
この国は長く平和が続いているので王族に対する忠誠心が強い。
そんな貴族の子供達がいる中で、ベルナの発言は異様でしかなかった。
正義を軽々しく口にするのは自分は平民だと言っているようなもの。
それも字も読めないような、本ではなく劇から情報を仕入れるような人達が口にするようなものだ。
この学園にも平民はいる。数は少ないけれど、実力主義なこの学園では平民も通っているし、平民でも優秀な成績を取れれば将来は王宮で働くきっかけも掴める可能性がある。
今、この場所には比較的身分の低い者が多い。
でも、ベルナの発言をキラキラした正義の発言として受け入れる者はかなり少ない。
学園に通う程の者なら、この国にあるのは『一方的な正義』という言葉であると知っているはずなのだから。
鼻息荒く、正義の使者の役に入っているベルナを、キレイに無視して踵を返す。
ここまでベルナが頭の痛い人だったなんて。
「逃げるんじゃないわよ!卑怯者!」
ベルナの罵倒が飛んでくるけど、吹き出さないようにするだけで必死だった。
「オレ、初めてあの女に惚れていた昔の自分を殴り付けてやりたいと思いました」
私の後を付いてきたケンが呆然と呟いた。
正義を軽々しく口にするベルナに対する気持ちが急激に冷めたのだろう。
正義を口にするなら命を懸けろ。
それがこの国の貴族の常識だ。
男爵令嬢という身分の低い者の中では『一方的な正義』と言わなければならないことを知らない無知な娘もいることはある。教育をされていない者もいるらしいから。
けれど、学園に通える者ならばたとえ平民だとしても知っていなければならない言葉だ。
一体ベルナは学園で何を学んでいるのだろう。
『一方的な正義』という言葉があまり使われないにしても、さっきのベルナは酷かった。
特に私達の学年の成績上位者は学園在学中の課題が『一方的な正義』について論文を書くことだった。
『一方的な正義』とは何か。卒業時の論文に選ばれることの多いこの議題を軽々しく口にする者は不愉快でしかない。
特にケンは平民だからこそ平民の正義の捉え方と、貴族の『一方的な正義』との考え方の違いを感じていたはずだ。
「恋が冷める時ってあるんですね」
ケンの呟きに、今度こそ私は吹き出してしまった。