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022 懺悔

 「えっと、もう少しこっちかな?」


 リーシェは小さくつぶやきながら、廃屋の窓枠からひょっこりと顔を覗かせる。左右を見渡し、屈んだままの私に右を指し示した。

 私が風魔法で索敵した後、リーシェが方向確認をする。慎重を期して移動しているためか、私とリーシェの歩みは決して早くない。しかし、ならず者たちから離れているのは確かだ。裏町から遠ざかってはいるのだろう。


 完全に緊張を解くわけではないが、私とリーシェの間の空気は和やかなものへと変わっていた。


 「リーシェ、行きましょう」

 「ん、わかった」


 互いにうなずき合うと、立ち位置を入れ替えていく。前を歩く私のすぐ後ろをリーシェがついてくる。リーシェの右手には、エミリアのナイフが握られていた。


 廃屋から飛び出して通りを駆け抜ける。少なくとも十五軒先まで人の気配はなかったが油断はできない。小さな竜巻で私とリーシェを囲いながら、周辺に細心の注意を払っていく。

 正面に十字路を見つけ、八軒目の廃屋の影へと身をひそめた。私は振り返ってリーシェを見やる。首を縦に振り、リーシェは壁にぴたりと体を寄せていく。しゃがみ込んだまま小さく顔を出したリーシェは、十字路を眺めたまま黙り込んでしまった。


 数十秒後、リーシェが後ろ手に私の服を引っ張った。


 「エルティナ、見て」

 「どうしたの? 行き先は決まった?」


 私はリーシェの肩越しに十字路を覗く。リーシェは左を指さした。


 「そこの十字路をね、左に真っすぐ行くと、教会堂に着くはずなんだ。……戻って来たんだよ」


 教会堂? ……お昼を食べた、あの教会堂!

 リーシェの言葉がゆっくりと頭に染み渡っていく。ここまでの疲労が一気に吹き飛んでいった。私とリーシェの逃走劇にようやく終わりが見えてきたのだ。

 その場に座り込んだ私をリーシェがじっと覗き込む。どちらからともなくうなずき合っていた。


 ほぼ同時に私とリーシェは立ち上がる。気持ちを落ち着けるように瞑目した後、教会堂までの通り全域を索敵範囲として風魔法を展開していく。すっかりと夜も更けているので、通りを歩いている者はどこにもいなかった。


 「一気に風で突き抜ける……十字路の真ん中から行くわよ」


 私は短く宣言する。リーシェは瞳に強い意志を宿してうなずいた。


 一度深呼吸をし、廃屋の影から躍り出る。わき目もふらずに走った。十字路の中央にたどり着くや、体を左へ向ける。すぐにリーシェが私の腰へと抱きついた。

 リーシェの両腕に力がこもった瞬間、通りを吹き抜ける風を巻き起こす。瞬間、私とリーシェの体が一直線に飛ばされていく。薄暗い裏町を通り抜け、街灯の照らす中心街へ。


 教会堂が遠目に見え始めたころ、突如飛行が乱れ出した。ついに魔力の限界を迎えたのか、イメージ通りに飛行できない。風を制御しきれなくなっていた。


 これ以上の飛行は危険――慌てて石畳に足をつけるが、踏ん張り切れずに弾かれる。何度も下ろした足裏が擦れて熱を帯びていくが、勢いを殺し切れない。焦燥のあまり強引に下ろした両足が石畳にようやく着地して引き摺られていく。ついには、私とリーシェはたたらを踏み、前のめりに倒れ伏していた。


 折り重なって寝そべる私とリーシェを街灯が照らし出した。


 「――エルティナ」


 急いで起き上がったリーシェが私を仰向けにする。飛行酔いに加えて魔力喪失で気持ちが悪い。擦り切れた足裏がジクジクと痛み、転倒時の殴りつけるような衝撃で頭もうまく働かない。返事をすることすら、億劫だった。


 私の名前を呼ぶリーシェの声が遠ざかって聞こえた。





 「……もう少し……もう少しだけ」


 苦しげな声が下から聞こえてくる。ズリズリと何かが擦れる音が遅れて響き、両足が後方に向かって引っ張られていく。不安定に体が上下へ動いていた。

 ……何が起きているの? 薄っすらと膜で覆われたかのように、視界がぼやけている。金色の山と、その周囲を彩る星々。不可解な光景に小さく首をかしげた。その瞬間、私の体は大きく傾き、滑り落ちていった。


 「――ダメ!」


 柔らかな堰が私を押しとどめる。傾く私の体が少しずつ上に移動していった。

 私はどうなってしまったの? 夢でも見ているのだろうか。少しも足を動かしていないのに、前へ前へと進んでいる。腰の辺りが押さえつけられているが、少しも不快に感じない。むしろ、安心感を覚えるのはどうしてだろう? 心地よさを感じるままに、ゆっくりとまぶたを下ろしていく。


 「エルティナ、もう少しだけ、だから」


 必死なリーシェの声が聞こえた瞬間、まどろみから一気に現実へと私は引き戻される。痛みに耐えるくぐもった悲鳴がはっきりと聞こえた。

 ――背中に私を担いだリーシェが必死に歩いていた。


 「リーシェ、離して」


 私は腕先でリーシェの背中を軽く叩いた。


 「エルティナ? 起きたの?」


 リーシェは背中で私の腰を押さえつけていた両腕の拘束を解いていく。石畳に引き摺られていた両足の踵をつけ、私は一歩二歩と後ろへ下がった。


 ふいに違和感を覚えた私は足元を覗き込み、目を大きく開いた。リーシェが履いていたはずの靴を、私が履いている。……リーシェは裸足だった。


 私はリーシェの真正面にまわりこむ。リーシェは薄っすらと涙の膜で瞳を覆い、痛みをごまかすように微笑んでいた。


 「教会堂の敷地に入ったんだよ。エルティナ、もう大丈夫」

 「リーシェ、貴方……」


 言葉を飲み込んで私は黙り込む。怒りとも悲しみとも知れない感情で、心が爆発しそうになっていた。


 何を思ったのかリーシェはお姉さんぶった笑みを浮かべ、私の頭を一撫でして歩き出す。右足を庇うような不自然な歩き方に、私の顔からみるみる血の気が引いていく。

 リーシェ追うべく踏み出した右足が力なく下りていく。次の一歩が踏み出せなくなっていた。


 「エルティナ、早く来てよ」


 三歩先で振り返ったリーシェが大きく右手を掲げる。左足へ傾いて立つリーシェから、私は視線を外していく。

 リーシェは揶揄うように小さく笑った。


 「意外と気にしがりだよね、エルティナは。……エルティナだって怪我していること、忘れてる? 私だって、エルティナのこと心配しているんだ」


 トントンとリーシェは自身の首元を叩いて見せる。そこは、エミリアにナイフで切りつけられた場所だった。


 「戦いの役には立てないんだから、こういう頑張りはさせて欲しいな」

 「……私がいなかったら、そもそもリーシェは傷つかなかったわ」

 「ん~、それは……違うかな。うん、違うと思うんだ。でもそっか、エルティナは私に悪いと思っていたんだ」


 小さく唸った後、リーシェがすっきりした表情で何度もうなずいた。


 「エルティナの召喚をお父さんにお願いしたのは、私だよ。だから、悪いのは、エルティナじゃなくて私。だって、私が決めたんだから」

 「……リーシェは『呪い』のことを知っていたの?」

 「――知ってるよ。……よく知ってる」


 即答した後、悲しみを滲ませてリーシェはもう一度つぶやいた。


 「お母さんはね、その『呪い』で殺されたんだ」


 今、リーシェは何を言った?

 理解を拒むように、私の思考は停止していく。一縷の望みをかけてリーシェを見上げるが、その瞳は悲しみで彩られているだけだ。

 リーシェは「本当のことだよ」とポツリとつぶやき、夜空を仰いだ。


 沈黙は数十秒だろうか、無理やりに頭を回転させ、私は口を開いた。


 「……どうして私を召喚したの?」


 からからに乾いた喉で絞り出した言葉は震えていた。


 「リーシェも死にたくはないでしょう? それなのに、どうして?」

 「私は悪い子なんだよ、エルティナ」


 忘れちゃったの? リーシェが悪戯っぽく笑った。


 「悪い子だから、まわりの人の言うことを無視したんだよ。お母さんを馬鹿にするな、そう怒ったりしてね……。私にも精霊がいれば、大好きなお母さんに近づけると思ったんだ。……寂しくないと思ったんだ」


 初めて聞くリーシェが抱く母への思いに、私は口をつぐむ。どんな言葉を口にしても、慰めにはならない。そう思えた。


 「お母さんと、ホムラは……火の精霊はすごく仲が良かったんだ。ホムラは子供みたいなところがあってね、娘が二人いるみたいだって、お母さんはよく笑っていたの」

 「……その精霊は今どこにいるの?」


 嫌な予感を覚えながら、恐るおそる訊ねる。リーシェは静かに首を横へ振った。


 「どこかへ行っちゃった。きっとお母さんの敵討ちをしに行ったんだと思う。……私は、そうだとわかっていたのに、ホムラに止めてって言わなかった」


 自らの罪を懺悔するように、どこか達観した表情でリーシェは言う。


 小さく息を吐いたリーシェは、突然両手で頬を叩きつける。両頬からパチンと高い音が響く。頬を引っ張りグニグニと上下左右に動かした後、リーシェは微笑んだ。


 「私はあの時から悪い子なんだよ、エルティナ。憎んだり嫌ったり、悪い気持ちがあふれそうになるんだ。……ホムラを止めなかったことへの罰だとずっと思っていた。でも、エルティナと出会って許されたと思ったの。エルティナと過ごした日々は楽しくて、悪い気持ちにならなかったから。いつも一緒に居てくれて、寂しくなかったから。……だからね、私にとってエルティナは『祝福』なんだよ」


 リーシェの言葉に、私の瞳から涙が零れ落ちていた。

 危険を遠ざけようとするのは精霊も人間も変わらない本能だ。リーシェに危険をもたらしているのは私で間違いない。……私を遠ざけるのは当然のことのはずだ。


 それでも、リーシェは『祝福』と呼んでくれる。私が一緒にいることを許してくれる。『呪い』ではないと、そばにいて嬉しいと、私を認めてくれる……。

 リーシェの笑顔に懐かしい記憶が呼び起こされていく。アルスメリア王国の人々、そしてフィーネ。私の大切な人たちと重なって見えた。


 私がリーシェの『祝福』であるならば、私の『祝福』はきっとリーシェだ。

 エミリアが危惧する通り『呪い』は遠ざけられるべきだ。それでも、リーシェと一緒にいたい。私は心からそう願った。


 「エルティナ、行くよ」


 リーシェが声をかけてくる。私は腕先で涙を拭い、大きくうなずく。泣き笑いを浮かべて「うん」とリーシェに近づいていた。

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