第四章(2)
そうだ。初めてこの街に来て、 キシン荘の204号室で聞いたのだった。
菊花さんにいの一番で報せと呼び出しがあったのには、理由があったのか。
菊花さんは微妙な顔をした。
「あたしは、トリアージナースじゃないよ。ICNでもない、ただの看護師だった人間だ」
「それでも、『大災害』の時に現場を看て回って生き残っている。貴重な人間だ。ただ、俺もそうだがもう関わり合いなんかになりたくないだろうことは想像できる。そこを踏まえた上で、お願いしたい、この通りだ!」
顔を上げてから、再度頭を下げるジョージさん。
菊花さんは少し押し黙ったあと、ため息をつきながら答えた。
「ったく、しょうがないね。他にいないんじゃ、動くより他ないじゃないか。オーケイ、オーケイだ」
片手で頭の後ろを掻きながらそう言った後、菊花さんはジョージさんの分厚い胸元を軽く叩きながらもう一言付け加えた。
「その代わり、貸しはデカいぜ、よろしく頼むぜジョージさんよ」
菊花さんとボク、それとジョージさんは外に出た。
検査キットは、既に菊花さんの手許にあった。
事前に佐々木さんとやらから受け取っていたものをジョージさんが先ほど渡していた。
先陣を切るかと思われたジョージさんの足が止まっている。
うつむき気味に前方の暗がりを見つめるジョージさんへ、菊花さんが言葉を掛けた。
「ジョージ。お前さんは帰りな」
言葉に反応して顔を上げたジョージさんは、眉をハの字に寄せていた。
「菊花君、でも、それは……」
いつも豪快な雰囲気を漂わせていたジョージさんだが、ここに来て戸惑うような、弱気な表情と声を見せた。
「ジョージ、いいんだ。もしものことを考えるとよくぞまぁここに立っていられるなと思うよ。……お前さん、『大災害』の時には感染してなかったんだろう?」
菊花さんの言葉に、ジョージさんは少しの間沈黙した。
その沈黙こそが、肯定であることを物語っていた。
それでも、かろうじて疑問を口にした。
「ど、どうしてそう思うんだ? そんなもん、わかるはずないだろう」
菊花さんは急に軽く笑うと、並ぶジョージさんの背中を叩いた。
「何人も見てきたから。お前さんみたいな目をしたやつらは、無理に現場に出ておいて自分も感染して、帰らぬ人になってった。だから……分かる」
その声音は、今まで聞いたことのある菊花さんの中で、一番穏やかなものだった。
「意地を張るなら、有意義なことに使いな。ここであたしらにイイカッコする必要なんかないさ。あんたがイカしてるのは知ってるし、ね」
にやりと笑ってみせる菊花さん。
こちらにも視線を送ってくる。
ボクも反射的に頷いた。
たしかに、色々世話をしてくれてるジョージさんは男気のある人だ。間違いない。
菊花さんとボクを見たジョージさんは、少しためらった後、ため息とともに零した。
「敵わねえなぁ。二人とも、ありがとうよ。正直、ホッとした。ホントは怖くて仕方がねえ。俺も、『大災害』で天涯孤独になった身だ、仇の取れねえ仇には、どうしようもなくてな……」
うなだれるジョージさんを今一度励ますように菊花さんがジョージさんの背中を叩いた時、こちらに近づくエンジン音が聞こえた。それも、複数台だ。
「このエンジン音には覚えがある……『エルドラド』の野郎達のもんだ」
菊花さんがいち早くお客の正体に当たりを付けた。
「ジョージ、しょんぼりしてるヒマぁなくなったぞ。あいつらの足止めよろしく」
意地悪そうな顔をしてそう言い放つ菊花さんだったが、ふと顔を上げてエンジン音とは別の方向を見た。
ボクもつられてそちらを見ると、なにやら人の集団が見えた。
喧騒のようなものと共に段々近づいてくる。
「ん? あっちの集団はなんだ……居住区のやつらと、佐々木さんか? 戻ってろって言ったのになんでまた」
菊花さんは夜目が利くのか、街灯に照らされた数人の顔を識別すると、ジョージさんが疑問を口にした。
「……ジョージ、佐々木さんには口止めはしたかい?」
「……いや、わたわたしていたし、してないな」
「そうか。そうなると、あいつらはどんな用事だろうねぇ。みんなで酒の席にジョージを誘いに来たか、集団散歩か、はたまた佐々木さんから話を聞いて押し掛けて来たか」
一転、にやけた顔から真面目な顔になる。
「一番いいのは、外来トリアージの段階で『大災害』と言わしめた新型コロナウィルスじゃないかどうかが判ること、だな。んじゃ、確認してくるわ。ほら、みちる、行くよ」
迫る人波を置いて、菊花さんが港の端にある倉庫へと駆け出す。
ボクはちらとだけジョージさんを一瞥すると、菊花さんについて行った。




