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021 不信

 どうにも腑に落ちない。胡乱な眼差しを送りながら、エミリアの背中を追って走る。隣で並走するリーシェも曇り顔を見せていた。


 十分前、廃屋に現れたのはエミリアだった。乱れた髪に、疲労を滲ませた表情。目元には薄っすらと涙を浮かべていた。

 エミリアは私とリーシェ視認するや大きく目を開き、満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。そして、リーシェを愛しげに抱き締めたのだ。


 突然のことに固まる私とリーシェをよそに、エミリアは両膝を床につけたままリーシェの背中を撫で下ろしていく。困惑のあまり身じろぎすら忘れたリーシェは視線で私に救いを求めていた。

 これ見よがしにため息をついた私は「安心するのは、ここを出た後にして欲しいのだけど」と皮肉を言い、エミリアを睨みつけたのだった。


 エミリアは信用ならない相手だ。だが、顔見知りに会い、緊張感が和らいだのは間違いないのだろう。

 一緒に逃げましょう――エミリアの言葉に二つ返事で了承していた。


 私はもちろんリーシェも裏町には詳しくない。エミリアも精通しているとは思えない。ただ、エミリアはここまでたどり着いているのだ。来た道を引き返してもらえれば表通りに出られるはず……私はそう考えていた。

 裏町か逃げ出した後、衛兵詰所に駆け込んでグレンの捜索を依頼すればいい。女三人で留まるべきでないことだけは明らかだった。


 それにしても、エミリアの迷いのない足どりはどういうことだろうか?

 廃屋にうまく身を隠し、ならず者たちの魔の手から逃げていく。その歩みには迷いが見られなかった。

 私の予想に反してエミリアは裏町に詳しいのかもしれない。でも、それはどうして? ……これまで、裏町に何か用事があった? 疑惑は深まるばかりだった。


 警戒を強め、私はエミリアを注視する。隣を走るリーシェも何か気にかかるのか、時折首をかしげて周囲の様子を探っていた。


 廃屋で息をひそめるのは何度目だろうか。いい加減うんざりもしてくる。

 ならず者たちをやり過ごし、再び走り出そうとした瞬間、リーシェが不信感に満ちた口調で訊ねた。


 「どうして同じところをグルグルまわっているの?」


 私は思わずリーシェの顔を見つめる。どこか確信めいたものがあるのか、エミリアを下から睨みつけるリーシェに迷いはない。エミリアの足も止まっていた。


 「……何を言っているの?」エミリアは咎めるようにつぶやく。

 「私とエルティナを騙しているんだ。一緒に逃げるつもりなんてないくせに」


 リーシェは前に一歩踏み出し、エミリアに人差し指を突きつける。不遜なリーシェの態度に、エミリアは憎々しげに表情を歪めていく。そして、迎え撃つようにエミリアも一歩前に出る。

 手の届く距離で二人の視線が激しくぶつかり合った。


 「時間稼ぎ……」


 私が呆然とつぶやいた瞬間、弾かれようにエミリアが私を見つめる。その顔からはみるみる血の気が引いていく。


 「ちっ、違うわ。私は、そんなつもりないわ……」

 「なら、どういつもりなの?」


 リーシェを背に隠すように私はエミリアへ近づき、私とリーシェを中心した竜巻を巻き起こす。もしかしたら、本当に助けに来てくれるのでは……? 甘い考えは霧散していた。

 エミリアは気圧されたのか、大きく一歩後ずさる。その瞳からは幾筋もの涙が零れ落ちていく。ただ、色濃く表れた憎悪は隠し切れてはいなかった。


 「お願いだから、私を信じて。騙すつもりなんて……」

 「信じてもらえる、と? 貴方が精霊を嫌っていることくらい、とっくに気づいているわ。私を売り飛ばすくらい平気でしそうね」

 「違うわ! ……信じて、エルティナさん!」


 感情的にエミリアは叫ぶが、すぐに声をひそめていく。私は慌てて廃屋周辺の風を操作して探りを入れるが、ならず者たちが近づいてくる様子はない。まだ、気づかれてはいないらしい。

 数秒考え込んだ後、私は重々しく口を開いた。


 「信じて欲しいのならば、質問に答えてくれるわね」

 「何? 何でも答えるよ?」エミリアは前のめりに弾んだ声を出す。

 「リーシェを虐めたの?」


 エミリアは瞬間的に私から視線を外す。すぐに取り繕った笑みを作るが、無駄だと悟ったのか、ぐにゃりと不快げに表情が歪んでいった。


 「虐めたのね」私は呆れ混じりにつぶやいた。

 「――貴方は邪魔ね」


 冷淡なエミリアの声に被せ、風を切り裂く音が響いた。一拍遅れで血しぶきが舞い上がり、私の首元に鋭い痛みが走っていく。赤黒く光るナイフを振り切り、エミリアが愉しげに微笑んでいた。

 次の瞬間、力任せに振り下ろされたナイフが眼前で鈍く光っていた。

 私は息を呑む。魔力を溶け込ませていた風を結集してナイフを押し返しにかかるが留めることしかできない。

 首元の痛みで集中できていないからか、強風を起こしてエミリアを体ごと吹き飛ばすことはできなかった。……幸いなことにエミリアのナイフに刻まれていた魔法は使い捨てなのか、初撃のように風は無効化されない。私とエミリアの力は拮抗していた。


 しかし、数秒も経たないうちに均衡は崩れ始める。血で汚れた刀身が目前に迫り、私の心はかき乱されていく。風の密度が小さくなった部分を狙いエミリアのナイフが刺し進んでいた。


 「――エルティナ!」


 ふいにナイフにかかる力が弱まる。声の先をのぞき見ると、いつの間にか背後にいたはずのリーシェがエミリアの腹に頭突きをかましていた。


 下唇を強く噛み、私は体を捻りながら風の流れを変えていく。エミリアのナイフが横へと流されていった。その瞬間、私は全力でエミリアの肘を蹴り上げる。床を叩く甲高い音を響かせてナイフが落ちていった。


 足元に小さな竜巻を起こして飛び上がる。私は足先に魔力を集中させ、エミリアの側頭部を蹴りつけた。使用したのは闇魔法。奇しくも昨日の不審者と同じ魔法を使っていた。

 手足を大の字に広げたうつ伏せの格好のまま、倒れたエミリアはピクリとも動かない。気を失っているのだろう。


 私は大きく息を吐き出し、その場に座り込む。思い出したかのように、ナイフで切られた首元が再び痛み始めていた。


 「……エルティナ」今にも泣き出しそうな声でリーシェが呼んだ。

 「大丈夫よ、リーシェ。見た目ほど、傷は酷くないわ。……それよりも、リーシェに助けられてしまったわね」


 貴方が勇気を出してくれなければ……私は殺されていたわ。リーシェが私の命を救ってくれた。


 「ありがとう」

 「……お父さんと一緒に、エルティナも助けに来てくれたから、おあいこだよ。エルティナも、ありがとう」


 目元をごしごしと擦った後、リーシェは少し照れくさそうに微笑んでいた。





 「意外と早く目が覚めたのね」


 薄っすらとまぶたを開いたエミリアに、私は冷たく言い捨てる。焦点の定まらない瞳が次第に私を捉え、憎しみの炎を灯していく。ぐったりと座り込んだまま、私を睨みつけていた。

 私はエミリアの眼前まで近づき、冷ややかな眼差しで見下した。


 風でエミリアを運び、廃屋の壁を背にもたれかけさせたのは、ほんの数分前だ。

 ならず者たちが徘徊する中、エミリアを放置するわけにもいかなかった。闇魔法の影響下にあるエミリアは手足を動かせない。見つかれば抵抗する手段はないだろう。だが、闇魔法を解くつもりは欠片もなかった。


 奥まった部屋に閉じ込め、手足は拘束しない。それが、妥協点だった。闇魔法も永続的な効果ではないのだから、効果切れ後にエミリア自身で脱出すればいい。それは、私にはどうでもいいことだった。


 「そこで、ゆっくりと休んでいるといいわ。そのうち、貴方の待ち人たちがやって来るでしょうから」


 平坦な口調で私は未来を告げていく。エミリアの顔が真っ青に変わった。


 「……置いて、いかないよね? 冗談、だよね?」


 もし手足が動くのならば今にも縋りつきそうな、懇願する表情でエミリアはつぶやく。私は腰をかがめ、目線をエミリアと揃えた。


 「私がふざけているように見えるかしら?」


 互いに見つめ合う。私の本気を感じとったのか、一秒も経たないうちにエミリアは絶望で顔を歪める。恐怖に染まった瞳から、大粒の涙が零れていった。

 エミリアの嗚咽が部屋に響き渡っていく。これ見よがしにため息をついた後、私は片膝を床につける。エミリアに微笑んで見せた。


 「助けて欲しい?」


 俯くエミリアに小さくささやいた。一瞬硬直したエミリアが勢いよく顔を上げ、必死にうなずく。私はさらに笑みを深めていった。


 「そう、助けて欲しいのね……」

 「助けて……ください」

 「条件があるわ」

 「……どのような、条件でしょうか?」


 エミリアの口調は媚びたものに変わっていく。


 「心配しなくとも、簡単なことよ。私のする質問に答える、たったそれだけ。……できるわね?」


 私は優しく訊ねる。エミリアは何度も首を縦に振った。


 「リーシェを虐めたのはどうして?」

 「そ、それは……」エミリアは私から視線を外す。

 「あら? 答えられないの? ……私は別に構わないのよ」


 残念そうにつぶやき、ゆっくりと私は立ちあがる。出口に向かって歩き出した瞬間、エミリアが「ま、待って!」と慌てた声を張り上げた。私は興ざめした表情で見下ろしていく。


 「――グレン様が好きだから、あの子が邪魔だっ……嫌いでした」

 「父親が娘を愛することは、おかしなことではないわ。リーシェに嫉妬するなんて、馬鹿なのかしら?」

 「あの子は、グレン様を危険にさらすから、許せないんです。精霊を……」


 何かに気づいたのか、エミリアは口をつぐむ。そして、機嫌を窺うように媚びた笑みを浮かべながら見上げてくる。想定外の言葉に、私は眉根を寄せていた。


 「精霊がどうしたのかしら?」


 底冷えする低い声で私は訊ねる。歯をカチカチと鳴らしながら、エミリアの体は震え出す。動かせるまぶたを強く下ろし、必死に私から逃げ出していた。


 一向に答える気配のないエミリアに、苛立ちが募っていく。我慢の限界だった。


 「早く答えなさい! いつまで待たせるつもりなの!」


 エミリアの顔の真横を足で叩きつける。次の瞬間、足裏から廃屋の壁を氷漬けにしていく。室内の温度が急降下していった。


 「エミリア、答えなさい」白い吐息を漏らしながら、私は命じた。

 「――危険な精霊を、望んでいた、から……精霊は人を殺す、邪悪な存在、い、いたら駄目で……グレ、グレン様に死んで欲しく、なかったから」

 「『精霊の祝福』とありがたがっているのでないの?」

 「違っ、『呪い』。……精霊は、『祝福』、違うの」

 「……もういいわ」


 私は短く吐き捨て踵を返す。幼子のように泣きわめくエミリアから、これ以上を聞き出すのは難しいだろう。

 『祝福』ではなく『呪い』。精霊を救う――その題目で襲撃をかける者がいる以上、『呪い』と言われても否定は難しい。精霊自身が人間への憎悪を爆発させるか、それとも精霊に傾倒する狂人に襲われるか。どちらにしても好ましいことではないはず。


 精霊と平穏に過ごすことが難しいのならば、関りを避けるべき。エミリアの考えも理解はできる。それでも、リーシェを傷つける免罪符とはなりえないのだ。


 私は幸福……なのだろう。

 リーシェにグレン、カーティスも『精霊の祝福』と呼んでくれた。三人が『呪い』を全く知らないとは考えにくい。どこまで覚悟していたかはわからないが、私を受け入れてくれた。


 物思いにふけったたまま、ドアの前にたどり着く。二度三度、つま先で軽くドアを叩いた。


 「リーシェ、開けてくれる?」

 「待ってて」


 ゆっくりとドアが開いていく。リーシェに室内を見られないように、エミリアを残して素早く部屋を出る。私は小さく息をついた。


 ドアが閉じられた後、ならず者たちの侵入を防ぐためにドアを凍てつかせる。リーシェがもう一度ドアノブを回すが、ドアが開くことはなかった


 「……どの方角に逃げたらいいのかしら?」私がため息まじりにつぶやいた。

 「それなら大丈夫だよ、エルティナ」


 リーシェは得意げに微笑むと、自分の胸元をトントンと叩いていく。


 「歩きまわったおかげで、中心街の方角は大体わかっているから、私に任せてよ。早く一緒に逃げよう」

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