神の僕になれたならば
そうだ。今日は、これが聞きたくてここにきた。
真面目なクラウスさんが、王様に嘘をついてまで、私のことを第三部隊に、それも隊長補佐というクラウスさんに近い役職で、入れてくれた理由。
ただ、クラウスさんが優しいからだけじゃなかったらいいのに。
「紫乃が、望んだことだからだ」
「紫乃」は、きっと、異世界からの来訪者、と同義だ。私がクラウスさんに強要した呼び名だから。
それ以外、理由なんて無いのだろうか。
わかってる。わかってるけど、どうしようもなく、悲しくなるのを止められない。好かれているだなんて、夢を見てはいけない。こんなにも美しく、優しい、クラウスさんは、騎士団の隊長で、公爵で。私なんかとは容姿も性格も身分的にも、何一つ釣り合わない。
困らせては、いけない。そんなこと絶対にしたくない。本当は、きっと、私を隊長補佐になんかしたくなかった筈だ。クラウスさんは私とこれ以上関わり合いになりたくなかっただろうし。それでも、クラウスさんは優しいから、私が困っていたのを見てられなくて、あんなことを言ってくれたんだ。
「私が望んだら、何でも叶えてくれるんですか?」
泣きたくて、でも、今泣いたらどう考えてもおかしいから、必死に我慢する。出来るだけ、縋る響きを消して、言葉を吐く。顔を見られないように下を向いて。
クラウスさんのそばにいさせてもらえるのだから、私の目的は果たされている。万々歳な結果だ。全く、泣く場面なんかじゃない。
「紫乃、頼む、誤解しないでくれ」
切実な、切羽詰まったような声に、私はゆっくりと顔をあげた。目の前にいたクラウスさんは、私の顔を酷く困ったように見下ろしていた。
「私は、紫乃が…、あの時、俺の部隊に入りたいと言ってくれて、嬉しかった」
「え…?」
「これは、俺の感情でしかないから、言うつもりなどなかったが、俺は…、紫乃が俺を恐れずに接してくれるのが嬉しい。理解している。紫乃を初めに助けたのが俺だから、俺を頼ってくれているだけだということは。それでも、紫乃が、例え異世界から来た人間ではなかったとしても、紫乃がそう望んだならば、俺はその願いを叶えるつもりだった。ただ…、陛下の前で嘘を吐いたのは、紫乃が異世界からの来訪者という身だったからだ。異世界からの来訪者は、無理矢理この世界に連れて来られている場合が多い。元の世界での生活も家族も友人も何もかも奪われて、見も知らぬ世界へ連れ去られる。そんなことが許されて良いはずがない。だが、事実として、紫乃はここにいる。それならば、少なくとも、紫乃の願いは尊重されるべきだ。それを、あの場所で認めさせなければならなかった。紫乃は、まるで道具のように扱われていい筈がないんだ…」
どうして、この人は、こんなにも優しいのだろう。どうして、私が、泣いてしまわないようにと、言葉を紡いでくれるのだろう。嘘も偽りも無いのだと、私は一欠片も疑わずにこの人を信じている。もし、ほんとうに、クラウスさんが神様だったなら、私は何も悩まなくて済んだのに。その感情がどこから来るのか、知りたいと悩まなくて済んだのに。
「私が、そばにいても、クラウスさんは迷惑じゃ無い?」
「紫乃を迷惑だなどと思ったことは一度もない」
「そばにいても、嫌じゃない?」
「紫乃がか?まさか!嫌な筈がない」
あぁ、でも、今は、これだけ聞ければ、十分だ。私がそばにいても、嫌じゃないなら、私は安心して、ここに来られる。
「よかった。私、クラウスさんの近くにいたくて、騎士団に入りたいと言ったの。だから、隊長補佐になればいいってクラウスさんが言ってくれて、本当に嬉しかった。私ちゃんと頑張るから。クラウスさんが私を隊長補佐にして良かったって思えるように。出来ることは少ないけど、クラウスさんの為なら何でも頑張るから。だから、見捨てないで」
「っ!!」
クラウスさんは優しい人だから、きっとここまで言われたら、断れないしきっと断ろうだなんて思わない。今すぐ恋人に、なんて高望みはしない。プライベートじゃなくて、公的なことだからクラウスさんは私を受け入れてくれているのだろう。今は、本当にそれだけでいい。
「紫乃を、見捨てるなんて有り得ない。何に代えても、例えこの命が尽きようとも、紫乃だけは守り通す。だから、その様に…、俺を煽らないでくれ」
「煽ってる?」
「あぁ」
私が一体何を煽っているというのだろう。何故かクラウスさんは顔をまた大きな節ばったその手で覆ってしまう。その隙間から覗く口元がなんともセクシーに思えて、ガン見していたらやめろと言われてしまった。
「クラウスさん、私はここで何をすれば良い?あ、この世界の読み書きはたぶん一通り出来そうだから、その辺は安心して。あとは、クラウスさんの身の回りのお世話をしたらいいのかしら?」
「そうか。なら、簡単な書類整理などからはじめてもらう。俺の世話だとかは、考えなくていい」
「…クラウスさんの、お世話、したいのにな。でも、クラウスさんが嫌がるならしないから、仕事部屋は同じにして欲しい」
「な、んで、俺の世話なんて」
「だって、私、クラウスさんの、奴隷になってたかもしれないし?」
冗談めかして言いながら、本当にそうなるかもしれないと、思っていた記憶が甦る。それはそれで悪くなかったし、あの時はそれを切望していたのに。今は、たぶん、それよりも遥かに良い。クラウスさんの同僚として働けるなんて、きっと最高に幸せだ。
のほほんとそんなことを思う。
「すまなかった。まさか、そのように、紫乃が思っていたとは」
私の感情とは裏腹に、クラウスさんから返ってきたのは酷く深刻な声だった。顔を青くしているクラウスさんが、険しい顔をしてソファから立ち上がり、私から少し離れた床に跪いた。
「えっ?急にどうしたの」
「紫乃を、俺の奴隷にしたい、などと例え嘘でも口にしたことを、謝らせてくれ。申し訳なかった。あの時は、それが最善だと思った。翌日には助け出すつもりだったが、それまでに紫乃があの奴隷商人に傷付けられない様、奴等にそう言った。だが、まさか、紫乃が今も、それに囚われているのなら」
「ちが、ちがうわ!あの時は、クラウスさんの奴隷になりたいって思ったけど、今はそう思ってないし、囚われてるとかじゃなくて。さっきのは、ほんの冗談で。ただ、クラウスさんの近くで仕事したいだけで」
「俺の近くで?…何故だ?」
「それは、…クラウスさんが私の救いの神だから。一緒にいると安心するの。安全だって思える」
本当は、今言った言葉と同じくらい、仲良くなりたいからだとか、好きになって欲しいからだという理由があるけれど、でも、そんなことを言えば困らせてしまうのは分かりきっている。
「そうか。紫乃は、俺をそう、思ってくれているんだな」
優しく、神々しく、美しいクラウスさんは、嬉しそうに少しだけ恥ずかしそうに、微笑んだ。その微笑みが悲しくなるくらい愛おしくて、私はほんの少し胸が痛んだ。