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ゴスロリライダー  作者: キョウ
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第四章(3)



倉庫のシャッターは降りている。

とても大きく、簡単には開けられそうにはない。気密性も高そうだ。

菊花さんとボクは倉庫のシャッター横にある、鍵のかかった従業員用扉の前にいる。

そう、この奥に『大災害』と同じ病に罹っているかもしれない人がいる。

そうじゃないかもしれないし、やっぱりそうなのかもしれない。

どちらであっても、そもそもこの状況はなんだろう。

勇気を出してここまで来たけれど、菊花さんの背中についてきただけじゃないか。

何かの役に立ったわけでもなくて、でも何かの役に立てるかもしれないと思って。


「みちる。顔色悪いな。お前さんも無理しなくていいぞ。抗体があるってのと度胸はイコールじゃない。あとな。患者を診る立場に回るってのは、きついもんだ」


思考が変な方向へ行きかけた時、菊花さんが声を掛けてくれた。


「それに、そうだよな。よくここまで来てくれたな。怖いだろうに、大したもんだ」


怖い。そう、怖いんだ。ジョージさんと同じ。

罹ったことがあるかどうかではなく、あの悲惨な『大災害』が再現されるかもしれないというのが怖いんだ。

そう自覚した途端、体が震え出した。

今更になって、どうして。


「……オーケイ、そこに居るといい。あたしがちょいと行って診てみるわ。医者じゃないけど、あの時患者はいっぱい看てきた。なに、きっとただの風邪かなんかだよ」


そう言って、菊花さんはジョージさんから渡されていた使い捨ての手袋とエプロン、それとマスクをつけた。そうして、これもまたジョージさんから受け取っていた倉庫の鍵を使うと、中へと消えていった。

一瞬だけ見えた、不安そうな顔をした付き添いらしき一人の男の青褪めた顔と、隣で苦しそうに簡易ベッドに寝ている男の残像を残して。

扉が閉まってから少し経った。

五分くらいは経った気がする。

いや、一分も経ってないかもしれないし、十分経ったかもしれない。

この場に立っていても、何も起きないし変わらない。

ボクは世界に対して何もしていない。

そう思うと、一人が怖くなって、気付くと足が動いていた。

戻ってきてしまった。ジョージさんが事務所にしている建物の手前まで。

人がたくさんいる。気配やなんとかではなく、人混み特有のガヤガヤとした喧騒が聞こえてくる。


「……! だから、安全なのかと聞いているんだよこっちは!!」

「聞いたわよ、外来トリアージ対象患者ですって?! ホントなの?また人死にが出るんじゃないの??!」


一様に興奮と不安の色を隠そうとしない人々の声に、ジョージさんが必死に抗弁している。


「おい! 片桐と皆川をどこにやった?! 私には教えてもらう権利がある!」


多くの声の中に、一際通る声があった。

建物の向こう側、顔は出さないが声は聞こえる位置にいるボクにもはっきりと聞き取れた。

宝田さんの声だ。


「あいつらは私のところの人間だ、『エルドラド』代表たる私には所在を明らかにしてもらわないと!」

「いや、そいつは教えられない。うちの街のモンが今どうなのか具合を診ているところだ。邪魔をする訳にはいかない」

「その具合がどうなのかというのが問題だ。帰ってみたら片桐が高熱を出して倒れたから皆川が片桐を連れて港へ向かったと聞いて飛んできたんだぞ」

「高熱だぁ?! ジョージさんよ、本当に大丈夫なんだろうな?! 例の、新型がぶり返したとかじゃあないんだろうね?!」

「ええい、誰だお前は。今は私が話しているんだぞ。でだ、心配した皆もこうして付いてきてくれたが、今もまだ報せを待っている人間が大勢いる。状況を、居場所を教えてくれたっていいだろう?!」

「だからっっ、ちょっとっっっ! 待てって!!」


ジョージさんも対応し切れなくて困っている。

菊花さんはまだだし、ボクが出て行っても答えられる材料もないし、宝田さんもいるし。

そうこうしていると、騒ぎは更に大きくなっていった。

部分的にしか聞き取れないが、『エルドラド』の人たちは強行突破して片桐さんとやらを捜しに行くつもりみたいだ。

ボクはボクで、宝田さんとは会いたくない。

何を話していいのか、問いかけられた何と答えたらいいのか、自信がない。

ここは、建物の角を曲がってすぐのところだ。

見つかりやすい。どこか、一旦身を隠そう。

動き出してからは早かった。

真夜中の暗闇の中、街灯もまばらな船着場の積み上げられた荷物と荷物の間に、ボクは膝を抱えて座っていた。

どうやってここまで来たかはあまり覚えていない。

人が来なさそうな方へと逃げ込んだ先がココだった。

そう、やっぱりボクは逃げ出してしまった。

あらゆる周りの人間から。

これなら、セポ姐さんと留守番をしていればよかった。

あの時一緒に行くとついて行った行動は、ただ何も考えてなかったのと同じじゃないか。

ボクには、やっぱり何もできないんじゃないか。

宝田さんのことも、そうだ。

彼はボクを使ってくれていた。

利用されていたかもしれないけれど、ボク自身の意志はそもそもなかったじゃあないか。それなのに、利用されているとただ怖くなって逃げ出した。

逃げてばかりだ。

そもそも『大災害』だって、あんなのどうしようもないじゃないか。

母さんも父さんも死んだ。その死からも逃げて……!

なにかできれば、なにかが変わると思っていた。

なにもできなかったから、なにも変えられないのだと悲観して過ごしてきた。

この街に来て、何かができると思って、菊花さんという憧れを見つけて、でもやっぱり何もできなくて。

…………。

……………………。

菊花さん、ごめんなさい。

こんなダメなボクなんかの世話を見させてしまって。


「謝る必要はないさ。こちとら迷惑ともなんとも思ってないしな。おっと、誤解するなよ? どうでもいいって意味じゃなくて、好きで人に口出してんだから気にする必要はねえって意味だよ」


幻聴かと思った。

菊花さんの声が聞こえたと思うと同時に反射的に目をきつく閉じた。

眩しい。上から光で照らされている?


「ったく、こんなところに居たか。捜したぜ?」


光が下ろされたのか眩しさが半減したのでそろそろと目を開けた。

暗がりでもシルエットを浮かび上がらせる幾重にもフリルをあしらったスカート、出がけに羽織っていた濃紺の乗馬服のようなコート。

手に持つ懐中電灯の光に浮かび上がる不敵な笑み。

菊花さん本人だった。

どうしてここにいると分かったのだろう?


「どうしてってな、みちる。お前さんの姿が見えないからってんで捜し始めたんだが、きっと人のいない方に行ったなと思ったんだよ。『エルドラド』の奴らも来てると知っているわけだし。で、こいつだ」


菊花さんは自分の目を指す。


「前に言ったろ? あたしにも視えるって。何が視えるかってーと、みちるとは違うもんが視える」


さらりと言われた言葉に、少し遅れてハッとした。

菊花さんも、ボクとは違うけれど何かが視える。前にそれっぽいことをボカされて言われていたけれど、ボクとは違って何かがはっきりと視えるのか。


「あの時、視える景色、だなんて詩的表現を使ったのはあんたが知覚型なのか視覚型なのかわからなかったからさ」


からからと笑う菊花さんを、呆然と見上げてしまう。


「まあいいや。で、色々割愛。あたしはね、直接視える。視えるようになった。『大災害』以降、物ごとの流れが視えちまう。うまく言えないけどさ、調子がいい時にいわゆる流れがある、って言うだろ? ああいうのが、視える。なんだかあたしたち似ているなぁって、みちるの話を聞いた時は思ったもんさ」


物ごとの流れが視える。

もしかして、前に『エルドラド』との騒ぎの時に銃をまるで恐れていなかったのは、視えていたからだったのだろうか。

流れとやらが攻撃の軌道として視えるとしたら、説明がつく。


「で、人の流れもどうも場の流れ扱いになるのか、視える。赤く視えるんだ、流れがあるとこってのはさ。だから、人気のないところ……ここには、途中途中赤くない方へと進んでいったら着いた。ジョージんとこの建物周りは赤くてしょうがなかったからな」


菊花さんの能力は、ボクのものと似ている。

それでいて菊花さんは、自分の目的のために自分の能力を使っている。

誰かの役に立つ手段として利用している。

でも、ボクは利用されていただけだ。そういう意味では全然違う。

菊花さんに憧れていたのは、ボクが動いてなかったからだ。

動いていない人間が動いている人間を羨んでいただけだ。


「で、やっと見つけた。良かった。今の段階で頼りになるのは、みちる。お前さんだけだ」


その菊花さんが、今なんと言っただろう? 

ボクを頼りに? 何もしていない、動いていないボクが何になるというのか。


「さしあたり、患者を診てみたんだが……正直、分からねぇんだ。初期症状は新型コロナウィルスのものと同じだが、レベル3の発熱に軽度呼吸障害、脈拍異常にレベル2の意識障害。胸の音を聞く限り肺炎はまだ起きてねー。肝心のキットも使ったが、陰性。ただこれは初期段階でウィルスが少ないせいで偽陰性になってるだけかもしれない」


いくつか理解できない単語があるが、少なくとも菊花さんが困っているのは分かった。


「例の『大災害』の時と同じ症状かもしれねー。他の感染症かもしれねー。もしかすると『大災害』の時に感染したけど発病しなかったもんがここに来て発病した可能性もある。……あたしの目で視てもみたが、ほんのり赤いだけだ。まだ生命の危機が押し迫っていないのは判るが、ウィルスが勝ってるのか免疫系が勝ってるのかの判断材料にゃならなくてな」


確定できない状態だというのは、分かった。

でも、それとボクと何の関係があるのだろうか。

ボクには医療知識があるわけではない。そうなると、ボクにあるのは――。

ボクは自分の右手を見つめる。

その手に、菊花さんの少し大きくて柔らかい手が重なってきた。


「そうだ。お前さんの能力を借りたい。目に見える範囲では、判断できねえ。なら、目に見えないもんが視えるやつの所見が判断材料になるかもしれない。それに賭けるしか、今のあたしには選択肢が思い浮かばない。みちる、あたしと一緒に来てくれないか?」


菊花さんは、事情を話した上でボクの能力を頼りたいと言う。

菊花さんは、言えばボクが首を縦に振るだろうというのはきっと分かっている。

それなのに、菊花さんは「来い」と命令しなかった。

最後はしっかりボクにどうしたいのかを問い掛けてくれた。

ついていって患者さんを視るという判断を下すのはボクが決めるのだと、一人の人間として投げ掛けてくれた。

どう判断しても構わない、と。

ボクの意思に委ねてくれた。

頷くだけで、それは選択したことになる。

自分で動いたことになるんだ。

ここまで逃げてきたボクに、手を差し伸べてくれた。

ここで動かなければ、何も……宝田さんのところから逃げた時から、いや、あの『大災害』以降考えることを放棄してきた自分は、何も変わらない。

ボクは――自分を変えたい。

変わりたい!

ボクは大きく頷くと、菊花さんの目を見つめた。

菊花さんは無言でいい笑みを向けてくれた。

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