涙と共に流れていくのは、恋心
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暁闇のころにアロナは目を覚まし、そして絶望した。そこは見慣れた自室であり、部屋に置かれた姿見には小さな令嬢が群青色の瞳でこちらを見つめていた。
「そんな、どうして…」
もう二度と目覚めたくなかったというのに、四度目の人生に突入してしまったらしい。
(神はきっと、私に恨みがあるんだわ)
ルーファスの本性を知るまでは泣いて感謝をしたけれど、今はもうそう思えないのは当たり前のこと。
これまで通りルーファスの婚約者となり、エルエベ達に疎まれ、そして殺される。
一度目は射殺、二度目は毒殺、三度目は刺殺。自分は後何度辛い思いをすれば解放されるのだろうと、アロナは項垂れた。
これまではルーファスが居たからこそ、耐えてこられた。そうでなければ彼女の心はとっくに壊れていただろう。
「ルーファス…」
アロナの大きな双眸から、ぼろぼろと涙が溢れる。あの時あの瞬間一滴も零れなかったものが、堰を切ったように落ちていく。
滑らかなシーツにみるみるうちに染みができていくが、そんなことはどうでも良かった。本当は大声で泣き喚きたかったが、それをすると侍女が来てしまう。
彼女は自身の腕を強く噛み、必死に声を押し殺しながら泣いた。
「ルーファス、ルーファス、ルーファス…ッ」
好きだった、愛していた、心の底から彼のことが大切だった。
自分のことを一人の人間として見てくれた、唯一の人。フルバート公爵家のアロナではなく、ただのアロナとして優しくしてくれたことが、本当に嬉しかった。
ルーファスにとっては望まない政略結婚だったかもしれない、けれどアロナは精いっぱい努力した。
大好きだと、伝えたかった。その腕に抱きしめられたかった。自分しか見ることのできない表情を、もっとたくさん見たかった。
「あなたがいたから、頑張れたのに」
支えを失った彼女の体は、いつ地に伏してもおかしくはなかった。むしろもう二度と、立ち上がりたくなどなかったというのに。
「…ぅ、うぅ……っ、く…っ」
噛みついた腕から、一筋の鮮血がたらりと流れる。本当は今すぐにでも、舌を噛み切り死んでしまいたかった。
けれども薄ぼんやりと鏡に映るその姿は、まだ幼い子供。それが幾ら自分自身であろうとも、流石に自死を選ばせる勇気はアロナにはなかった。
その代わりに、彼女は泣いた。今までの人生、合わせるともう四十年を超える。それだけ生きてきた中で初めて、アロナは感情を剥き出しにした。
このやるせない思いのぶつけどころが、どこにもない。心に映るルーファスの姿は、意思に反して今もなおきらきらと光り輝いていた。
どれだけ酷い仕打ちを受けようとも、アロナはルーファスのことを嫌いにはなれない。憎むことも、復讐を誓うことも、そのどれもを全身が拒む。
真実を知った今、これまでのように純粋な気持ちで彼を慕うことも叶わなくなってしまった。
アロナは八方塞がりで、もうどうしたら良いのかを考えることもできなかった。
ただただ、泣いた。どれだけ溢そうとも枯れることのない涙は、アロナがこれまでルーファスへ向けてきた愛の深さを表しているかのようだった。
泣いて、泣いて、とにかく泣いた。
乳母も両親も兄も全ての外野を遮断して、彼女は一歩も外に出ることをしなかった。ベッドの傍で母親からどれだけ叱責されようとも、父親の手がこちらに伸びようとも、兄から鼻で笑われようとも、アロナはそれを頑なに拒否し続けた。
これまでの人生で決して、彼女がしなかったこと。
この世の全てが色褪せ、どうでも良くなる。
顔が腫れ上がろうが、体が干からびようが構わない。とにかく彼女は、十日以上もの間文字通り泣き暮らしたのだった。




