五月九日・1
その日、講義を受け終わった遼平は、テニスサークルの面々とフットサルをするためにコートへと向かおうとしていた。利用しているフットサルコートは二つ先の駅である墨咲橋にあり、参加者は現地に集合することになっている。
「遼平」
呼び止められて振り向くと、同じサークルの友人の姿が見えた。
「よぉ、今からコート行くのか?」
「そそ、遼平もだろ?」
言って二人は並んで歩き出す。
四時限目の講義が終わり、キャンパス内には歩き回る学生の姿が多く見られた。
そんないつもの風景の中、遼平は見慣れない――しかし見覚えのある――姿を見とめて足を止めてしまう。
「遼平?」
そんな遼平を見た友人が声を掛けてくる。
「ん? あぁ、悪ぃ。ちょっと用事を思い出しちまったんで先行ってて。ついでに少し遅れるって伝えといてくれると助かる」
「おっけーおっけー。なんだか分からんが先行っとくよ。じゃ、また後でな」
そう言って友人は軽く手を振り快諾してくれる。
遼平は礼を言いつつ先ほどの人影へと視線を戻した。
少しつり目がちの大きな瞳に整った顔立ち、そして黒髪をトップでまとめている髪飾りには見覚えがあった。
その少女は何かを探しているように見えた。大学の正門から各種講義棟を結ぶメインストリートで、行き交う人々をちらちらと眺めている。
向こうはこちらに気づく様子はない。もっともあの時会話を交わしたのは耀だけで、覚えられていない可能性も高かったが。
遼平は何気なくその少女へと近付くと、
「こんな所でどうかしたの?」
にこやかに、穏やかに、柔らかい口調でそう声を掛けた。
「あ、いえ……その……」
突然声を掛けられた少女は戸惑った様子で口ごもる。どうやら以前顔を会わせたことは覚えていないようだった。
「あー……っと、前に一度会ってるんだけど、覚えてないかな」
「え?」
明らかに警戒されているのを感じた遼平は、緩い笑いを浮かべながら尋ねてみる。しかし、少女は小さく首を傾げるだけで、心当たりがないと言った風に不審な眼差しを向けてくる。
「えっと……五月五日だったかな。墨咲橋の公園の遊歩道で。大きな犬を探してたみたいだけど」
「あ……」
そこまで言われて気がついたのか、少女がぽつりと小さく漏らす。
「やっぱり犬を探してるの? でも多分、学内には居ないと思うけど……」
学内に犬が居るとしたら、恐らく噂くらいは聞くだろう。だが、そんな話を聞いた覚えはなかった。少女がもし以前と同様に犬を探しているのだとすれば、その目的が達成される可能性は低い。
「いえ……」
しかし、遼平のそんな懸念とは裏腹に、少女は小さい声で否定し首を振ってみせた。
「あれ、そうなんだ。って言うか、もしかして誰かと待ち合わせしてたり?」
遼平の問いかけに、少女は無言で首を横に振る。
「そっか、こんな所に来るくらいだし……って、もしかしてうちの生徒だったりする?」
やはり少女は首を横に振るだけだ。
遼平がどうにも上手く行きそうにないと手ごたえの無さを感じていると、不意に少女と視線が合ってしまう。
一拍の間の後、少女は何かを決意した様子で一枚の写真をこちらへと見せた。
「……あ、あの、この人を、知っていますか?」
遼平は写真を見た瞬間、どう答えるべきかを迷ってしまう。
少女が手にする写真に写っているのは、箕柳玖珠葉の姿だった。知っているかどうかであれば、無論知っている。が、可愛らしい少女が相手とは言え、素性の知れない相手にそう易々と知人の情報を答えてしまっても良いのかどうか。
「この人がどうかしたの?」
「……知っていますか?」
はぐらかして何故玖珠葉について知りたがっているのかを探ろうと思ったが、思いのほか芯がしっかりしているらしい。
遼平は諦めて、素直に肯定することにした。
恵那はその答えを受けて、僅かに前のめりになる。
「今、どこに居るか、知りませんか?」
「え、今? そりゃちょっと分からないな……」
分からないと言うよりも、そもそも玖珠葉は今日も大学へ来ていなかった。昨日に引き続きここ二日間大学を休んでいることを、この少女はどうやら知らないらしい。
遼平はそのことを伝える必要があるのかと一瞬思案した。
ここで自分が伝えなかったとしても、どの道誰かが答えてしまえば同じだ。それならば、ここで伝えておいて理由を聞いておいたほうがすっきりする。
「と言うか、その人今日は大学に来てないんじゃないかな」
「え……そう、なんですか?」
「俺、同じ講義受けてるけど今日は一度も姿見てないから。多分ね」
「そう、ですか……」
「ところで、その人に何か用事でもあったの?」
「あ……その……えーと……」
遼平の問いに、少女は視線をそらし、
「す、すみません! ありがとうございました!」
勢い良く頭を下げると、そのまま走り去ってしまう。
「あ、ちょっと――」
静止する声に意味も無く、その場に取り残された遼平は、頭をかきながら少女の背中を眺めた。
一体何だったのだろう。犬を探していたり、人を探していたり。探偵のようには見えなかったが、その手の関係者なのだろうか。結局、聞きたいことは聞けないままになってしまった。
「……」
ふと、昨日耀が言っていたことを思い出す。
行方不明者が出ていると言っていた。ろくな根拠もなく噂話未満の内容だったが、考えてみたらあいつはどこでその話を耳にしたのだろうか。
今まで一度も休んだこともなく、居なくなりそうな気配すら感じさせなかった学生が二日続けて休んでいる。そしてその学生を探す少女。行方不明者。
「……まさか、な……」
玖珠葉の番号を知っていれば携帯に掛けたのだろうが、あいにく遼平は番号を聞いてはいなかった。耀には恐らく聞くだけ無駄だろう。
妙な胸騒ぎを覚えながらも、そんなわけがないという思いも強い。
結局、現時点で気にしてもしょうがない、遼平はそう結論付けると心に釈然としない物を抱えたまま、サークルメンバーとの活動に参加するため歩き出した。




